6月20日

 日曜日。

 着替えを持っていくよう頼まれた俺は、病院へと向かった。


「おっ!心、来たかぁ~」


 病室に入ると、親父はベッドのリクライニングを大きく上げ、看護師と話していた。


「どうも、父がお世話になっています」


「いえいえ、ご丁寧にどうも」


 若い女性の看護師は、俺が丁寧に頭を下げると物珍しげにまじまじと見てきた。


「和希さん、彼が自慢の息子さん?」


「えぇ、そうなんですよ。先日福寿に入学しましてね~」


「え!?あの福寿に!?」


 看護師は、福寿の名前に大袈裟に驚く。


「親父、着替え仕舞っておくよ」


 居ないところでどんな風に話されているかと思うと、気恥ずかしくなり、顔を逸らすようにして持ってきた紙袋の中身を片付け始める。


「和希さんのところは奥さんも毎日来て下さるし、皆さん仲が良くて羨ましいわ~」


 看護師はそう言うと、必要な処置を終わらせ、病室を出ていった。

 五床のベッドが用意されている大部屋は、看護師がいなくなると途端に静かになる。

 今日は梅雨空が久し振りに晴れ間を見せたため、皆屋上や庭園に出ているのかもしれない。


「具合が良いのはいいけど、あんまり俺の事言いふらさないでくれよ」


「別にいいじゃないか、福寿に入学した事は誇っていいことだぞ」


 見舞い客用のパイプ椅子を引っ張り出して座る。

 投げ出された親父の両足は、しっかりと包帯が巻かれ、固定されている。それは実際の足の太さよりも倍以上あり、見ていて痛々しい。


「親父だって福寿の卒業生だろ」


「俺の時代とは随分変わってるからな~、昔はどこにでもある進学校だったけど、今じゃ誰でも知ってる」


 親父はまるで自分の事のように嬉しそうに笑う。

 俺が福寿に入学した事を一番喜んでくれたのは、間違いなく親父だった。

 合格発表の日、家に帰ってすぐに親父から電話がかかってきた。

 繰り返し何度も「おめでとう」と言い、「名門に受かった事ではなく、お前の努力が実った事が嬉しい」と言って祝福してくれた。

 電話していたのはたった数分だったが、電話を切ってからその時親父がヨーロッパに滞在中だと思い出した。

 時差のある遠い地で、それでもちゃんと合格発表の日を覚えていてくれたのだと思うと、改めて嬉しさが込み上げてきたのを今でもしっかりと覚えている。


「……学校はどうだ?」


「ん?とりわけ変わった事はないよ」


「そうか……俺のせいで休ませちまったからなぁ」


「たった二日休んだくらいじゃ何にも変わらないって」


 自分が生きるか死ぬかの瀬戸際にいたというのに、親父は俺の事、しかも学校を休ませてしまった事なんかを気にしていたようだ。

 親というのはこういうものなのだろうか……。


「親父のほうこそ、仕事は大丈夫なのか?」


「ん?あぁ、今は大きなプロジェクトに参加しているわけじゃないから、平気だ」


「そっか……この前行ってたヨーロッパのは?」


「あぁ、アレは古いカトリック教会の修復作業がそろそろ完成しそうだからって、視察に行ってたんだ」


 親父の職業は、考古学者だ。

 福寿を卒業した後、某有名大学で考古学を専行し、卒業後そのまま大学院へと進んだ。

 そして、大学院でゼミの教授に見初められ、そのままローマの遺跡発掘のプロジェクトチームに加わった。

 その後も、世界各地の宗教遺跡の発掘や研究に携わっている。

 今では、研究成果の発表が学会で認められ、書籍の出版や時にはテレビのコメンテーターをする事なんかもあった。

 そんな親父を俺は心から尊敬している。

 考古学者なんて、地に足のついていない仕事だと言う奴もいる。

 ロマンなんて世迷い言だと言う奴もいる。

 でも俺は、自分の好きな事を仕事にし、それを本当に楽しみ、結果を残せるなんてなかなか出来る事ではないと思う。

 同時に、世界中を飛び回っていても、常に家族を気にかけ、決して寂しい思いをさせた事が無いのも凄いと思っている。


「……あっ!そう言えば……」


 最近の仕事について話を聞いていると、突然親父が何か思い出した風にぽんと手を叩いた。

 手を叩いたはいいものの、直後に痛みに顔を歪める。

 どうやら、肋骨も骨折している事を忘れていたようだ。


「おいおい、あんまし無理しないでくれよ」


「……はは、大丈夫大丈夫」


 笑ってそう言うものの、胸を押さえ咳き込む姿が痛々しい。

 そんな姿を見ると実感する。

 この人はつい先日本当に死にかけたのだと……。


「そこの……棚、開けてくれ」


 胸を押さえた手を外す事は出来ぬままにそう言う。

 更に指を指そうとする動作を遮って、ベッド脇のチェストの引き出しを開けた。

 中には、筆記具や小銭入れなどの身近な品と一緒に三体の決して可愛いとは言い難い人形が入っていた。


「ポペット、入ってるだろ?」


 ポペットとは、民間信仰ブードゥーで用いられる人型の呪具の一つだ。ブードゥー人形は相手を呪うだけではなく、身代わり人形、願掛けにも使用されることがあり、昨今アジア圏を中心に土産品として人気がある代物だ。


「それな、土産として買ってきたんだが……」


 幾重にも糸が巻き付けられるようにして作られた指程の長さの人形、色は赤、青、緑、とそれぞれ違っている。口は巻かれた糸に反するように違う色の刺繍糸で縫われていて、目は木のような小さな釦で出来ていた。


「……一つ壊れてるだろ?」


「あぁ」


 親父が言う通り、三体ある内の一体、赤い糸で作られた人形だけが不自然に腰の辺りが引きちぎれ、上半身と下半身が辛うじて摩耗した糸で繋がっているだけだった。


「全部同じ所に仕舞ってあったんだ。なのに、それ一体だけ……多分、守ってくれたんだろうなぁ」


「……そっか」


 何とも言えない気持ちになった。

 確かに今回の事故、重傷には違いないが、死んでもおかしくない大事故だった。寧ろ命が助かったのは、奇跡と言っても良かった。

 けれど、それが本当にたまたま、偶然にも親父が家族の土産品として買ったこのポペットのお陰だとしたら……


「心、その青いの、お前が持ってなさい。効果は、この通り、あるだろうから」


 ベッドの上から、親父はそう言う。少々自虐的なその言い回しは、全然笑えない。

 でも、日頃から、どんなに世界を飛び回っていようが、いつどんな時も家族のことを想ってくれている親父の気持ちが今回親父の命を救ったのだと思うと、その可愛いとは言えない人形が愛おしく見えた。


「いや、親父が持っててくれよ。それでさ、ケガが無事治ったら俺が貰うから」


「そうか、解った。……心、心配かけて悪かったな」


「あぁ。もうこんなことは今回限りにしてくれ。でも、まぁ、生きててくれてありがとう」


 俺は心を込めて、ボロボロになってしまった人形と親父に向け、礼を述べ、ゆっくりと引き出しを閉じた。


「あっ、そうそう、あとな、母さんがこの間愚痴ってたぞ」


「……ん?なんて?」


「お前が最近チーズケーキ食ってくれないって」


「あ、あー、流石に毎月ともなるとなー」


 その日、俺は母さんが病院へと来るまでの間、ゆっくりと親父と話し込んだ。

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