一章 5-1

 5


「……ラメラ様。ツァウラメラ様」

「んん……はい……?」

 呼ばれてツェリはゆるゆると目を開けた。いつの間にか寝入っていたらしい。

「どうしました?」

「お休みのところ、申し訳ありません。学院に到着いたしました」

「え、もう? ごめんなさい、寝ちゃってました」

 驚いてカーテンの隙間から窓の外を見ると、開かれた鉄の門扉を通過するところだった。シーグルム国王に挨拶を済ませ、王城から学院まで馬車で四半刻。おそらく半分以上は眠ってしまった。

「滅相もないことでございます。お疲れが出たのでしょう」

「疲れなら、わたしよりもロベリアさんたちのほうがよっぽどですよ。ご苦労を掛けます」

 アールヴレズルを発って半月ほど―――正確には十二日が経過している。道行は順調で、ツェリ自身はただ馬車に揺られていただけだが、旅の疲れが溜まっているのかもしれない。

 否定されることはわかっているので、ロベリアが反駁はんばくしてくる前にとツェリは急いで話を変えた。

「学院は随分大きいんですね。何かの砦みたい。うちのお城より大きいかも」

「敷地面積だけならば、シーグルム王都をも凌ぐそうです」

「そんなに広いの……そういえば、農場があるって資料に書いてあったわね。御料ごりょう牧場や畑も兼ねてるって。迷わないように気を付けないと」

 やがて、一番手前の建物の前で馬車が止まる。ツェリに車内に留まっているように言い、ロベリアだけが降りていった。大人しく馬車内から様子を伺っていると、彼女はすぐに戻ってきた。護衛隊長と短い会話を交わし、御者に合図をする。

 御者が踏み台を用意して扉を開いた。脇に立ったロベリアが手を差し伸べる。

「受付はあちらだそうです。どうぞ」

「ありがとう」

 ロベリアの手を借りて降り立ち、一呼吸置いてツェリは馬車の後ろに控えている護衛や女官たちに向き直る。彼らと一緒にいられるのはここまでだ。荷物を運びこんだ後は、ロベリアを除いて全員アールヴレズルに帰ってしまう。わかっていたことだが、やはり寂しい。

「ご苦労様でした。帰ったらシーエ兄様に、ツェリは無事にシーグルム王立学院に着きましたと伝えてください」

 隊長が胸に手を当てて深く礼をした。

「お言葉、しかと承りました」

「道中気を付けて」

「御意。お心遣い勿体なく存じます。僭越ながら、我々も姫様のご無事をお祈り申し上げます」

「ありがとう」

 護衛兵たちはツェリに向かって敬礼する。

「ツァウラメラ様」

 ロベリアに呼ばれ、ツェリは頷いた。無意識に触れていた腕輪から手を放す。レシエンツァがお守りだとくれた腕輪が、思いがけず心の支えになってくれている。

「……ええ、行きましょう」

 きびすを返して歩き出す。振り返らないようにするのには、多大な自制心が必要だった。

(大丈夫、冬にはまたみんなに会えるわ)

 寂しさを紛らわそうと、ツェリは半歩後ろを歩くロベリアに話しかけた。

「ロベリアさん、やっぱりその『ツァウラメラ様』って、長くて呼びづらくありません? ツェリでいいですよ」

 これは顔を合わせた当初から何度も言っているのだが、生真面目な護衛官は首を縦に振ってくれない。今回も、ロベリアはすぐに畏まった様子で頭を下げる。

「畏れ多いことでございます」

「そんなの、全然。本人がいいって言ってるんですから、ね?」

「お言葉ではございますが、王妹殿下を愛称でお呼び申し上げるわけには参りません。―――わたくしのことは、どうぞロベリアとお呼び捨てくださいませ」

 堅苦しいロベリアの応えを聞いて、ツェリは鼻から息を抜いた。やはり、同じような問答になってしまう。

「それじゃ不公平じゃないですか。ツェリって呼んでくれるまで、ロベリアさんって呼びますからね」

 何度目かになる宣言をし、ツェリはぷいと顔を背けた。

 これは単なる我儘で、ロベリアを困らせているだけだということは承知しているが、それ故に、最早、意地とか根比べとか、そういったものだと思う。命令だと言えばロベリアは従ってくれるだろうが、それでは意味がないのだ。

 気を取り直し、ツェリは正面の建物へ踏み入る。季節がいいからか、木製の頑丈そうな扉は開け放たれていた。内部は窓が大きく取ってあり、想像していたよりも明るくてツェリは少しだけ安堵した。

 待ち構えるように立っていた、眼鏡をかけた壮年の女性が一礼する。彼女が受付担当なのだろう。

「確認のためにお名前をお呼び申し上げることをお許しください。ツァウラメラ・バルトヘルム様でいらっしゃいますか」

「はい」

 ツェリが首肯すると、受付の女性はロベリアにも問う。

「そちらが、護衛官のロベリア・アルゴル様」

「そうです」

 受付の女性は柔和な笑みを浮かべた。

「シーグルム王立学院へようこそお越しくださいました。―――この後すぐに、ツァウラメラ様には学長と寮監ハウス・マスターより学院での生活についての説明がございます」

 女性は言いながら手で方向を示した。

「この建物をお出になられて左手側に回り込んでいただくと、中央棟がご覧になれるかと存じます。鐘楼が目印です。入口で案内の女子生徒がお待ちしておりますので、御一緒に三階の学長室へお向かいください」

「わかりました」

 ツェリが頷くと、女性はロベリアへ顔を向ける。

「ロベリア様はこの奥の事務局へ。廊下を進むと係員がおります」

「待ってください、中央棟へはツァウラメラ様お一人で?」

 慌てた様子でロベリアが遮るが、慣れているのだろう、女性は眉一つ動かさない。

「当学院は生徒の自立の精神を重んじております。学院の敷地は広大ですから、慣れていただくためにもお一人で向かっていただくことになっております」

「ですが」

「大丈夫です、一人で行きます。わたしも早く慣れたいですし。ね、ロベリアさん」

 更に言い募ろうとするロベリアを止めると、彼女は困った様子で眉を下げた。

「お言葉ですが、学院の警備の全容が把握できないうちにツァウラメラ様をお一人に……」

 受付の女性がやんわりと遮る。

「大切なご子息、ご息女をお預かりするのですから、警備には万全を期しております」

 留学生といえども特例は認められないということだろう。ツェリは精一杯の笑顔をロベリアに向けた。

「わたしは一人で平気です。きっと、これからも常に一緒というわけにはいかないでしょうから。勿論、一緒の方が心強いんですけど」

 ロベリアはしばらく無言でツェリを見つめていたが、やがて頭を垂れた。

「……畏まりました。仰せのままに」

「ありがとう。……えっと、中央棟でしたっけ?」

 女性に問えば、彼女は首肯した。

「はい、鐘楼へお向かいください。すぐにおわかりになるかと存じます。入口に案内係の女子生徒がおります。学長室まではその生徒がご案内いたします」

「わかりました」

 ロベリアの心配そうな視線を感じながらツェリは受付の建物を出た。

(ええと、鐘楼……ああ、あれかしら)

 言われたとおりに左手側に回ると、それらしきものはすぐに見つかり、ツェリは歩き出した。左右を植え込みに挟まれた石畳が先に延びている。

 植え込みは梔子くちなしらしく、咲き残りがちらほらと芳香を放っている。花がらは一つも見当たらず、よく手入れされているようだ。

 何の変哲もないように見える石畳は、色々な文様が彫られたものがさりげなく配置されていて、歩くだけで楽しい。木立に紛れるように立っている外灯も、シンプルに見えて細かい装飾が施されている。ここの設計者は、細部に拘る性格なのかもしれない。

 見るものがすべて新鮮で、半ば見物気分で歩いているうちに、いつの間にか周囲を木々に囲まれていることに気付いてツェリは目を瞬いた。

(あれ? ……こっち、よね? 多分)

 首を捻りながら、ツェリは足を進める。石畳の道を歩いていたはずが、いつからか舗装がなくなっていた。進むごとに木々の枝葉も濃く、下草の丈も高くなる。そろそろ目的の場所についてもいいはずなのに、それらしき建物は視界に入ってすらいない。目指していたはずの鐘楼も見えなくなってしまった。

「あれ……?」

 もしかして逆だったのだろうかと足を止め、戻ろうと振り向いたときには時既に遅く、視界は木に遮られて目印になるようなものは何もない。

(受付の左を回って……、向こうからきたんだから、戻れば……いや、こっち?)

 きょろきょろと周囲を見回している間に完全に方向を見失い、ツェリは途方に暮れた。

 最近はずいぶん日が短くなった。やがて日没を迎えるだろう。このまま森のような場所で日が暮れ、あてどなく彷徨さまよった挙句に池に落ちでもしたらと思うと、ぞっとしない。

(やっぱりロベリアさんについてきて貰えばよかったかな……)

 遭難という言葉が頭を過ぎり、強くかぶりを振る。その可能性が思い浮かぶほど、学院内は広い。

 学院で遭難などということになったら、ツェリが行方不明だと大騒ぎになり、職員総出で学院中を探され、兄に連絡が行き―――とまで考え、頭を抱える。

(それだけは……! ただでさえ大変そうなのに!)

 早く戻らなければならない。敷地からは出ていないのだから、歩いていればどこかの建物、あるいは外壁に行き着くはずだ。なんにせよ、ここで突っ立っている場合ではない。

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