一章 6-2

 二人は中央棟を出た。風はなく、よく晴れた秋空は高い。まだ身体の隅に残る緊張を追い出すために、ツェリは思い切り息を吸い込んだ。

 並んで歩きながら、ぽつりとセラが言う。

「……さっきはごめんなさいね」

「なんで?」

「ライのこと。ツェリに無礼をはたらいた、赤毛の」

「ああ……あの人」

 二人組の男子生徒を思い出し、ツェリは曖昧に頷いた。

「セラが謝ることないよ。あの人たち、セラの知り合い?」

「幼馴染みなの。わたくしと同じ年で、黒髪がソール、赤毛の方はライ。ソールとライは従兄弟なのよ」

「そうなんだ。じゃあ、三人とも昔からの友達なのね」

「ええ。―――ああ見えて二人とも、女子生徒にとても人気があるの。いろいろと言い寄られて苦労したみたいで……ライはツェリのことを、道に迷ったという口実で近付いてきた女子生徒だと思ったのね。よく顔を見もせずに」

「……そういうことだったの」

 セラがライに告げた辛辣な一言の意味が腑に落ち、ツェリは頷いた。ライは、性格はともかく見目みめは良いので、女子生徒に人気だというのは納得できる。

「ライを許してね。悪気があって、ああいう態度を取ったのではないのよ」

「うん。……わたしも、ちょっと意地悪だった」

 ライの言葉をわざと曲解して言い返したのは、軽い意趣返しのつもりだった。しかし彼の表情を見る限り、思いの外、威力があったらしい。

 セラは笑いながら首を左右に振った。

「あれくらいで意地悪とは言いませんわ。もっと仰ってもよろしかったのに」

「なんだかんだ言って中央棟まで連れてきてくれたもの。道に迷っちゃって、もう戻れないかと思ったわ」

 言いながらツェリは、前方から生徒の一団が歩いてくるのに気付いて口を閉じた。数人の女子生徒が、顔を見合わせるようにして足を止める。

「ごきげんよう、セーレイアさん。そちらはアールヴレズル国からおいでになった留学生のかたかしら?」

 代表するように一人に声をかけられ、セラは笑顔で応対する。

「ごきげんよう、皆さん。ええ、今、建物を案内して差し上げているところなの」

「そうでしたの。是非、わたくしたちとも仲良くしてくださいませね」

「……こちらこそ」

 水を向けられ、ツェリは慌てて笑みを浮かべて言葉を返した。

「それでは、失礼いたしますわ」

 決してきつくはないのだが、有無を言わさぬ響きで言って歩き出すセラに、ツェリはついて行く。女子生徒たちが遠ざかってから、こっそりと尋ねてみた。

「……ねえ、セラ」

「何かしら」

「なんであの子たち、わたしが留学生だって知ってるの? 制服を着ていないからかな」

 セラは困ったような表情で申し訳なさそうに言う。

「おそらく、高等学部のほぼ全員が、留学生が今日到着したことを知っていると思うわ。この時期の編入は珍しいし……それに、女子生徒はあまり多くないから皆顔見知りなのよ」

「そうなんだ。じゃあ、すぐわかっちゃうね」

 ツェリが納得していると、セラはため息混じりに続けた。

「みんなきっと、偶然を装ってツェリに会いにくるのではないかと思うの」

「編入生は珍しいんでしょ? なら、気にしないで」

「ええ……でも、おそらく……好奇心だけではなく、他国の王族のかたとお近づきになる機会はあまりないから……」

 セラは語尾を濁したが、ツェリは苦笑しつつ頷いた。

 三の兄リツェルトは、貧乏だということは隠して、王妹というところを前面に出せ、王族との繋がりを欲しがっている人間はたくさんいると語っていたが、ツェリが押し出すまでもなく「王妹」が一人歩きを始めてしまっているらしい。シーグルム国とは国交が殆どないので、アールヴレズル国の懐事情が知られていないか、貧乏国でも王族と繋がりを作っていた方がいいと考えられているのか、ツェリには判断がつかない。

(わたしと親しくなってもあんまり……ってことは言わない方がいいのよね、多分)

 この調子では金持ちの婿など夢のまた夢だと、ツェリはそっと息をついた。もともと嘘や隠し事は苦手なのだ。それに、いくら王妹といえども、自らくわを振るわねばならないほどの貧乏国と知れたら、敬遠されそうな気がする。

「ここが新棟よ」

 セラが示す建物を見上げ、ツェリはぽかんと口を開けた。

「ここも大きいのね……思っていたより古そうだけれど、なの?」

「昔、学院の生徒数が増えて、中央棟だけでは講義室が足りなくなったときに新しく建てられたから。未だに新棟と呼ばれてはいるけれど、築年数は優に百年を超えているはずよ」

「なるほど」

 ツェリはセラについて新棟の中に入る。

 新棟と中央棟は二階の渡り廊下で繋がっており、序学部と大学の講義には主に中央棟が、高等学部の講義には新棟が使われるとセラは説明してくれた。

 建物はすべて蜂蜜色の石造りで、目立った華美さはないものの、柱や天井、手すりなどにさりげなく装飾が施されている。要所要所に彫刻や調度品が飾られ、窓の一部がステンドグラスになっている場所もあって、ツェリは始終圧倒され通しだった。

 セラは上着の隠しから懐中時計を取り出した。鈍い銀色で、蓋には鈴蘭をかたどった品の良い意匠の彫刻が施されている。

「セラ、時計持ってるんだ」

「学院へ入るとき、お母様から譲っていただいたの」

「いいなあ。便利そう」

「ツェリも作っていただいたら?」

「うん? ……うん」

 ツェリは中途半端な返事をした。

 懐中時計は高価である。ツェリの身近なところでは、レシエンツァが持っている―――持たされているだけだ。ツェリは城の中では時計のある場所を知っているし、朝昼晩と町の教会の鐘が鳴るので必要性は感じなかったが、ここではそうはいかないかも知れない。

 セラは懐中時計をしまいながら応える。

「一応、寮や教室には部屋ごとに時計があるけれど、あると便利よ」

「部屋ごとに!?」

 思わず声を上げてしまい、セラがびくりと肩を波打たせたのを見てツェリは慌てて自分の口を押さえた。

 懐中時計ほどではないが、時計も決して気軽に購入できるような物ではない。ツェリはこの学院の教室と寮のすべての部屋に時計を置くとしたらいくつ必要になるのだろうと考えかけ、やめた。途方もない数なのは考えずともわかる。

「……ごめんなさい、大声出して」

「いいえ。アールヴレズル国には部屋に時計を置く習慣がないのかしら?」

「え、ええ……まあ……時間に縛られることもあまりないから……」

「そうなの。大らかな国風なのね」

「大らかなのは……そうかも」

 ないのは習慣ではなく金銭的な余裕なのだが、正直に言えずツェリは誤魔化した。セラは気にした様子もなく笑んだまま続ける。

「図書館棟と、温室をと思ったのだけれど、温室は陽の高いうちに見た方がいいでしょうし、図書館棟を回るにはちょっと時間が足りなくなりそうだわ。食堂を回りながら女子寮に戻って、夕食までお部屋で休憩しましょうか。疲れたでしょう?」

「ううん、平気。―――そうだ、後ででいいんだけど、ロベリアさんに会えるかな。さすがにもう手続きは終わってるわよね?」

「ロベリア、さん? どなたかしら」

「あ、そっか。わたしの護衛官、ロベリアって言うの」

 不思議そうに訊き返すセラへ告げれば、彼女は一瞬の間を置いて大きな双眸を更に大きく見開いた。何をそんなに驚くことがあるのだろうとツェリが胸中で首を捻っていると、セラはすぐに表情を戻して頷いた。

「ええ……、会えると思うわ。では、少し休んだら女性護衛官宿舎に行きましょう。女子寮の隣だから」

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