1月20日


「復帰おめでとうございます」


「…………ありがとう」


 そう言って笑めば、柳瀬先輩は複雑な顔で僅かに口角を上げた。

 柳瀬先輩の停学は解除され、新学期を節目に復学した。

 冬休みを挟む形での停学だったため、成績優秀な彼が長期に渡り休んでいた本当の理由はあまり生徒達に知られずに済んだ。

 けれども、未だ放送室は封鎖されていて、放送部の活動は無期限休部に追い込まれていた。


「はい、柳瀬くん。ささやかだけど、復帰祝いよ」


 そう言って、宮城先輩が紙コップに注いだオレンジジュースを三つ、それぞれに配った。


「有馬先輩は…………?」


 コップを受け取り、杯を掲げようとしたその直前に、まるでどこかに隠れているのではないかと見回すようにして、柳瀬先輩は訊ねる。

 小柄だが、流石に大して広くない空き教室に誰にも見付からずに隠れていられることはないが、彼女ならそういったことを確かにやってしまうかもしれないと思えるのも頷けた。

 けれど勿論そんなことはない。

 純粋に、出席するはずだった有馬先輩は休みなのだ。

 朝から登校することなく、今日は休んでいる。


「ちょっと、あの娘具合悪くしちゃって」


 柳瀬先輩の問いに宮城先輩が答える。


「…………そうですか、それは残念です」


 有馬先輩は、夜の学校に共に検証に行った翌日から、学校を休むことが増えていた。登校しても、顔色が悪く、どこか虚ろで、無理して笑っていることが明らかだった。

 宮城先輩の話では、あの上弦の月の日を境に、頭の中で『渡り廊下、弓の月』という言葉が誰の声とも判らぬ声で繰り返され、それは耳鳴り、ひいては頭痛にすらなっているという。

 それはまるで、条件に則って夜の学校に赴いたにも関わらず、怪異を発現させられなかった罰を受けているかのようだった。

 なので、俺と宮城先輩はきちんとした確証が掴めるまで、有馬先輩は極力学校から遠ざけることにした。三月の卒業式まで、『弓の月』は残りあ四回。一月の下弦の月を逃してしまうのは惜しいことなのかもしれないが、また同じように夜の学校に忍びこんだところで何も起きないという同じ結果になれば有馬先輩の精神的なダメージは大きい。焦りも募る。ならば、きちんと確固たる調査と確信を得た上で二月に賭けようということになった。

 有馬先輩も、学校を休むことに同意した。幸い有馬先輩の進路はほぼ決まっていたし、一ケ月丸々休むでもしない限り出席率も大丈夫そうだった。何より、授業を受けていられない程、頭に響く声は厳しいものになっているようで、それなら自宅で休息を取りつつ、周囲に人の目がない状態で、以前俺がやったように文献や過去の資料から七不思議についてを調べているほうがまだ楽なようだった。

 それに、俺に例え調査が真相に辿り着けなかったとしても、あと少しすれば、『呪いの机』の力で有馬先輩が操られるように怪異に導かれることが解っていた。勿論それは最悪の場合だが、そうなれば『体験者』の役目は結実する。だから、次の『弓の月』の日には高知と同じようなことが起きぬよう、宮城先輩に有馬先輩の傍に付いていてさえ貰えばいいと思っていた。

 柳瀬先輩は思うところはあっただろうに、それ以上詮索はしなかった。

 完全に記憶が塗り替えられたせいなのか、以前の彼と見違える程、今の柳瀬先輩は自信を失っていた。おどおどとしていて、常に周囲をビクビクと気にしている。

 周囲の記憶変化としては、彼は突然の不審火に巻き込まれただけのままなのだが、彼自身の中では違うのかもしれない。学校が停学を言い渡した理由同様、自身が火を点けたという記憶が付け加えられているのかもしれない。


「でも、貴方が戻って来てくれて本当に良かった」


 話題を転換するように宮城先輩が言う。

 もう一月も後半。後、二ヶ月も無い短い期間で三年生は卒業だ。

 成績が優秀ということもあって、宮城先輩はまだ部活に残留しているが、本来ならもうとっくに引退していなければならない。

 そうなれば、放送部の部員は完全に柳瀬先輩一人になる。

 昼休みや集会時など、ある程度重要な役目があって、スポーツ推薦入学が多いため文化部の加入者が減る中で、それでも伝統があるからこそなんとか部としての体裁を保ってきた放送部。

 けれど今回問題を起こし、その上部員が一人ともなれば良くて同好会への格下げ、悪くて廃部となるだろう。

 それでも宮城先輩がそう言ったのは、現時点では柳瀬先輩が怪異の被害者だと解っていて、彼の経歴にいわれもない汚点が確実に残ってしまったことに同情を感じ得ないからなのかもしれない。

 実際に記憶としては宮城先輩の中でも柳瀬先輩が被害者だという認識はない。

 記録も何もかもが塗り替えられた中で、不自然に放送室で事故に遭い、入院を経ている苗字の頭文字の母音が『あ』である人物。

 その程度の認識しかないので、宮城先輩が本当のところどう思っているかは判らない。


「でも、このままじゃ部の存続は難しいですね」


 自嘲し、自分自身を追い込むように柳瀬先輩はそう言う。


「……そうね」


 これには、宮城先輩もフォローすることなく同意した。


「私はもうすぐ卒業。放送室は来年度の新入生が入る四月まで工事しない予定らしいわ。だから、放送部の存続は難しいわね。四月に新入生を部員として獲得すればもしかしたら再度部として成り立つかもしれないけれど……」


 きっぱりと言って、宮城先輩は柳瀬先輩の様子を窺うように一度言葉を切った。

 柳瀬先輩は、俯いていて、その視線に気付いたかは定かではない。

 結局のところ部外者である俺はそのやり取りを見ているだけで、口を挟むことは出来ようはずもなかった。


「それも、柳瀬くんの気持ち次第よ」


「…………そうですね」


「でも、私はどちらでもいいと思ってる。自分の所属していた部がなくなってしまうのは寂しいことだけど、柳瀬くんが可愛い後輩であることは変わりないことだから」


 始終視線を怯えるように動かし続ける柳瀬先輩を宮城先輩は優しく見つめそう言った。その言葉には同情が含まれているようには聞こえなかった。

 細やかな復帰祝いは、有馬先輩がいないこともあり、盛り上がりに欠けた状態で終わりを迎えた。

 別れる間際、柳瀬先輩に「もうすぐ学年末だから勉強を教えてくれないか」と持ち掛けた。

 一般入試組の定期試験は、生き残りをかけた激しい競い合いの場のため、生徒同士が共に勉強するなど殆んどない話だ。実際のところ、今までの試験では俺も一人で机にかじりついて、クラスメイトとすら一緒に勉強することは無かった。ましてや、先輩後輩となれば、先輩のほうに得るものは全くといっていいほど無い。

 けれど、柳瀬先輩は「勿論」と快諾してくれた。

 二人と別れた後、俺は屋上へと続く扉前の踊り場へと足を向けた。


「久しぶり」


 かける言葉を些か迷って、出てきたのはそんな曖昧な言葉。

 けれど、そこにあるのが久しい顔であるのは確かだった。


「心くん、……その、明けましておめでとう」


 彼女は彼女でやはり返す言葉に迷って、なんとも言えない中途半端な顔をする。

 屋上にくるのは、三ヶ月ぶり。運動施設の怪異を記録するために、時間を潰して以来のこと。

 でも、彼女、繭とこうしてここで待ち合わせたのは、もう随分前のこと。以降は調べものをするということもあって、図書室で会うことのほうが多かった。

 ただ、今日はなんとなくここのほうが良い気がした。それで昨晩の内にメールを送っておいたのだ。まぁ、彼女が来るかどうかは定かではなかったけれど……。


「ごめんね、ずっと連絡出来なくて……、その、どうかな?怪談のほうは……」


 気まずそうに、だけど時間を惜しむように、繭は話を切り出した。

 季節は一月。寒さが強くなる一方のこの時期に屋上なんて場所に足を運ぶ人はいない。


「順調…………とは言えない。進んではいるけれど、間に合うかはなんとも」


「そっか…………」


 俺が言葉を紡ぐ毎に繭は気まずそうな笑みを深めていく。

 自分から協力を申し出て、肝心な時に体調を崩してしまったことに気まずさを感じているのか、はたまたもう時間がないことに焦りと不安を感じてかける言葉を慎重に選んでいるのか…………。

 俺は、繭を座るように促し、自分も屋上への扉を背にするようにして腰をおろした。床の温度が薄い制服のズボンを通して身体全体に寒さが拡がる。


「なぁ、繭?言いづらいことかもしれないけど、訊いていいか?」


「うん……そんな風に言われたら駄目とは言えないよ?」


「そっか、そうだな……」


「……大丈夫。私に答えられることなら、なんでも答えるよ」


「うん……あのさ、繭のお兄さんのことなんだけどさ…………あれって、本当なんだよな?」


「え?」


 少しだけ表情が緩んだ隙をつくようにそう訊くと流石に根本的なところからとは思っていなかったのか、繭は驚いた。


「どういうこと?」


 疑われ、怒ってはいないようだったが、繭は純粋に驚いていた。


「福寿に入学したお兄さんが『記録者』に選ばれて謎が解けずに亡くなったって話」


 でも、繭に確認しなくてはならないことだった。それだけの理由があった。

 それに、元々繭と出会ったきっかけは繭の嘘からだ。二度あることはなんて思ってはいないが、それでも確認しなくてはならないとは思う。


「本当だよ……って言っても信じてもらえないかもしれないけど……」


 繭も一度自分が嘘を吐いたからだということは自覚しているのだろう、眉は垂れていたが口元の笑みは崩さずにそう答えた。


「お兄さんが亡くなったのは何年前?」


 追い討ちをかけるように訊ねる。


「九年前の三月」


 九年前ということは、繭のお兄さんは有馬先輩の兄、杉浦の次の代の『記録者』ということになる。


「お兄さんとの年の差は?」


「八つ」


「お兄さんの名前は?」


「……マコト」


「お兄さんが亡くなった事故っていうのは?」


「交通事故。卒業式の帰り道にトラックに轢かれたの」


「その時、お兄さんに怪異の記憶は?」


「無かったわ」


「繭には?」


 答えられて当たり前の質問から、記憶を辿らなくてはならないようなものまで、間髪を入れずに質問していく。

 答えの内容だけでなく、口を開く間合いや目線なんかも、そこに嘘がないか細かく見ている。

 疑っているからではない。今後疑うことが必要ないようにだ。


「記憶はあったわ、前にも言った通り、ずっと……でも一年時から二年に上がって兄が怪談についての話を全くしなくなったことは不思議に思っていた」

 繭も、俺の眼差しを真っ直ぐに見つめ、淡々と答えを返す。


「訊いてみなかったのか?忘れていくお兄さんに、七不思議の件はどうなったのかって?」


「訊かなかった。他に興味があるものが出来たのかな、程度に思ってたし、まさかそれが原因で数年後に死んでしまうなんて考えていなかったから……きっと無事に解決したんだろうって…………」


 お兄さんが亡くなったのは、繭が七歳の時だ。例え今の歳だったとしてもにわかには信じられない話をそんな幼い自分にそこまで話すことが出来ないのも当然の話だった。

 でも、逆に言えば、後になってメモを見つけたという有馬先輩と違って、そんな小さい頃に聞いた話をよく覚えていたとも思える。


「お兄さんの様子は?期限が迫ってた一年の時の終わり頃と二年に上がってから、変化はあった?」


「……勿論、あったわ。追い詰められていくように部屋に引きこもるようになって……顔色も悪かったし、体重も減ってたと思う。両親は福寿の勉強がそんなに大変なのかと心配はしてたけど、兄は家族の前では平気な振りをしてたから…………」


 だから、そのまま学校に通わせた。

 繭の家は話に聞く限り厳格な家庭のようだ。車での送り迎えや、門限の厳しさ、携帯を持たせてもらえないなんていうのも取りようによってはお嬢様ということになる。ならば、そのお兄さんは跡継ぎだったわけだから、その人が福寿に通ってくれるのはステータスになるだろう。


「解った…………言いづらいことを訊いて悪かった」


 一通り、予め聞こうと思っていたことを訊ねたところでそう切り上げる。

 繭はあからさまにほうっと安堵の息を吐いた。

 もし繭が嘘を吐いているのだとしたら、これ以上訊いたところで話してくれるとは思えなかった。

 それに、繭と揉めたいなんて元々思っていなかった。


「あの…………どうして、そんなこと訊いたの?」


 会話に合間が空いたところで、恐る恐るという感じで繭は訊いた。


「凄く似ている状況の人がいるんだ…………」


「似ている?」


「あぁ、繭と同じようにお兄さんが『記録者』でそれを端に福寿に入学したっていう人が……でも、その人は記憶の改変がされている。たまたまそのお兄さんという人が残したメモを見て福寿に何かあると思っただけで…………」


「私がその人の話を自分のことみたいに言ったって思ったの?」


 疑ったのは自分の癖に、直線的に言い返されて戸惑う。


「……そうだよ」


 だからといって言い訳したところで仕方無い。肯定する。


「そっか……まぁ、疑われても仕方無いか……」


「その……ごめんな」


 肯定して、認めたけれど謝った。繭の悲しそうな笑顔にそう云わずにはいられなかった。

 繭は、この福寿で初めて出来た友人だった。

 入試の際に見掛け、入学式で再会して、今こうして『記録者』として七不思議と向き合うきっかけを作ってくれたのは繭だ。彼女がいなければ、俺は訳が解らぬまま度重なる不幸に打ちのめされていたかもしれない。

 本当に彼女と出会えて良かったと思う。けれど、同時にこうも思うのだ。七不思議なんか関係無く繭と出会っていたら、と……。

 

「ううん、初めに嘘を吐いたのは私だから……」


「なぁ、繭―――――」


 気まずい沈黙に、もう一度「悪かったのは自分だ」と言おうとする繭の言葉を俺は遮った。


「もう、止めよう」


「……え?」


「もう、七不思議について話すのはこれきりだ」


 悲しげだが辛うじて笑んでいた繭の表情が凍る。


「…………どういう……?」


「そのままの意味だよ」


「……私が、嘘をついているかもしれないから?」


「違う」


 俯いた繭は、絞り出す様に訊いてくる。


「じゃあ、どうして?」


 僅かに声が震えていた。

 当たり前だ。

 嘘を吐いていないなら、繭は有馬先輩同様、お兄さんの無念を晴らすために、苦労して、難関校である福寿に入学したのだ。

 そんな簡単に諦められるはずがない。

 だが、俺はもう嫌だった。

 繭を七不思議から解放してやりたかった。


「……俺が決着をつけるから、必ず。だから、俺を信じてくれ」


「……そんなの…………ずるいよ……」


「……解ってる」


「そんな風に云われたら…………これ以上協力させてなんて……言えないじゃない」


 繭は結局泣かなかった。顔を上げ、困り顔で口の端だけ笑ってみせた。


「……全部終わったら、その時は……俺が忘れる前にもう大丈夫だって、必ず伝えるから……」


 その時には、きっと俺の気持ちも一緒に……。

 最期の言葉を飲み込んで、悲しげに笑む彼女に向けて、そう告げた。

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