5月27日

 朝から、どんよりとした雲が空一面を覆っていた。

 予報では夕方から雨が降るとの事だったが、重たく暗い空の様子は今にも雨粒を落としてもおかしくないように見える。


「一限目自習だってよー」


 一向に始まらない授業に教室内がヤキモキし始めた頃、前方の扉が開き、そんな報せがもたらされた。


「珍しいな……突然自習なんてさ」

「なんかC組も自習なんだってよ!」

「C組も!?尚更珍しいじゃん!隣って何の授業よ?」

「化学っつってたかな?」


 「自習」という言葉を合図に、一応は席に着いていた生徒達は一斉に動き始め、雑談を始める。

 次の授業はコース別の英語だったはずだ。

 特進コースの授業はA組の教室を使用して行われるので、早めに移動する事も出来ない。


「なんでいきなり自習なわけ?」

「なんか、世界史の葉子先生と化学の加藤が同じ電車だったらしいんだけど、その電車が人身事故で止まっちゃってるらしいよ」

「はぁ?あの二人一緒に通勤してるわけ?もしかして、デキてるとか!?」

「さぁ?でも、結構ありそうだね!」


 忙しなく教室の扉が開閉を繰返している。

 出ていく生徒もいれば、入ってくる生徒もいる。


「大島ぁ、売店行くけど、どーするー?」


「おぅ!行く行く。俺朝飯くいそびれたんだわー」


「はぁぁ?お前よくそれで朝練乗り切ったなー」


「慣れっスよ…………あ、心も行く?」


「いや、俺はいい」


 突然もたらされた自習という幸運に、皆浮き足だっていた。

 けれど俺は、龍臣の誘いを断り教室へと残った。

 ニ十八日、金曜日。

 今日は例のカウントが零になるその日だった。

 だが、肝心のメッセージは――――無かった。

 あんなに粘着質に毎週毎週、変わらず入れられていたというのに、それが問題のその日を迎えた途端無くなったのだ。

 流石に飽きたという事ならそれでいい。でもそれは考えにくい。

 飽きるなら二、三週前で良かったはずだ。

 敢えて今日である必要がない。

 それとも、これが狙いなのだろうか……?

 不安を煽り、精神的に追い詰める為にわざと気を持たせようとしたのか……?

 渦を巻く思考に曇天の憂鬱さが相まって、身体が重い。

 耐えられずに、机へと突っ伏した。


「あれ?和希だけ?」

 頭を空白にするように微睡んでいると、頭のすぐ上から声が降ってきた。


「ん?あぁ、羽山か……」


 隣のクラスの羽山だった。

 元々同じ中学の彼女は、クラスが離れた今も、龍臣と数学と英語でコースが一緒ということもあり、親交があった。


「大島は?」


「龍臣なら、売店行ったよ」


「うん」


 返事をしつつも彼女は俺の前の席に腰を下ろす。

 もう一度机へと顔を近付けかけて、止めた。


「俺に用?」


「ん、まぁ……」


 羽山は、日頃の溌剌とした雰囲気とは異なりどこか気まずそうにしている。


「何?」


 俺は、この学校の連中が一様にこういう態度を取る時に、どういう話をしたいのか、もう知っている。だからこそ、少し苛立った。

 机の上で腕を組み、半ば睨め上げるような体勢をとる俺に、羽山は少し怯んだようだった。

 ギョッとしたような顔をして、取り繕うように苦笑を浮かべる。


「大島が、アンタに七不思議の話を教えてやれって言ってたんだけど……」


「龍臣が……?」


「うん、靴箱の話を聞きたがってるからって……でも、そんな感じじゃないね、あいつの悪い冗談か、その、ごめん」


 羽山はあからさまにシュンとして、それでも口では小さく笑って、そう言った。

 どうやら、余程俺は機嫌の悪い顔をしているらしい。

 逃げるように、「私教室戻るね」と立ち上がりかけた羽山の腕を掴む。


「教えてくれ」


 羽山は腕を掴まれた事に、ビクリと身を震わせたものの、大人しくもう一度腰を下ろした。


「その……無理しなくていいよ?」


「別に……無理してねぇって、その……わざわざ話しに来てくれたんだろ?なのに変な態度取って悪かった。大丈夫だから……」


 羽山の態度を軟化させようと、俺はとりあえず謝った。

 羽山はそれでも戸惑っているようだった。

 目を游がすように周囲を気にしている。

 教室内は大分人が減っていた。

 生真面目に自習を行う奴が数人と、適当な席に固まってるのが数人……。


「……でも、私もう四つ聞いちゃったし……友達騙すみたいで、なんか……」


「それだ!」


 俯き、ボソボソと話す羽山の言葉の一端を捕まえ、俺は半身を起こした。

 そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、ビクリと、彼女の身体が跳ねた。

 驚きに見開かれた目が「何事?」と訴えかけている。

「それ、なんなんだ?三つとか、四つとか……」


 以前にも誰かが言っていたのを聞いた事があった。

 確か昇降口で会った二人組。『血塗れピアノ』の話を聞いた時だ。

 七不思議の会話の中で、そんな話をしていたように思う。


「和希……アンタ、知らないの?」


「あぁ、知らない」


「もしかして、大島も?」


「わかんねぇけど、多分。……要するに、七不思議の話をいくつ知っているか?って言うのが、その三つ、四つってやつなんだろ?」


 そのくらいの察しはつく。


「そっかぁ、だから大島、私に話せなんて言ったのか……」


 羽山はやっと緊張を解き、深く嘆息した。


「この学校の七不思議にはね、ルールがあるの」


「ルール?」


「そう……七不思議を三つ以上知ってしまったら、まだ話を知らない誰かに話さなくてはならない」


 今までと打って変わって、神妙な顔で、声を潜め、羽山は言った。


「でないと……卒業する事が出来なくなっちゃうんだって」


 ……やっと繋がった。

 なんで、生徒がこぞって七不思議の話をしているのか……

 なぜ、話をした後安堵したような顔をするのか……

 どうして、話をする前に既知かを確認するのか……

 わざわざ、全てに表題が設けられているのかも……

 総てこのルールに起因しているのだ。


「……そういう事だったのか」


 胸の支えが取れ、少しスッキリした。

 今日の空模様の様に曇っていた頭が途端に働き始める。


「ホントに知らなかったんだ」


「あぁ。どうりで、最近やたらに周りの連中から怖い話をされるわけだ……」


「そうなの?」


「俺はお前達と違って部活も委員会も入ってない分、縦の繋がりがないからな」


 だからこそ、怪談を話してくる連中からすれば丁度良かったのだろう。

 良い標的だったわけだ。


「大島は?」


「龍臣も知らないみたいだったな……まぁ、あいつは例外だよ」


 大方、「聞いてなかった」のだろう。


「そっか……知らなかったんだ……じゃあ、尚更話すの止め……」


「信じてるのか?」


 少しだけガッカリしたような、それでいてホッとしたような感じで再度席を立とうとする羽山をもう一度ひき止めた。

 きっと羽山は迷っていたのだろう。

 割と正義感の強い娘だから、友人を陥れるみたいで話す事が出来なかったに違いない。

 龍臣から俺に話すよう勧められたのも少し前なんじゃないだろうか。

 俺と龍臣が七不思議の話をしたのが中間考査の直後なので、そこから考えれば日数がある程度経過しているという予想はつく。

 龍臣は俺の事を考えて靴箱の七不思議を探してくれたのだろうが、結果意図せず羽山を苦しめてしまったという事だ。

 それなら……


「信じてるっていうか…………なんか皆が必死だからさ……」


「自分も話さなきゃいけない気がする?」


 濁した言葉を継いでやると、彼女はコクりと頷く。

 集団心理、という事か。

 大抵こういう規則は、体験談として「誰かが本当にそうなった」という話を付け加えるのが定石だ。

 禁忌を犯した者の末路を語る事で、恐怖感を与え戒めとする。

 でも、そんなのが通用するのは精々小学生、子供だけ。

 自我が発達すればするほど、規則を守らない人間は増えるし、高校生なんていう多感な時期なら敢えて禁忌を犯そうとする者だっている。

 そう言う意味では、この規則はよく出来ている。

 あからさまな後日談は設けず、代わりに怪談話に表題を付ける事で禁忌を守らせているのだ。

 そうすれば、禁忌を守ろうとする者は勿論、面白がって怪談話をするような奴も、既知かを確認し知られていない話をするようになる。

 結果、《信じる者》と《揶揄する者》の双方が自然と禁忌を守る。

 そして羽山のような《半信半疑の者》も周囲が規則に倣う程、集団心理に駆られ、つい従ってしまう。

 それはあわよくば《信じていない者》も巻き込もうという魂胆なのかもしれない。

 間違いなく他の学校の七不思議とは違い、巧妙に話が創られている。

 なんというか……凄く福寿らしい。


「話してくれ」


「で、でもっ……」


「いいから、話せ。俺は俺で理由があって聞きたいって言ってるんだ」


 煮えきらない羽山をもう一押しする。


「……理由って?」


「ずっと嫌がらせされてんだ。毎週靴箱にメモみたいのが入れられてる」


 それが水曜であるという事と、肝心の今日は入れられていなかったという事までは言わなかった。


「それって!?」


 羽山は目を見開き、口許を覆う。


「やっぱり関係あんだな……」


 分かりやすすぎる反応に、思わず嘆息した。


「話してくれ」


 真っ直ぐ羽山を見つめもう一度請う。

 やっと彼女は頷いた。


「私が聞いた靴箱にまつわる七不思議は『悲恋の靴箱』って話なんだけど……」






 今から二十年くらい前に、一年生の女の子が違うクラスの男子を好きになったの。

 きっかけは些細な事で、二人は元々の知り合いっていうわけじゃなかった。

 その娘は凄く控えめな、教室でもずっと一人で本を読んでるような性格だった。

 その頃も福寿はこの辺なじゃ有名な進学校だったから、いじめられてるわけじゃなかったんだけど、だからって恋の相談を出来るような友人がその娘にはいなくて……

 でも、彼女にとっては初恋だったらしくて、簡単には割り切れなかったんだって。

 逆に想い人の男子のほうはね、顔も性格も、勿論頭も良くて、人気者みたいな感じの人だった。

 誰に対しても分け隔てなく接してたから、当たり前のようにすごくモテた。

 女の子はクラスも違う彼に対して、話しかける事も出来なくて、ただ陰から見てるのが精一杯。

 その間にも、彼は色んな娘と話して、時には告白されたりする事なんかもあって……

 見てるだけだから尚更なのかな…………彼女の恋心は募っていくばかりだった。

 結局、彼女は何も出来ないまま、あっという間に三年生になってしまった。

 残念ながら彼とは一度もおんなじクラスになる事もなく、その頃はコース分けも無いから、接点はまったくないまま。

 卒業が近付くにつれ、彼女は焦った。

 このままじゃ、何も云えぬまま彼と離ればなれになってしまう。

 ならせめて、自分が好きだった気持ちだけでも伝えたい。

 そう思った。

 でもやっぱり、直接告白なんて性格上出来ない。

 恥ずかしくて何も言えなくなってしまうだろうし、何より彼の反応が恐かった。

 だから、手紙で伝える事にした。

 勇気を振り絞って、想いを綴った手紙を卒業式の前日に彼の靴箱に入れた。

 そして、卒業式当日。

 想い人は、靴箱に入っていた手紙を見つけた。

 実を言えば、彼も彼女の事が好きだった。

 殆ど接点が無かったから、当人達ですら思ってもみなかったけれど、両想いだったの。

 だから、彼は直ぐに返事をしようと彼女を探した。

 でもね、彼女は卒業式前日、放課後手紙を入れて帰る途中、事故で亡くなってしまっていた。

 偶然の積み重ねで、彼女の想いが伝わる事は無かった。



 翌年からね、彼女の想い人の使っていた位置の靴箱を男子生徒が使用する事になると、彼女から手紙が届くようになったんだって。

 それは一回だけじゃなくて、靴箱を使い続ける限りずっと続く。

 それだけならいいんだけど……………いつまでも想いが伝わらないと彼女が思うと、彼女はヤキモチをやくようになるの。

 膨れ上がった想いが無念さで大きくなっちゃったって事なのかな……

 靴箱を使用した男子の親しい人に、次々と不幸が起こった――――――






「ちょっと切ない話だよね……」


 話し始めた時と違って、羽山は少ししんみりとして話を終えた。

 対して俺は……


「嫌がらせの犯人は、女子だろうな」


 ……既に違うところに思考がいっていた。


「なんで??」


「そりゃ男って可能性も捨てきれないけど……七不思議に見立てて嫌がらせしようってんなら、他の話でも良かったわけだろ?例えば『呪いの机』とかさ」


「うん、まぁ……」


 俺が既に聞いた話の中で、今のところ後日怪異の被害にあった者の性別が絞られているのは二つ、今の『悲恋の靴箱』と『閲覧禁止の本』だけだ。

 後の『呪いの机』と『血塗れピアノ』に関しては目撃者及び被害者の性別は固定されていない。



 そんな話の中から、態々被害者が男子生徒で、加害者が女子という怪談を選んだのは、無意識の内に自身の性別を重ねてしまったからじゃないだろうか。

 それに、二ヶ月近くの間、休みすら無視してメッセージを入れ続けたくらいの粘着性を考えても、女子のような気がする。



 いや、寧ろ話の内容が内容なだけに、女子であったほうが良い。

 もし男だったなら、なんかキモチ悪い。


「なぁ?その話ってさ、被害に合う男子生徒は必ず三年じゃないといけないんじゃないのか?」


 続けて俺は、今度は以前七不思議の話を聞いた時同様、話の中の矛盾を探り始めた。


「え?どうして?」


「いや、だってさ、手紙を入れたのは卒業式前日なんだろ?」


 話の中ではそうなっていたはずだ。


「あぁ、そういうことか……うちの学校、靴箱は三年間同じ場所使うらしいよ。学年が上がる時繰り上がったりしないで、新入生は前年の卒業生が使ってた所を使うんだって」


「そうなのか……だったらさ、建て替えた時昇降口の場所って変わってないのか?」


「んー、それは……そうかも。私達は地元じゃないから建て替え前の福寿を詳しくは分かんないけど」


「まぁ、そうか……でも、よく考えたら今の話も他の話も、由来になってる話は建て替え前なんだよな、リフォーム程度だったっていうB棟はともかく、机だの靴箱だのの備品は大抵一新されてるよな……」


「そうだね……七不思議って、どこの学校でもそうだけど、時代とか全部別々なのに、絶対七つだよね。なんでだろ?」


「あぁ、それはな、七という数字が神聖視されてきたからだ」


 羽山の素朴な質問に、俺は豆知識にもならない雑学を披露する。


「なんで?ラッキーセブンだから?」


「逆だな、七が神聖視されてたからラッキーセブンてのが出来た。七っていう数字が神聖視されたのは古代人が月と太陽、それから五つの惑星が天を支配していると思っていたからだ」


 五つの惑星というのは、水星、金星、火星、木星、土星の五つの事。どうしてこの五つの惑星が選ばれたかと言えば、肉眼で目視出来る限界の惑星だからだろう。

 また、神聖視されたもう一つの可能性として、人間の脳が一瞬で記憶出来る限界数が七だから、という説もある。

 けれど、古代に脳味噌の仕組みを既に把握出来ていたとは考えにくいので割愛する。


「因みに、七不思議って言葉自体にも由来がある。紀元前二世記にビザンチウムのフィロンが世界で注目すべき建造物を七つ挙げ、書に記した。その書のタイトルが『世界の七不思議』なんだ」


 つらつらと言い重ねると、真剣に聞いていた羽山の顔は段々と曇ってきた。眉がしかめられ、口先が尖る。

 理解が及んでないと言った感じだ。


「えーっと、ちょっと待って!なんで注目すべき建造物なのに七不思議ってタイトルなの?」


 頭を捻り、唸りながらも問いを返してくる。

 俺はすっかり教師の気分だった。


「いいとこに目をつけたな。それは、ギリシア語で書かれたその本の英訳は『Seven Wonders of the World』、これを和訳すると?」


「う゛ー、……『世界の七不思議』?あ、ホントだ」


「そう。でもそれはただの直訳で間違い、本当は『世界の驚くべき七つのもの』。要するに、日本人の誤訳で生まれた言葉なんだ」


「…………なるほど」


 渋い顔でギリギリ納得した雰囲気の羽山に対し、俺はわざとらしく咳払いをし講義を終えた。

「ってゆーか、和希凄すぎない!?そんなの高校生の知識じゃないでしょ!?」


「いや、これは親父の仕事の関係もあって……」


 その時だった。

 バタバタと大きな足音が近付いてきたかと思うと、その勢いのままに教室内へと飛び込んできた。


「D組の和希くんいる!?」


 英語の若い女教師。

 血相を変え、息を切らし、そう叫ぶ。


「……はい」


 教室内に残っていた数少ない生徒の目は、ただならぬ雰囲気の女教師に引き寄せられている。

 そんな視線の集中放火を浴びながら、息切れの合間をぬって、彼女は口を開く。


「かっ、和希くん………お……お父様が、たっ……た今病院に……緊急搬送されたって、ご連絡が…………」


「なっ!?」


 頭が真っ白になった。

 言葉は理解出来るのに、意味が解らなかった。

 周囲の視線が女教師から、俺へと移るのを肌に感じる。

 目の前にいる羽山は、目を見開き、両掌で口許を覆っている。

 周囲の様子は、無駄に克明に解るのに、身体から力が抜け、動けない。

 タイミングをはかったように、ポケットの中の携帯が激しく振動を始めた。

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