一章 6-1

 6


 ツェリは歩調を合わせながらこっそりセーレイアの様子を観察した。

 彼女の服装は、月草を思わせる落ち着いた青色の襟なし上着に、同じ色の膝下丈のスカート。上着の下は白のブラウスで、深い青色のリボンが通された幅広の襟に空色の細い線が入っている。これが女子生徒の制服なのだろう。絵画から抜け出てきたような彼女によく似合っている。

 セーレイアがおっとりと問うてきた。

「長旅でお疲れではありませんか」

「平気です、ずっと馬車でしたから。あ、でも、じっと座ってるのはちょっと辛かったかな。結構揺れたし……もう、歩くか、自分で馬に乗った方が楽だと思いました」

「乗馬がお好きなのですか?」

「乗馬と言うか、身体を動かすのが好きです。はた……んん、お散歩とか」

 畑仕事、と言いそうになってツェリは慌てて言い換えた。セーレイアは白くて綺麗な手をしている。きっと、土いじりなどしないのだろう。

「でしたら、王立学院はきっとお気に召すと思いますわ。ご存じかも知れませんが、敷地は一日では回りきれない広さがありますの」

「敷地はシーグルム王城よりも広いって聞きました」

「ええ。建物は王城の方が大きいのですけれど、学院は畑や牧場、馬場などもありますから」

「畑ではどんなのを育てているんですか?」

 思わず聞き返せば、セーレイアは柔らかく笑んで教えてくれる。

「主に王城と学院で使われる食材ですけれど、授業で使う薬草や、手に入りづらい植物も育てられておりますわ。狭いですが、植物園と温室もありますので」

「温室!? それは素敵ですね!」

 聞いたところ、温室は屋根も壁もガラスで造られた建物なのだという。文字通り、室内を温かく保つ装置も相俟あいまって途轍とてつもなく高価で、無論のことアールヴレズルにはない。

「ご興味がおありなら、近いうちにご案内いたします」

「見たいです! わあ、楽しみ!」

「お気に召すといいのですけれど。―――こちらです。足下にお気を付けくださいませ」

 セーレイアは言いながら前方を示した。

 階段を上り、三階の廊下の突き当たりにある、両開きの扉の前でセーレイアは足を止めた。彼女はツェリが隣に並ぶのを待って、頑丈そうな木製の扉を静かに叩く。

「セーレイアです。ツァウラメラ様をご案内いたしました」

「入りなさい」

 内側から男性の声で返事があり、セーレイアは扉を開けた。促され、ツェリは一つ深呼吸をしてから扉を潜る。

 部屋は想像していたよりは広くなかった。左右の壁には天井まで届く書架、その殆どが書物で埋まっている。扉の正面に大窓があり、それに背を向けるように大きな机が据えられて、初老の男性が座っていた。その脇に、襟の詰まった藍色のワンピースドレスを纏った中年の女性が立つ。女性は、加齢からなのか元からの色なのか、灰色の髪を一筋の乱れもなくシニヨンにまとめている。

 おそらく、学長と女子寮の寮監なのだろうと予想しつつ、ツェリは部屋の中央まで進んで足を止めた。すると、男性が立ち上がる。

「ようこそおいでくださいました、ツァウラメラ・バルトヘルム殿下。お話はアールヴレズル国王レシエンツァ陛下より伺っております。私はシーグルム王立学院学長、ミルウス・アードラーと申します」

 典雅な仕草で一礼し、学長は柔らかな笑みを浮かべた。それに続くように女性も名乗る。

「わたくしはリアトリス・ネルケ・バートラムと申します。女子寮の寮監ハウスマスターでございます。学院での生活でご不便がございましたら、なんでも仰ってくださいませ」

 ツェリは学長と寮監へ順に視線を送ってから口を開いた。

「ツァウラメラ・バルトヘルムです。この度は、他国の人間であるわたくしにも門戸を開いてくださった、シーグルム王国と王立学院に感謝と敬意を表します」

「こちらこそ、我が学院をお選びいただき光栄に存じます。シュツィル様にはハリエットがお世話になりまして」

 次兄とその妻の名を出され、ツェリは義姉あねの伝手だったことを思い出す。

「いいえ、兄シュツィルがハティ義姉ねえ様……ハリエット様によくしていただいているんです。兄は、ハリエット様の助けがなかったら、領地の運営もままならないと思います」

「恐れ入ります。―――では、これよりは、王妹殿下ではなくこの学院の一生徒として接させていただきます。よろしいですか」

 そのことに異論はないので、ツェリは頷いた。学長は着席し、口調を変えて続ける。

「シーグルム王立学院では、身分や家柄で入学を制限していない。生徒は出自に関わらず平等であれかし、というのが学院の掲げる理念の一つだ。ゆえに、学内ではそれぞれの名で呼び合うのが慣習となっている。家名は関係なく、同輩であるという意味でね。学院には平民の生徒もいるが、ツァウラメラくんは、平民に名を明かし、呼ばれることを許せるだろうか」

 改めてそのようなことを訊かれる理由がわからないツェリは、きょとんと学長を見つめた。しばしの沈黙が落ち、答えを待たれているのだと気付いて慌てて返事をする。

「はい、勿論です。故国では皆、わたしをツェリと呼んでくれました」

 学長はちらりと興味深そうな笑みを浮かべ、深く頷いた。

「それを聞いて安心した。何か困ったことがあたら、どんな些細なことでも私かミセス・ネルケに言いなさい。君が学院の生徒である限り学院は君を守り、可能な限り力になると約束する」

「はい……」

 力になると言い切られたことに、なんだか感動してしまって、ツェリは言葉に詰まった。そのうちにミセス・ネルケが口を開く。

「わたくしからは寮生活について、二、三の注意事項を。―――門限や消灯時間、食事の時間などは事前にお渡ししております資料の通りです。教材はその都度こちらで用意します。制服は部屋にありますので、後ほど着替えてください。休日と外出時以外は、制服の着用が義務づけられています。勿論、休日や外出するときに制服を着ても結構です」

「わかりました」

「原則として、男子が女子寮に、女子が男子寮に入ることは禁じられています。男子生徒に用がある場合は寮の入口で係の者に呼んでもらうこと。序学部と高等学部の間は、基本的に個室はありません。高等学部は二人か三人部屋で過ごしてもらいます。ツァウラメラさんと同室になるのは、そちらのセーレイアさんです」

「そうなの?」

 驚いて顔を向ければ、セーレイアはにこりと微笑んだ。

「よろしくお願いいたします」

 ミセス・ネルケは話を締め括る。

「以上です。寮の部屋までは引き続きセーレイアさんが案内します。その他、細かい点も説明してもらうように。―――セーレイアさん、頼みましたよ」

 ミセス・ネルケに視線を向けられ、セーレイアは笑顔で頷いた。

「はい、ミセス・ネルケ。ご期待に添えるよう微力を尽くします」

 学長が言葉を引き取る。

「では、部屋に向かいたまえ。ツァウラメラくんの留学が有意義なものになることを祈っているよ」

「ありがとうございます。祖国の名を汚さぬよう、精一杯勉学に励みます」

 ツェリはセーレイアと共に学長室を出た。廊下を歩きながら大きく息をつく。

「ああ、緊張した」

 並んで歩くセーレイアが小さく頷く。

「学長はともかく、ミセス・ネルケはとても礼典に厳しいかたですの。わたくしも、あのかたの前では少々緊張します」

「そうなの? なんだか意外。セーレイアさんて、すごくしっかりしてるのに」

「とんでもないことでございます。わたくしなど、まだまだ未熟ですわ」

 柔らかだがとても丁寧に言われて、ツェリは躊躇いつつ切り出した。

「……あの」

「なんでしょうか」

「よかったら、敬語やめてくれない? わたし、あんまり……その、王妹っていうか……ね、普通に喋ってもらった方が嬉しいな」

 言葉を探して結局見つからず、ツェリはそのまま伝える。するとセーレイアはほんの一瞬目を見開いたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。

「よろしいのですか?」

「勿論。その方が気楽だもん。わたしも普通に喋るね」

 アールヴレズル国にいる間―――つまり、ツェリは生まれてこのかた、公の場での振る舞いを教えられはしても、実践の場があまりなかった。短時間ならば淑女レディらしく装えるかも知れないが、長期に及べばきっと遠からず破綻するに違いない。

 セーレイアは笑顔のまま片手を胸に当てた。

「では、お言葉に甘えて。学院の代表として王妹殿下を迎える役目を仰せつかりましたから、失礼があってはいけないと少々気負っておりました」

「そんなの気にしなくていいのに。セーレイアさんが失礼なら、わたしはとんだ無礼者だわ」

 冗談めかして言うと、セーレイアは目元を和ませる。

「わたくしのことは、どうぞセラと。これからよろしくね」

「こちらこそよろしく。わたしのことも、ツェリって呼んで」

 笑顔で返しながら、同室がセーレイアでよかったとツェリは思った。少なくとも冬期休暇までは共に過ごすのだ、できるだけ上手くやっていきたい。

「わたし、旅行以外でアールヴレズルを出るのは初めてだから、きっと色々迷惑かけちゃうと思う。シーグルム王国の風習とか、決まり事とか、いろいろ教えてね」

「初めての場所でわからないことがあるのは当然よ。迷惑だなんて思わず、なんでも話してくださると嬉しいわ」

「うん、ありがとう。―――学長が学院では家柄とか身分とか関係ないって言ってくれて、ちょっと気が楽になったかな」

「ええ……」

 何故か僅かに眉を曇らせ、セーレイアは迷う様子で微かに唇を動かした。しかし、すぐに笑んで言う。

「……夕食まで少し時間があるの。よかったら、女子寮に戻る前に簡単に校内をご案内するわ」

「それは助かるわ。お願いします」

「では、新棟から参りましょう。一番講義が行われる場所だから」

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