6月14日
親父の怪我は、順調に回復しつつある。
砕けた骨が歩けるまでに戻るにはまだかかるが、意識はもうしっかりしていて、会話は普通に出来るようになった。
放課後。
梅雨時の今の時期、雨が降る日は屋外での練習が中心の運動部達は、練習出来る場所を求めて、近隣の契約している運動施設へと移動するため、いつもより早々に学校を出ていく。勿論、屋内で活動している部においても交代制で場所を使わせてもらっている分、少しでも空いた時間を作って時間を無駄にしてしまうようなことがないよう、いつも以上に早く準備に取り掛かる。その結果、授業終了後数十分もすると教室が並ぶA棟は閑散としている。
その日も、職員室を後にし、荷物を取りに教室へと戻ると、ほとんどの席は空っぽだった。
「あれ?残ってたのか?」
薄暗い教室の窓側の一番後ろの席。
人気の失せた室内にたった独り、知った顔が座っていた。
「……うん」
背凭れと机の間を体の幅ギリギリに狭め、背筋を伸ばして、けれど顔だけは俯かせて座っている。
てっきり授業が終わった事に気付かずに居眠りしているのかと思った。
鞄を取り、帰る支度をする。
この後親父の見舞いに行く予定だった。
「じゃあな」
「……うん」
無言で帰るのもどうかと思い声をかけたが、そいつは座ったまま動こうとしなかった。
流石にちょっと気にかかる。
「……何かあったのか、高知?」
返しかけた踵を止め、歩み寄る。
「…………いや、別に。和希こそ残ってんの珍しいじゃん」
「ん?あぁ。ちょっと呼び出されたんだよ、担任に」
「…………へぇ。……なんかしたの?」
「ちげぇって……親父の怪我の具合はどうだ?って聞かれただけ」
ちょっと声をかけただけのつもりが、ぽつりぽつりと会話になっていく。
「…………あぁ、そうか。……お父さん入院してるんだっけ……大変だろ?大丈夫?」
「お、おぅ……あんがとな」
「…………うん」
だが、どうにも高知の反応は鈍かった。
話をしている間も、高知の視線はずっと机に据えられたままだった。
「高知、お前部活は……?」
「…………今、休んでるんだ」
「そ、そうか……」
「…………うん」
「そのっ、柔道部だったっけか?」
「…………」
休んでいる理由まで訊く勇気は無かった。
この学校の殆どの生徒がスポーツ推薦で入学している。
それはイコール、中学時代に他者よりも各種競技で成績を残しているということだ。
だから、自ずと運動部の活動は他の学校よりも盛んで厳しい。怪我をしたり、体を壊してしまう事もある。
それが原因でドロップアウトせざるを得ないケースも多いらしい。
高知のどことなく沈んだ様子から、もしかしたらそういう事なのではないかと思った。
怪我か何かの事情で部活を休まなくてはならなくなって、いつもなら部活に精を出している時間に帰る気分にもなれなくて、こうして思い悩んでるのかもしれない。
最近の高知の様子を頭の中で思い返してみる。
俺自身親父の件でバタバタしていた事もあって、高知に悩んでいる素振りがあったかと言われるといまいち思い出せない。
少し元気がないような気がした気もするが……悩んでいるという前提で考えているからかもしれない。
「……あ、その、えーっと……」
思い返してはみたものの、日頃高知とは二言三言話すのがせいぜいで、取り立てては思い浮かばなかった。
「……それじゃあ、俺はそろそろ……」
結局、変わらず席に収まっている高知に、かけてやる言葉を見つけられなかった。
気まずさを感じて逃げ口上を述べ鞄を担ぎ直す。
「…………なぁ、和希?」
踏み出そうとしたところで声がかかる。
間違いなく高知の声だったが、振り向いても彼は俯いたままだった。
「……何かあったのか?」
もう一度だけ、俺は同じ質問を投げる。
「……和希、お前はさぁ、七不思議なんて、信じてないよな?」
返ってきたのは、今までの話題とは全く違う話。
彼の真意をはかりながら、どう答えるべきかを検討する。
高知は、他の生徒達と同様、規則に則って、俺に怪談話を聞かせたいだけなのだろうか。
それが原因で悩んでいて、果ては部活まで出れない程になっているのだろうか。
ふと、思い出した。二ヶ月程前、確か『呪いの机』の話を聞いたその時、高知の様子に違和感があった。
「あぁ、信じてない。……だから、どんな話でも冷静に聞けるよ」
どう答えるべきか悩んだ末、出たのはそんな応えだった。
「………………」
「………………」
「……あのさ、」
お互い無言のまま数秒を費やし、根負けしたように口を開いたのは、高知だった。
「俺、七不思議なんて信じて無かったんだ」
「……うん」
「皆が色んな話してきたって、よくある話だよなとか、思うだけだった」
高知は、机を睨み付けるようにして絞り出すような声で話していた。
高知は柔道部というだけあってガッチリとした体型をしている。背も高く、龍臣よりは低いが、幅がある分、でかく見える。
性格はそんなに気の強いほうではないが、短く刈り上げた髪と精悍な顔立ちは便りがいを感じさせる。
「…………でもさ、違うんだよ!……皆が話してる話は客観的な昔話ばっかりだ!誰も、実際に体験した話なんかしてないっ!実際に体験したらどうしたらいいかなんて教えてくれない!!」
「!?」
ずっと下を向いたままだった高知が顔を上げた。
俺を見上げ、叫ぶように話す高知は、今にも泣き出しそうだった。
大きな身体は小さく縮こまり、弱々しく見えた。
「……和希もさ、『呪いの机』の話一緒に聞いたよな?」
「あぁ。高知、お前……」
云いたい意味を理解し、俺は言葉を濁した。
馬鹿馬鹿しいと一蹴も出来ない。
なんせ立場が同じなのだ。
だからといって、容易くは受け入れられない。
高知は、濁した言葉の続きを感じとり、一つ頷く。頷いた首が、重力に負けたように項垂れ、またそのまま下を向いてしまう。
認められないし、信じ難い。
まだ誰かの悪戯だという可能性も残っている。
だから、自分も同じような目に合ってるとは言い出せなかった。
「入学してすぐにさ、授業中に初めて気付いたんだ……」
続ける言葉を失った俺に変わり、高知はボソボソと独り言のように話し始めた。
「机の端にちっちゃく文字が書いてあるんだ……始めは前に使ってたヤツが悪戯書きしたんだろうって思ってた……」
高知は、もう此方を向こうともしない。
俺がいる事を忘れてしまったように、ただただ言葉を続ける。
「でもさ、何日かしたら、書いてある事が変わってんだよ……だからコースの時のヤツかと思って……」
さっきまで間延びしていた口調は段々と鮮明になる。
机にこびりついていた視線は、辺りを無意味に往ったり来たりしている。
顔も、体も先程から同じ姿勢を保っているのに、自分の話に呑み込まれていくかのように、目玉と口だけが活発に動く。
「でも、使われてなかったんだ。数学も英語も国語も……なのに、日によって書いてある事が違う……」
「誰かが面白がってやってるのかもしれない」
俺は高知の前に回り込む。
高知がそのまま殻に引き込もってしまうような気がして、独白へと割り込む。
高知の視線の先を捉えようとしたものの、ひっきりなくさ迷っていて捉えきれない。
「だからさ……こうやって見張ってたんだ」
「なんて書いてあったんだ?」
「一言だけ……」
頭の中に思い浮かぶのは、自分に送られてくる白い紙。
しかし、高知が言ったのは違う言葉だった。
「午前零時……体育館……格技室……」
一音一音を区切りながら、やたらに耳に残るようにはっきりと、高知は言う。
「その三つが、繰り返し繰り返し、机に刻まれてる……」
高知はとうとう頭を抱え、泣きじゃくりだした。
きっと見ていなくても、ずっとずっと同じ言葉が頭の中でリフレインしているのだろう。
「……あん時言ってただろ?逃れるためには本当の七不思議を四つ見付けろって……」
嗚咽の隙間から、尚も高知は喋り続ける。
「……聞いて回ったんだ、七不思議……二十個くらいあった……」
ずっと誰にも言えなかったのだろう。
話したくて、でも云いたくなくて、独りで抱え込んでいたのだろう。
それが涙と共に溢れだしていた。
「……でも、消えない……いっくら七不思議を聞いたって、消えてくれないんだよぉぉ……」
顔を覆い、子供のように泣く高知。
高知が机の上から腕を退かした隙を見て、俺は机の隅々に目をはしらせた。
そこには――――何の文字も見当たらなかった。
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