一章 4

 4


 月日は矢のように過ぎ、あれよあれよという間に出立の日を迎えた。

 幸い、今日は朝から晴れている。城門前にはツェリに同行する護衛たちと、見送りにきてくれた人々が集まっていた。

「休暇の土産話を楽しみにしているよ。身体に気をつけてな」

「ええ、イール兄様もお元気で」

「手紙を待っているよ」

「必ず書くわ。ルート兄様も書いてね」

「何も心配はないと思うが、何かあったら学長に相談するんだよ」

「わかったわ、シーエ兄様」

 ツェリに頷き返し、レシエンツァは上着の隠しから何かを取り出した。

「これを」

「……腕輪?」

 レシエンツァが差し出したのは銀の腕輪だった。小指の半分ほどの細さで、つたと小花の意匠が彫り込まれ、花芯には極小さな赤い石があしらわれている。

「可愛い、いただいいていいの?」

「ああ。お守りだ」

「ありがとう。大事にするわね」

 軽く頷いたレシエンツァは、横に視線を滑らせた。

「ロベリア、ツェリを頼むよ」

「御意。姫様の御身おんみは、この命に代えましてもお守り申し上げます」

 ロベリアはひざまずいてこうべを垂れた。黒茶の髪を顎の線で切りそろえた紫紺しこんの瞳の女性は、アールヴレズル国軍隊長格であることを表す搗色かちいろの制服を纏っている。

 レシエンツァは苦笑めいた表情を浮かべて軽く片手を挙げた。

「立ちなさい。そう畏まるな。跳ねっ返りの世話で苦労をかけるのだからね」

 短い返事をしてロベリアが立ち上がるのを待ち、ツェリは膨れて見せた。

「誰が跳ねっ返りよ、失礼ね」

「では、おてんばと言い換えようか。ロベリアが融通の利かない堅物だから丁度いいかな」

「シーエ兄様。そんなにわたしたちを怒らせたいの?」

 覗き込むように睨んでやれば、国王は声を立てて笑った。その間もロベリアは直立不動の真顔でツェリの脇に控えている。

 ロベリアはアールヴレズル国でも武門の名家として知られる、アルゴル子爵家の出である。数少ない女性武官の中で最も若いので選ばれたのだろう。無論、道中は彼女以外にも護衛はつくのだが、学院に留まれるのは護衛官一人のため、ロベリア以外はツェリを送り届けてすぐに帰ることになっている。

 ツェリは兄たちの後ろに控えめに立っているマリリアーナを見た。

「マリナ、約束守ってね。きっとよ」

「はい。ツェリ様もお元気で。道中の無事をお祈りしております」

「ありがとう」

 ツェリは微笑むマリリアーナへ笑みを返し、長兄に向き直った。

「それでは、行って参ります」

 最後に家族とそれぞれ抱擁を交わして、ツェリはロベリアと共に馬車に乗り込んだ。見送りに出てくれた大勢の人へ、窓から手を振る。

「いってらっしゃいませ、ツェリ様ー!」

「お元気でー!」

 沿道の人々からも声がかかり、ツェリは精一杯の笑顔で応えた。麦の刈り入れ忙しいだろうに、わざわざ見送りにきてくれた気持ちが嬉しい。

 次にこの地へ帰るのは、五箇月ほど先の冬期休暇のときだ。しばしの別れだが、ツェリはしばらく窓から離れられなかった。



     *      *     *



 扉が叩かれたので、彼は長椅子から起き上がりながら返事をした。一拍置いて扉が開き、絵画から抜け出してきたのように美しい少女が入ってくる。

 彼女は部屋を見回してから首を傾げた。

「あら、今日はライだけですの?」

 ライと呼ばれた少年は首肯する。

「ソールは遅れるってよ。アルトはソールがいないならってどっか行った。多分図書室」

「そう……困りましたわね。お話がありましたのに」

「珍しいな、セラが話だなんて」

 少女―――セラは何も言わずに小さく息をついて、ライの向かいにある椅子に腰かけた。テーブルに置かれているティーセットに目を止めて言う。

「いただいてもよろしいかしら」

「いいけど、もう冷めてると思うぞ」

「構いませんわ」

 セラは開いているカップに冷めたお茶を注ぐと、口をつけた。彼女がカップを下ろすのを待ってライは問う。

「話って?」

「……そうですわね。この際、ライだけでも」

「そりゃどういう意味だ」

「他意はなくてよ、一度で済ませられた方が楽だというだけ」

 にっこりと、彼女のことを知らなければ騙されてしまいそうな笑みを、セラは浮かべる。

「先程学長から直々にお話があんたのですけれど、留学生がいらっしゃるそうよ。今月の末にごろに到着する予定ですって」

「また中途半端な時期だな。どこの誰だ?」

「アールヴレズル国の王妹おうまい殿下ですって。年はわたくしと同じ十六」

「アールヴレズル……って、あれか? 世界樹の」

 今でこそ地方の小国だが、かつてアールヴレズル国は国土の中央に世界樹をいだき、大陸を手中にしていた時代があった。世界最古の国家として、現在でも諸国から一廉ひとかどの敬意を払われている。

 およそ二百年前、世界樹が突然枯れた時は世界が滅びるのではないかと大騒ぎになったらしいが、今でも世界は存続している。

 度々世界史に出てくる国ではあるが、シーグルム国とはさほど縁がなかったはずだ。なぜわざわざ、とライは首を捻った。すると見透かしたようにセラが言う。

「学長のご親戚が、アールヴレズル王弟殿下のご正室なのですって」

「へえ、学長の伝手か。それじゃあ無碍むげにできないわな。―――しかし、王妹ねえ。一悶着ありそうだな」

「あら、どうして?」

「だってさ、昔は繁栄してた、歴史ばっかり古い国のお姫様だろ? お高くとまってそうじゃないか」

「先入観で物を言うのではなくてよ、ライ。どんなかたかは、お会いしないとわからないわ」

 正論を言うセラへ、ライは何も言わずに首を竦めた。セラは続ける。

「そのかたの、お世話係を頼まれてしまったの。留学生が到着なさったら、しばらくここへは来られないと思うわ」

「話って、それか。わかった、ソールとアルトにも伝えとくよ」

「お願いいたしますわ」

 一つ息をつき、セラは片手を頬にあてた。

「学長のご期待は嬉しいのですけれど……わたくしが、王妹殿下のお相手などできるかしら」

「大丈夫だろ。適任じゃないか」

「適任と言われましても。たしかに、わたくしは今、同室のかたがいらっしゃいませんけれど」

 寮は、学年にもよるが、大抵二人か三人部屋だ。セラは二人部屋で、先月、同室の女子生徒が家庭の事情で学院を辞めたため、今は一人で部屋を使っている。貴族の子女が多く集まるシーグルム王立学院は、生徒が途中から編入したり、何らかの事情で退学したりというのは珍しくない。

「そうじゃなくて、学長たちからの信頼が厚いってことさ、セラなら留学生がどんな相手でも、なんだかんだ上手くやるだろ」

「買い被りです。ご期待にはお応えしようと思うだけですわ」

「そういうとこ。俺やソールには無理だもんな」

「皆、得意な分野と不得意な分野ははあるでしょう。わたくしにライのような行動は無理ですもの」

「そりゃ、セラが俺みたいになったら学院がひっくり返る騒ぎになるだろうな」

 気分で授業の出席を決めたり、試験で軒並み不合格だったりというセラは、まるで想像ができない。教授陣が卒倒してしまうかもしれない。

 ライの表情を読んだか、セラは小さく笑んだ。そして、声を潜めて続ける。

「つかぬことをお訊きしますけれど、ライは『世界樹』と聞いて何を思い浮かべますか?」

「世界樹? ……そりゃ、アールヴレズル国だろ。さっき言ったけど」

 深く考えずに返せば、セラは一つ頷いてから質問を重ねた。

「では、『世界樹を手に入れた』と耳にしたら?」

「手に入れた、か。何か、アールヴレズル国王と密約でも交わしたかと思うな、俺は」

「なるほど、密約」

「それが?」

「参考になりましたわ。ありがとう」

 ライの問いには答えず、セラはにっこりと微笑んだ。しかし、すぐに渋面になって周囲を見回す。

「そうそう、わたくしが来られない間にこれ以上部屋を荒らしたら承知しませんわよ」

 テーブルの周りはまだしも、作業台のあたりは木片や紙、謎の部品などが散らばっている。ライは特に気にならないのだが、綺麗好きなセラにはそれが耐えられないらしい。

「ああ……、まあ、善処する」

「承知し、ま、せ、ん、わ、よ」

「……はい」

 返事をすると、セラは満足げに頷いた。

「では、わたくしは戻りますわ。お茶をご馳走様」

 言い置いてセラは部屋を出ていく。扉が閉まるのを待って、ライは再び長椅子に寝そべる。

(こんな時期に留学生なんて、絶対に理由わけありだよな……)

 夏の休暇が終わったばかりだ。どうせなら、休暇明けに合わせればよかっただろうに、間に合わなかったということは、よほど急に決まったのだろう。しかも、冬期休暇まで待てなかった。それで特別な事情がないわけがない。

(あんま関わらないようにしよ)

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