第十一夜
2月5日
二月一週目の土曜日。
まだ何の糸口も見付けられていないまま、俺は自宅の机に向かっていた。
次の半月、『弓の月』は三日後の八日と二十四日。
それまでに、渡り廊下の怪異の謎を解かなくてはならない。
有馬先輩が卒業するまでには、あと計三回の半月がある。あるにはあるが、次の半月は丁度学年末試験に日付が被ってくる。
卒業を控えた三年は既に旧年中に最期の試験を終え、有馬先輩や宮城先輩を含めた殆どの人間がもう進路を決定しているため、二月に入ればもう高校の成績など関係の無い話だが、俺にとっては死活問題だった。
だからこそ今、俺は休みの日の時間を注ぎ込むようにして勉強をしていた。
七不思議の事を考えなくてはならないのも山々なのだが、煮詰まっている状態でただ頭を巡らせても無駄なだけだ。
それに、もう相談できる人もいない。
俺は極力七不思議のことを頭から追い出し、スケジュールをたて、ひたすら参考書と向き合う。
実際問題、この一年間、徐々に俺の成績は落ちていた。
一応は上位成績をキープしているものの、このまま低下し続ければ来年が危うい。
「んーっ、……そろそろ時間か?」
集中状態を解き、大きく伸びをして時計を見る。
自分でたてたスケジュールではそろそろ教科を切り替える時間だ。同じ教科をずっと続けていると問題を解くテンポが低下するため、数時間で教科を変えるように設定している。
ついでに飲み物も補充しようと、立上がり階下に降りると、ガサゴソというまるで家捜しでもしているような音が聞こえた。
「何やってるんだ?母さん」
音の出処を確認すると、丁度降りてきた階段の下の倉庫部屋に座り込み、母親が何かしているようだった。
片付けでもしているのか、とも思ったが、つい少し前年末の大掃除でも掃除したはずだ。こんな直ぐに片付けをしなくてはならない程でもない。
「あ、心?ちょっと探し物してるのよ」
案の定、倉庫部屋に頭を突っ込んだまま、そんな返答が返ってくる。
俺は、朝食を食べてからずっと部屋にこもって勉強に勤しんでいたので、いつからこうしていたのかは知らない。
だが、倉庫部屋には整理こそされてるものの色んなものが詰め込まれている。動かすには重い物だってある。
「何、探してんの?」
いくら勉強が大切だからといって、流石にスルーするわけにもいかないだろうと、ダイニングにコップを置いて、階段の下へと回り込む。
「お父さんがね、必要な資料を送って欲しいって言うから……」
「ふーん……」
昨年大怪我をして入院していた父親は、あんな大怪我をしたのが嘘だったかのように、元通り海外を飛び回っている。
年末から正月の参賀日こそ家に帰ってきていたものの、直ぐにヨーロッパだかに出ていった。
「何か手伝おうか?」
「有難う。多分、この下の箱だと思うんだけど……上のが重くて。これ降ろしてくれる?」
他の思い当たる節は既に探し終えたのか、最奥に積まれた段ボールの箱を示された。
「……ん。解った」
言われるがまま、脇に避けた母親の示す先にある箱に手をかける。
重い、とは言われたが予想以上に重い。
三十キロくらいあるんじゃないだろうか?
本か何かが詰まっているんだろうが、男の俺でも辛いくらいだ。母親では厳しいだろう。
いや、例え男でも帰宅部でもやしっ子の俺では正直キツい。抱上げるようにした両腕の筋肉が悲鳴をあげている。
下に降ろすのが精一杯だった。
「ありがとう~、心」
小さく称賛の拍手を送り、母親は目的の箱へと向かう。
そのままでは探しにくいだろうと思った俺は、流石にもう持上げる気力は沸かず、床を滑らすようにずらした。
ずらした際に、封がされていない箱の中が垣間見える。
やはり中身は本だ。大盤の本がご丁寧に箱一杯にぎっしり詰められている。
持上げた際に底が抜けなくて良かった。
「母さん、これ上に重ねないほうがいいって」
「え~?そう?時々見るから出しやすいとこがいいと思ったんだけど……」
目的の資料を探しながら、此方に目も向けずに母親はそう言った。
見なくても、一応は何が入ってるか把握しているようだ。
「時々見るって……何が……っ!?」
倉庫の最奥、そんなところに仕舞い込んでおいて時々見るとはどういうことかと、箱の蓋をぺらりとめくり…………息が詰まった。
私立福寿高等学校卒業アルバム。
親父の卒業アルバムだった。
藍色のスウェードのようなしっかりとしたその装丁は、父親の母校であり、俺が通っている高校の卒業アルバムだった。
手に取る。
材質こそ違うが、その深い藍は例の藍色の本を思わせる色だ。
「…………」
声を出せぬまま、重たい表紙を捲る。
探し物に集中しているのか、母親は俺がまだそこに残ってそれを引っ張り出して見ていることに気付いていないようだった。
「これは……っ!?」
表紙を捲った冒頭ですらないその頁で、思わず衝撃の声を漏らす。
そこにあったのは卒業アルバムでは割と定番な学校の航空写真が載せられていた。
俺が見た事の無い、建て替えが行われる前の福寿の航空写真。
リフォーム程度だったというB棟の位置を頼りに体育館、校庭、A棟、校門と辿っていき――――
「あったあった!これだわ」
やっと探し物を見付けたのか、母親が上げた声に息を詰めていた俺はビクリと飛び上がった。
「ん?どうしたの、心?」
異常に驚いた俺に、母親は今居ることに気付いたとばかりに声をかけてくる。
「あ、いや……」
「あ!それね~、やっぱり現役福寿生としては気になる?お父さんの卒業アルバム」
「まぁ……」
見ていることを気付かれた以上借りようかと思ったのだが、母親は隣に座り込んだ。
奪いこそしなかったものの、「お父さんのクラスはねぇ」とか言いながら、手を伸ばして頁を捲ってくる。
開いたばかりの航空写真だった頁が、教員一覧、部活、委員、クラス紹介と変わっていく。
「お父さんは四組、ほら、ここ!」
まるで我が事の様に、自慢気に言う。
そこには、今の面影を残したままの若い父の姿があった。
「この頃は学ランだったのよ。福寿は、この時には珍しかったホック式の学ランなの。私立って感じでしょ~?」
並んだクラス写真の制服は、黒地のホック式の学ランで、襟元から前の合わせ目にかけて赤いラインが入っていた。確かにこの時代にしては珍しいデザインなのかもしれなかった。
女子のほうもブレザーではなく、黒のセーラー服で赤いスカーフ。此方はメジャーなデザインなのかもしれないが、中学校とは一線を画すような私立高校らしい高級感を感じさせる雰囲気があった。
「お父さん、格好良いでしょ?今のほうがもっと格好良いけど」
母さんはそう言って、愛し気に若かりし頃の親父の写真を指先で撫でる。いくつになっても新婚気分なのは毎度のことだが、息子に堂々と良く言えるものだと思う。
そう言えば、少し前にこの頃から互いに知っていたという話を聞いていたことを思い出した。
「そう言えば、中学生の頃から親父と母さんは面識があったんだっけ……」
「そうよ、でもまさか大人になってからまた会うとは思ってなかったけどね」
「拓真さんに紹介されて付き合うことになったんだろ?でもさ、中学ん時は付き合うとか、そういうことにはならなかったわけ?」
以前年末だかにその話を聞いた時、母さんも少なからず親父に憧れを持っていたと言っていたし、親父も話した事の無い母さんの名前を覚えていたと言っていた。
息子が高校に上がる歳になった今ですら熱々ぶりは健在なのだから、互いに少なからず好意を抱いていたなら、付き合っていてもおかしくはない。
「……そうね。ならなかった」
「それはやっぱり、親友のことがあったから?」
両親の馴初めを根掘り葉掘り聞くのもいかがなものかとは思ったものの、なんとなく気になった。
「…………うん、そう。あの娘は本当に誠さんの事が好きだったから……」
母さんは、アルバムを撫でる指を止めて、僅かに愛し気だった眼差しを慈しむような遠いものに変えて、話し始めた。
「……同じ学校に行くためにすっごい勉強して、やっとの思いで合格して、入学したその日に手紙で告白までしたっていうのに、帰りに事故に遭って、返事も聞かないまま……」
止まっていた母さんのアルバムの上の指が、再び動いた。父の写真ではなく、女子生徒の制服をなぞる。
母さんの親友については、事故で亡くなった事は知っていたものの、詳しい話を聞くのは初めてだった。
「……昔っから、どこか抜けてるのよね、あの娘」
まるで、親友がまだ生きているかのように、母さんは泣き笑いのような表情でそう言った。
「……だからね、本当は誠さんが兄さんの知合いだって言うことは知ってたんだけど、私はずっと会わないようにしてたの……」
色々あったのだろう。口では好きではなかったと言ってはいたが、本当は親友と同じくらい、大人になっても忘れられないくらい好きだったのかもしれない。
「……でも、結局会うことになって、その後付き合うことになった時には、親友から誠さんのことを奪っちゃったみたいで……」
心底申し訳無さそうに呟く母親に、息子の俺がかけてやれる言葉は見当たらなかった。
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