一章 1

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「ツェリ様、こっちこっち!」

「ずるい、ツェリ様はあたしと一緒にするの!」

「待って待って、喧嘩しないで。順番ね」

 女の子たちに両腕を引っ張られてツェリは笑いながら二人を止めた。すると、別の子どもに後ろから抱きつかれる。

「ツェリ様、僕のとこにも来て!」

「こらー! あんたたち、ツェリ様が困ってらっしゃるじゃないの!」

 見かねたように怒声が飛んできて、子どもたちは首を竦めた。

「アミ! ナミ! ルカ! ちゃんと自分の仕事をしなさい! 駆け足!」

『はーい』

 声を揃えて返事をし、子どもたちはそれぞれの畑へ戻っていった。声を上げた女性―――子どもたちの母親は、ツェリへ向かって丁寧に頭を下げる。

「申し訳ありません、ツェリ様。無作法な子らで」

「いいえ、わたしがお邪魔してるんですもの。それに、子どもは元気なのが一番です」

「お邪魔だなんてそんな。ツェリ様がいらっしゃるおかげで、子どもたちは喜ぶし、わたしたちも張り合いが出るって、皆嬉しいんですよ」

「そう言っていただけると、わたしも気が楽になります。さ、今日の分を片付けちゃいましょう」

 恐縮する母親に笑い返し、ツェリは仕事へ戻った。

 今は麦の収穫の最盛期だ。風が吹くたびに実った麦の穂が揺れて、黄金色の波を作る。一日でも眺めていたいが、一番いい時に収穫してしまわないと、いつ大風があるかわからない。

(今年も豊作ね。よかった)

 アールヴレズル国は、貧乏である。

 歴史こそ最も長く、大陸を席巻した時代もあったらしい。しかし、およそ千年の間に領土は削り取られ、分離独立し、今では全盛期の十分の一にも満たない。特筆すべき産業もなく、ただ古いだけの小国として、幸い土地は起伏が少ないので農業を軸に細々と暮らしている。

 王族とて例外ではなく、必要以上の浪費は許されない。贅沢などもってのほか、食卓に肉が並ぶのは客をもてなす時くらいである。

 何某なにがしかの足しになればと、ツェリは時間があるときは城下の畑へ出て農作業を手伝っている。ツェリが市井しせいの人々に混ざって畑に出るのに眉を顰める者もいるが、言いたい人には言わせておけばいいと思っている。矜持で腹は膨れないのだ。

「ツェリ様ー! ツェリ様はいらっしゃいますかー!」

 呼ぶ声が聞こえて、刈り取られた麦を束ねていたツェリは顔を上げた。見れば、侍女がツェリを呼びながら首を巡らせている。

「マリナ! マリリアーナ! ここよ! こっち!」

 返事をして手を振ると、侍女が振り返った。ツェリ付きの侍女、マリリアーナはスカートをさばきながら小走りにやってくる。

「どうしたの、マリナ。そんなに慌てて」

「すみませ……けほっ、けほん!」

 ツェリのもとへ駆けつけた侍女は、顔を背けて咳き込んだ。少し前から咳が続いており、なかなかよくならない。今日も、本人は平気だと言い張るのを、いいから休んでいろと無理やり城に残してきたのだ。

 ツェリはマリリア―ナの背中をさすってやる。

「大丈夫? ゆっくり息をして」

「はい……申し訳ありません」

 呼吸を整えたマリリアーナは、姿勢を正してツェリを見た。

「レシエンツァ陛下がお呼びです。すぐ城へお戻りになるようにと」

「兄様が? 何かしら、珍しいわね。すぐ戻るわ」

 ツェリは首を巡らせた。先程の女性が近くにいたので、声をかけて道具を返し、マリリアーナと共に帰途につく。

「けほっ……すみませ……こん、けほん!」

「無理に我慢しないで。本当に大丈夫?」

 咳をするマリリアーナの喉からは、ひゅうひゅうと嫌な音がする。重ねて謝ろうとするのを止めて、ツェリは侍女を覗き込んだ。

「ねえ、マリナ。やっぱり宿下がりしたら?」

「お言葉ですが……」

「絶対ただの風邪じゃないわよ。わたしのことは気にしないで、休んで」

 ツェリ付きの侍女はマリリアーナしかいない。自分でできることは自分でするようにしているが、どうしてもマリリアーナ一人に負担がかかってしまう。体調を崩しても無理をさせてしまうため、治りにくいのだ。

 マリリアーナは首を縦に振らない。

「大丈夫です。薬を処方してもらいましたし、きちんと飲めばじきによくなると」

「そうは言っても、もう半月も咳してるじゃない。ゆっくり休んで、ちゃんと治した方がいいわ」

「前よりはだいぶよくなりましたから」

「……んもう、頑固なんだから」

 唇を尖らせ、ツェリはぷいと顔を背けた。マリリアーナが苦笑いをする気配が伝わってくる。

「ツェリ様には負けます」

「な、そんなことないわよ。マリナの方が頑固だわ」

「いいえ、わたくしなどとてもとても」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 侍女とはいえ、マリリアーナとは幼いころから一緒にいるため、同年代の友人のいないツェリにとっては幼馴染か姉のような存在だ。

「シーエ兄様、何の御用かしら」

「わたくしはうかがっておりませんが、先程シュツィル様とリツェルト様がお着きになりました」

「ええ!?」

 兄が全員揃っていると聞いて、ツェリは声を上げた。

 ツェリにはアールヴレズル国王のレシエンツァをはじめ、年の離れた兄が三人いる。幼いころは一緒に育ったが、長じてからは全員集まるのは年末年始くらいだ。それが顔を揃えるなど、ただごとではない。

「何かあったの……?」

「申し訳ありません、わたくしには……」

「ああ、ううん、独り言よ。謝らないで」

 祝い事ならいい。けれど、それならばツェリにも事前に教えてくれそうなものだ。急遽三人が集まるということに、どうしても悪いことばかり考えてしまう。

(兄様たちに直接訊くのが一番早いわね。なんでもないといいのだけれど)

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