1月10日

 真っ黒な雲が立ち込める曇天の空の下。

 幸い雨は降っていないが、身を切るような張り詰めた空気が広がる夜。

 俺はもう何度目かになる夜の学校にいた。


「……こんなとこがあったんだね……」


 フェンスの切れ目に制服のスカートが引っ掛からないように注意しながら、ひきつった表情で有馬先輩はそう言った。


「ほら、有馬。足元気をつけて」


 落ち着かない様子で周囲を見回す有馬先輩を気にかけながら、直ぐ後に続いて宮城先輩が敷地内へと入ってくる。


「ここから入れば、学校のセキュリティには引っ掛からずに渡り廊下に出られます」


 二人が完全に敷地内に入ったことを確認し、俺は言う。

 時刻は午後九時。

 本日は成人の日。昼間学校は休みだったがもし誰かに見つかった時の言い訳ように制服姿で学校へとやってきた。

 学校の前の大通りにはまだ人通りもあり、車も多く見られる。

 けれど、俺は敢えてこのまだ宵の口とも言えるこの時間を選んだ。

 理由は、今回検証する怪談に時間の指定がなく、『体験者』である有馬先輩がまだ操られている状態に陥ってはいないからだった。


「和希くんは、いつもここから入ってたの?」


 時刻と周囲を窺っていると、有馬先輩が感心した様子で訊いてくる。

 二人は今までに怪談の検証を何度か行っていた筈だが、そのどれもが部活動や委員会活動にかこつけて許可を取り最終下校時刻まで学校内に残るか、校内に残れるギリギリの時間で下校した振りをして、セキュリティに引っ掛からない校庭の倉庫等に身を隠していたらしい。

 そんなことをしなくても、以前羽山がやったように裏門を乗り越えたりすれば見咎められない限りは侵入出来ただろうに……。


「いえ、いつもはそこの門を乗り越えて……ここはこの間見つけたばかりです」


 そう、何度も深夜の学校に出入りするうちに偶然見付けたフェンスの綻び。

 それを今日二人が来る前に人が通れるように拡げておいた。ただ腕力で皮を剥くようにペロリと押し拡げただけだから、後で戻せば余程ピンポイントで確認しない限り気付かれないだろう。


「そっかー、すごいね?ミヤちゃん。まだ一年生なのに私達より福寿のこと知ってるかも」


「そうね…………でも、校内には入れないのでしょ?」


 手放しに誉める有馬先輩に同意しながらも、宮城先輩は訊いてくる。

 言葉尻をとれば嫌味にも聞こえる台詞だが、彼女にそんなつもりはないようで、純粋に質問しているようだった。


「…………まぁ、そうですね」


 俺は少し考えてから解答する。

 何故なら、彼女の認識は合ってはいるが正解ではないからだ。

 確かに校舎内や各校門を勝手に開け締めすれば、セキュリティが作動し警備会社に連絡が行く。

 比較的厳しい警備システムがあるにも関わらず不思議なのは、各校門や渡り廊下など人が必ず通るであろう場所に監視カメラが設置されていないことや、セキュリティの作動を教師の手動で行っていることだが……そういった事は一先ず置いておくとして……。

 しかし、そういった他の学校に比べると厳重に感じられるセキュリティシステムも怪奇現象には何の役にもたっていない。毎晩深夜零時になれば、雨の日であれば、三の付く日であれば、セキュリティの存在に頓着する必要もない。

 そしてこれからは今日のような偃月の日も―――。

 だから、全て無視して校内中を探索したところでセキュリティに引っ掛かることはない。


「…………和希くんは今までセキュリティに引っ掛かったことがないわよね?」


 宮城先輩は俺の裏側を透かそうとせんばかりに、抉るような問いを重ねる。

 どう考えても天然とは思えない。俺に対する疑心が晴れたわけではない。


「引っ掛からなかったわけではありません」


「どういうこと?」


「俺よりも先にセキュリティに引っ掛かったはずの人が対応されていないみたいなんです」


「それって、佐川くんや柳瀬くんとかってこと?」


 俺の曖昧模糊とさせた答えに、まんまと有馬先輩が乗っかってくる。


「そうです」


 飄々と俺は頷く。


「俺は後から、調べた情報を繋ぎ合わせてそこに辿り着いただけで……今回のように被害者が出る前に辿り着けたわけではありません。被害者は俺より先に学校に入ってるはずなのに、セキュリティは作動していない」


「……えっと、……ということは?」


 矢継ぎ早に、さも悔しそうに言い連ね、段々と話の焦点をずらしていく。

 有馬先輩は、早い段階で話しについていけなくなったようだが、宮城先輩は未だ値踏みするように俺を見ていた。


「……要するに、和希くんが学校に入った時には既に前に来た人間が入ったことでセキュリティが作動しているはずだった。けれど、警備会社の人間が駆け付けてきたことは一度もない。…………だから、和希くんがセキュリティに引っ掛かからなかった理由は判らない、ということかしら?」


「そうです。俺は何より彼等を助けることに必死だったので……」


「では、セキュリティが作動していなかったことは後になって知ったの?」


「はい。そもそも、本当にセキュリティが作動しなかったのかどうかすら、俺は覚えていません。いずれの時も俺は気を失っている彼等を見付けて通報したことしか覚えていない。後から周囲の人間に何か聞かれた時にもセキュリティについては何も言われていません」


「…………そう」


 ここまで言って、やっと宮城先輩は引いた。

 自分で並べ立てておいてなんだが、結構矛盾した理屈だ。

 もし自分が言われた側だったら細かく突っ込んでいたと思う。「どうしてセキュリティについて誰かに訊かなかったのか」とか、「何を覚えていて、どこが覚えていないのか」とか、突っ込めば矛盾はすぐに露呈する。

 何故こんな言い訳を言ったかと言えば、曖昧にしたところで段々と日が経つにつれ怪異が勝手に記憶を修正していくことに甘んじるためだった。

 今さえ乗り越えてしまえば、この後怪異に遭遇した際都合の悪いことは勝手に塗り替えられることが経験上解っていた。

 だったら余計に嘘をつく必要もなく、「判らない」と論じてしまえばいい。

 なので、俺は宮城先輩が何をどう言おうが、ひたすら「よく判らない」という事を並べ立て続けようとはなから思っていた。

 だけれど、宮城先輩がこのタイミングで早目に話を切り上げたのは、矛盾点に気付かなかったわけではなく、有馬先輩のためなのだろう。


「……じゃ、じゃあそろそろ行こうか?あんまり遅くなっても、それこそセキュリティに引っ掛かっちゃったら困るし」


 俺と宮城先輩のやり取りに常に間に挟まれる形になっている有馬先輩は、場違いにへらりと笑って促す。

 そして然り気に、俺にだけ聞こえるように近くに寄って、「気を悪くしないで、ミヤちゃんはあたしを心配してくれてるだけなの」と囁いた。

 勿論俺は頷き返したが、互いを思い合っている二人を謀っていることに息苦しさを感じる。

 命がかかっているとは言え、俺は随分と悪人になってしまったようだった。

 大通りに面していない体育館の裏側の侵入路から入れば、渡り廊下は目と鼻の先だ。

 数ヶ月前、ここで龍臣と二人で悪魔の口のような体育館の地下への入口を前にして身震いし、佐川の声を聞いて、初めてヒデオに会った。

 初めて怪異に遭遇した。

 昨年といってもまだ数ヶ月前の出来事だが、もう遠い昔の出来事だった。


「…………随分静かね」


 宮城先輩がポツリと呟く。

 既に最終下校時刻からは数時間が経過していて、教師が帰ってからももう久しい。

 そんな学校の敷地内が静かなのは当たり前だが、それにしたって近くの通りを通る車の音すら聞こえてこないのは異常だった。

 風も無く木々の葉擦れの音すらしない。

 ちらりと教室群がある校舎の方へと目をやる。

 あの中では断末魔の悲鳴が映像に乗って、大音響で響いているはずだ。

 だが、音が聞こえてくることも、音が振動となって窓を揺らすなんてこともない。

 今日はあの人魂のような姿のヒデオも鳴りを潜めている。

 まだ時間には早いが、敷地内を時が来るまでフラフラしているという蒼い人魂は校庭にも見られなかった。

 そして、そのヒデオの話では、あの元理科実験室である運動施設にいる溶けかけの女生徒は、雨が降らない晩には、体育館の舞台上に現れ何かを演じ続けているらしい。生前の美しい姿で。

 きっと今行けばそれが見られるのかもしれないが確認する気はない。

 そして、その話も『校庭で踊る人魂』同様、『シナリオの無い演劇』というダミーの話として語られている話の一つとなってしまっている。

 ならば、あの『断末魔の記録』にも同じように派生した話があるのかもしれないが、ヒデオは特にその話については何も言っていなかったし、流れている大量の怪談話の中から該当しそうなものもなかった。


「……行くよ?」


 意を決したように有馬先輩が言う。

 僅かに震えるその手を宮城先輩がぎゅっと握って彼女を奮いたたせる。

 周囲を気にしていた俺は数歩程彼女達の後ろにいた。

 まるで示し合わせたように、二人のローファーの右足が同時に渡り廊下のコンクリートへと踏み出される。

 刻々と流れる重い雲は辛うじて上弦の月を覆い隠してはいなかった。

 カツカツ、とやたらに音を響かせて、ローファーが音をたてる。

 一歩二歩と進んで、二人が丁度渡り廊下のど真ん中へと辿り着いた時だった。

 それまで、一切の音をたてなかった世界が、一迅の風に吹き上げられザワリと鳴った。


「…………なっ、なに…………?」


 心の準備なんていくらだってしていたはずだろうに、有馬先輩が戸惑いの言葉を漏らす。

 繋がれたままの二人の手は、大きく震えていて、今となってはどちらが震源なのか判らない。

 二人はキョロキョロと首が千切れんばかりに、まるで死角など一瞬たりとも作らないようにするかのように、辺りを見回す。

 そのくらい不気味な、足元から肌を粟立たせるような風だった。

 彼女達二人も、俺も、何かが今から起ころうとしていることを確信する。

 注意深く、周囲に視線を送る。

 けれど、決してライトは向けない。そこに何かが本当に見えてしまったらと思うと怖くて向けられない。

 二つの心細くも円く照らすハンドライトが、迷いを不安を表すように足元をフラフラと移動する。

 ―――ポツリ

 そんな音が聞こえてきそうな、再び訪れた静寂の中の出来事。

 その瞬間に気付いたのは、一歩離れて見ていた俺だけだったと思う。

 ―――ポツッ、ポツッ

 一度きりだったその音は、それを皮切りに回数を増す。

 緊張から身を固くし立っている二人には、それはあまりにも自然なもの過ぎた。

 だからこそ、二人は気付かなかった。

 その音の重大さに。

 ―――ポツポツッ、ポタッ

 渡り廊下の屋根の下にいる二人にはすぐに気付けなかった。

 そこから僅かに距離を置いた俺だけが、その音の正体を逸早く理解出来た。


「…………雨だ」


 口を突いて出た言葉に、背を向けていた二人の先輩が黒いスカートを翻し振り向く。

 見上げれば、重たい雨雲が闇に紛れて刻々と移動し、上弦の月を覆い隠そうとしていた。

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