一章 2

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「突然だが、ツェリ。留学と修道院、どっちがいい?」

「突然すぎて話が見えないわ、シーエ兄様」

「ちなみに留学はシーグルム王国だ。あそこは広いが山が多い」

「西の方にある国ね、イール兄様」

「修道院だと北のホリジア国だ。雪が多いぞ」

「わたし、寒いのは苦手なのよ、ルート兄様」

 挨拶もそこそこに口々に言う兄たちに返し、ツェリは眉を顰めた。

「で、何がどうなってるの、兄様たち。イール兄様とルート兄様がいらっしゃったのはどうして? 修道院とか留学とか、なんの話?」

 レシエンツァが、代表するように大きく溜息をついた。

「ちょっと。溜息じゃなくて答えていただきたいのだけれど。具体的に」

 ここはレシエンツァの私室である。四人だけが集まり、他は誰もいない。レシエンツァが人払いをしてしまった。大抵は侍女や侍従、側近がいるので、きょうだい水入らずというのは非常に珍しい。しかし、つまりはそれほどに非常事態だということで、ツェリは素直に喜べないでいる。

「……わかった。回りくどいことは抜きにして、単刀直入に言う」

 一呼吸おいて、レシエンツァは重々しく告げた。

「フルーフ国から、ツェリへの縁談が申し込まれた」

「……は?」

 ツェリには時が止まったように感じられた。長兄、次兄、三の兄を順に見る―――三人とも、至極真面目な顔をしている。

「はぁぁぁぁぁあああああ!? 今!? なんで!? こないだリーシャに縁談があったばかりじゃない!」

「リーシャはヴィレスト国からだ」

「それは知ってるわ、シーエ兄様! フルーフ国ってヴィレストの東隣でしょ? そんな偶然ある!?」

 アールヴレズルから見てヴィレストは東隣、フルーフはその更に東に位置する。その二国から立て続けに縁談が持ち込まれるなど、偶然などとは思えない。

 レシエンツァはかぶりを振った。

「偶然じゃないだろうな。リーシャの縁談が漏れたんだろう」

「それで対抗してってこと!? 冗談じゃないわ!」

「そうだ、冗談ではない。可愛い姪っ子のみならず、可愛い妹までも」

 ツェリは口を挟むシュツィルを睨む。

「イール兄様、冗談を言っている場合ではないのよ」

「冗談なものか。輿入れとは名ばかりの人質だぞ」

「……え?」

 眼を見開くツェリの向かいで、リツェルトが腰を浮かしかけた。

「イール兄上。それは」

「ツェリとて、最早子どもではない。納得してくれねば、聞いてくれぬだろう」

「イールの言うとおりだ」

 リツェルトとツェリに座るよう手で示し、レシエンツァは言う。

「だが、本人の意思も大事だ。どうする、ツェリ。話を聞いてから選ぶか、聞かずに選ぶか」

 長兄にまっすぐに見つめられ、気圧けおされたツェリは目を瞬いた。普段はふらふらと掴みどころのない兄だが、それだけで国王が務まるはずがないのだ。

 ほんの少しだけ考えて、ツェリは答える。

「聞いてからにするわ」

「よろしい。イールとルートも、いいな」

「兄上とツェリがいいというのに、私からいなやはないよ」

「同じく」

 頷く弟二人に頷き返し、レシエンツァは話し始めた。

「変な話、ツェリの縁談が持ち込まれてリーシャの縁談が腑に落ちたんだ」

「……どういうこと?」

「おそらく、ヴィレスト国はフルーフ国と戦をするつもりだ」

「戦……って、戦!? どうして!」

「建国当初からあの二国は仲が悪い。もともと一国だったのが、喧嘩別れして二国になったのはツェリも知っているだろう」

「知ってるけど……分裂したのって一〇〇年くらい前の話でしょ」

 ツェリが生まれる前に、何度か戦をしていたらしいことは聞き及んでいる。だが、ここ二十年ほどは小康状態にあり、戦の気配はなかったはずだ。何故今急にそんな話になるのだろうと、ツェリには解せない。

 表情を読んだのか、レシエンツァが言い添える。

「ヴィレストの国王は年だからな。死期を悟って、一花咲かせようと思ったか、死なば諸共潰してやろうと思ったか」

「何よそれ……冥途の土産にってこと!? 人の命をなんだと思ってるのよ、許せない!」

「聞きなさい。本題はこれからだ」

 レシエンツァの話を乱暴に要約すると、こうだ。

 ヴィレストの国王、バドル三世はおそらくこう考えた。フルーフ国へ戦を仕掛けたい。しかし、察知したフルーフ国がアールヴレズル国と同盟を結び、挟撃きょうげきされては困る。アールヴレズルの末姫を妃として迎え入れておけば、アールヴレズルはおいそれとは動けまい。同盟ではなく縁談にしておけば、フルーフ国も表立って横槍は入れられまい。

 しかしフルーフ国は、まだほんの一握りの人間しか知らないはずの、リーシャの輿入れの情報を手に入れた。これを額面通りに受け止めるはずもなく、ヴィレスト国が開戦に向けて地ならしをしていると判断したのだろう。

 フルーフ国としては、ヴィレスト一国を相手取るならばともかく、アールヴレズル国も加わるとなると厄介だ。ならば、まだ輿入れをしていない王妹をもらっておこうと考えた。

「詳細は探らせているが、十中八九こんな感じだろう。ツェリの相手は同い年のフルーフ国第二王子だそうだから、フルーフの方が良心的と言うか、常識的と言うか、なんとしても縁談を成立させたがっていると言うか」

「フルーフの東は海だ。できればヴィレストの周辺諸国と同盟でも不可侵条約でも交わして、包囲しておきたいだろうさ」

「後ろを取られないのは強みだけど、後退できないってことでもある。ヴィレストに海軍はないが、海洋国家と組まれたら厄介なことになるね」

 口々に言う兄たちの話を聞いたツェリは全身を戦慄わななかせた。

「そう……それで人質……」

 元凶はヴィレストの国王だ。自分勝手な理屈で戦を起こそうとしている老人を、できることなら殴りに行ってやりたい。

 握りしめた拳を震えさせるツェリとは裏腹に、レシエンツァは淡々と告げた。

「到底受け入れられる話ではない」

「……随分落ち着いているのね、シーエ兄様」

「落ち着いている?」

 ツェリの八つ当たり気味の言葉に、レシエンツァは片頬だけで笑った。テーブル上で組み合わせた手に筋が浮き、震える。

「こう見えてはらわたが煮えくり返っている。娘と妹を軽んじられて許せるわけがなかろう。死にかけの老人の思い出作りになど付き合っていられるか。できることなら二国とも焼き尽くしてやりたい」

 レシエンツァの背後に黒い炎のようなものが見えた気がして、ツェリは慌てて口を閉じた。余計な事を言うものではない。

「聞かなかったことにいたします。シーエ兄上が言うと洒落になりません」

 ため息混じりに言うリツェルトに、シュツィルが頷く。

 一度深呼吸をして、レシエンツァは続けた。

「縁談は両方とも、まだこっそり耳打ちされた程度だ。今なら、最初からなかったことにできるだろう」

「……断って大丈夫なの?」

「そのために時間が欲しい。リーシャは病を得たことにする。ユーファと一緒に静養に出してもいいかもな。―――ツェリは、しばらくの間この国を離れてくれ」

 それで修道院か留学かということになるのかと、ツェリはようやく納得した。

「わたしはアールヴレズルにいないほうがいいのね?」

「強硬手段に出られるのは避けたい。ツェリとフルーフ第二王子を引き合わせるために、公式に何かの宴に招待されたり、向こうからやってきたり……最悪、誘拐の可能性もある」

「……なるほど」

 招待なら断る余地もあるが、誘拐されてはどうしようもない。勝手に連れ去っておいて、身柄を保護しただのなんだのと適当な理由をつけるのはよくある話だ。

「そこで、最初の質問に戻るのだが、ツェリ。留学と修道院、どちらがいい?」

「急に言われても……」

 首を傾げながら、ツェリは次兄と三の兄の言葉を思い出す。

「イール兄様、留学はシーグルム国って言ったわよね」

「うん? ああ、シーグルム王立学院だ。あの国は教育に力を入れているし、イールの妻の従兄弟いとこ叔父おじが学長をしていて、話が通りやすいからな」

「そう……ルート兄様が、ホリジア国の修道院と言ったのはどうして? 修道院ならいろいろな場所にあるけれど」

「何、私の妻が昔そこにいたからね。院長と懇意なのさ」

「……どっちも義姉ねえ様たちの伝手なのね」

 あとで義姉あねたちにお礼の手紙を書こうと思いながら、ツェリは結論を出せずに首を左右に振った。

「少しでいいから、考える時間をくれないからしら」

 これにはレシエンツァが応える。

「いいだろう。だが、あまり迷っている時間はないんだ。明日までに決められるか?」

「……わかったわ」

 日をまたぐとはいえ、そろそろ夕方という時分である。もう少し時間が欲しかったが、あまり我儘を言って兄たちを困らせるわけにはいかないと、ツェリは承服した。そして、最も気にかかっていることを尋ねる。

「シーエ兄様、一つ訊いてもいい?」

「なんだい」

「お金はどこから出るの?」

 ツェリの一言に、三人の兄は固まった。

 アールヴレズル国は貧乏である。王妹一人とはいえ、しばらくの間国外に出すのであれば相応の費用が掛かる。常に逼迫ひっぱくしているような国庫から、更に出させるようなことは防ぎたい。

 兄たちは顔を見合わせて、何やら頷き合った。レシエンツァが口を開く。

「費用のことは心配するな。ちゃんと考えてある」

「本当に? どこから出るの? ……まさか借金なんてことはないでしょうね」

「貧乏だが借金がないのが我が国のいいところだぞ。大丈夫だ、国王の言うことを信じなさい」

 苦笑いで言うレシエンツァを、都合のいい時だけ国王面しないでほしいと思いながら見ていると、横からシュツィルが口を挟んだ。

「しっかり者だなあ、ツェリは。どうだい、外に出るついでに婿がねを見つけてきては。できればお金持ちの」

 ツェリは軽口を叩く三の兄を軽く睨む。

「修道院にしても、留学するにしても、遊びに行くわけではないのよ、ルート兄様。大体、こんな貧乏国にお婿さんにきてくれる物好きな人なんているかしら」

「そこはほら、貧乏だということは隠して、王妹というところを前面に出していこう。王族との繋がりを欲しがっている人間は存外たくさんいるものだよ」

「あまりそういう人とは縁続きになりたくないのだけれど……と言うか、貧乏を誤魔化してお婿さんになってもらうのは、最早詐欺に近いと思うの」

 溜息をつくツェリに苦笑し、レシエンツァが話を引き取った。

「婿がねはさておき、今の話は正式に決まるまで内密にな」

「ええ……あ、でも、マリナにも言っては駄目?」

「マリリアーナか……構わないが、彼女には口止めをしておくように。それと、知ってしまったら、情報が漏れた時に疑いの目を向けられるということも覚えておきなさい」

「……わかったわ」

「では、今日はここまでだ。戻りなさい、ツェリ。我々はもう少し話すことがある」

「はい。失礼します」

 もう少し言いたいことがあったが、ツェリは素直に引き下がった。考えなければならないことがたくさんある。

(留学に修道院……まさか、こんなかたちで国を離れることになるなんて)

 無論、永遠にというわけではないだろう。だが、不意に寂しくなってツェリは歩きながら胸元を押さえた。

 とりあえず自分の部屋に戻ろうと廊下を急いでいると、見知った顔と行き会った。

「おや、ツァウラメラ殿下。ご機嫌麗しゅう」

「こんにちは、アジュガ卿」

 兄の側近の一人であるアジュガ侯爵は、ツェリを見て首を傾げた。

「どうなさいました、浮かないお顔をなさって」

 そんなに顔に出ていただろうかと、ツェリは慌てて笑みを作った。

「大丈夫です。ちょっと考え事を」

「それならいいのですが。お一人ですかな? 物騒ですな」

「物騒……?」

 思わず繰り返せば、アジュガはいかにも失言だったというふうに口元に手を遣った。慌てた様子で話を変えられる。

「そうそう、陛下はお部屋でしょうか」

「お部屋にいらっしゃいましたけれど、兄弟三人だけで話したいことがおありのようなので、まだかかると思います」

「そうですか、承知いたしました。ツァウラメラ殿下におかれましても、どうぞ御身おんみをお大事になさってください」

「ええ……ありがとうございます」

「では、これにて」

 一礼したアジュガはたるのような腹を揺すり立てて去っていった。それを見送りながら、ツェリは胸中で首を傾げる。

(物騒とかお大事にとか、どういうこと……?)

 もしかしたらアジュガは縁談のことを知っているのかもしれないが、知らない可能性がある限り、ツェリから尋ねることはできない。

 釈然としないものを抱えつつ、ツェリは再び歩き出した。マリリアーナに相談してみようと思う。

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