5月13日

 定期考査最終日。

 昼下がりの校舎内。

 青々と茂る木々の隙間から陽射しが降り注いでいる。

 日溜まりの中でじっとしていると、色素の濃い部分へと重点的に熱が集まり、じっとりと汗が滲む。

 だが、緩やかに吹き込む風はまだ涼しく、籠った熱を直ぐに浚っていってくれた。


「なぁ?龍臣?」


「んー?」


 教室に面した廊下、並ぶ窓に凭れかかるようにして、俺達は学生が通り過ぎる様をボーッと見ていた。

 福寿高校では、未だに三期生を取り入れているので、五月の半ばには早々と一学期の中間試験が行われる。

 期間は三日間。教科は現代文、数I、英語、日本史、世界史、生物、化学の最低七教科。更に、特進と上級コースに属する生徒は、古典、数Aも加えて受けなくてはならない。


「ちょっと異常じゃないか?」


「そだねー」


「……お前、解って返事してるか?」


「んー、してない」


 試験からの解放感からか、ぼんやりとしている龍臣。

 長い身体をぐったりと窓へと預け、紙パックのジュースを啜っている。

 試験は既に午前中の内に終わり、俺はもう帰るだけだ。

 なのにも関わらずこうしてぐだぐたと学校に残っているのは、龍臣に付き合っているだけだった。

 流石の福寿も、試験一週間前は大々的な部活動は禁止されている。

 龍臣の所属するバスケ部も、例に漏れず、試験期間は校内のジムを利用しての筋力トレーニングのみを行っていたが、試験が終了した本日からは、通常通りの部活動が再開される。

 だが、その前に部長や顧問がミーティングをするのが恒例になっているらしく、時間が余っているとの事だった。「だから、付き合って」と言われた時は、即答で断ったが、食堂で食事を奢ってくれると言うので渋々承諾してやった。


「…………」


「……んで、何が異常?」


 会話が成立しない龍臣に呆れ黙りこんでいると、今更ながら訊き返された。


「七不思議だよ、七不思議」


「あぁ、七不思議ね……別に異常じゃないんじゃない?どこにでもあるもんでしょ?七不思議の一つや二つ」


「いや、七つなきゃ駄目だろ?」


「もー、心は細かいな。言葉のあやっスよ」


 空になったパックジュースを握り潰す。

 眼前の教室内では、俺達と同じように時間でも潰しているのか、話に花を咲かせる者。

 下校するのか、はたまた部活に行くのか、荷物を抱え廊下を足早にいく者。試験が終わったばかりだというのに教科書を開いている者。遊ぶあてでも探しているのか繰り返し携帯電話を耳にあてている者。色々な奴が既に放課後になっているというのに、校舎内に残っている。

 初めての定期考査を無事終えられた達成感からか皆どこか目が活き活きとしていた。

 けれど、耳を澄ませばどこからか例の『七不思議』の話が聴こえてくるんじゃないかって気がした。


「やっぱり……ちょっとおかしいだろ?いくらありがちとは言っても、こんなにも、皆して怪談話をするか?」


 充分な間があった後、一度は終わりかけた話題を俺はぶり返した。


「多感な年頃だからじゃない?」


「だからって、昼夜問わず、学年すら関係無く、殆どの連中が必死になって話してる意味が解らない」


「んー?まぁ、言われてみれば……」


 龍臣のようにオカルトに大して興味が無い人間からすれば、そんなに気にならないのかもしれない。

 俺だって、元来超常現象にさして興味はない。

 そんな俺達ですら、たかが一ヶ月ちょっとで七不思議のいくつかを耳にしているのだ。


「それに、なんでご丁寧に表題が付いてるんだ?」


「あぁ、あの『呪いの~』とかってヤツ?」


「そう、わざわざ一言で何の話か分かるようになってるんだ。怪談なんて本来雑談の延長みたいなもんなのに、相手が既知の話かどうかを判断する必要があるのか?」


「うーん、……一回聞いた話じゃ面白くないからとか?」


 七不思議の話をする奴達は、決まって始めに「この話を知っているか?」と訊いてくる。それを確認出来るようにするために、例の表題のようなものが設けられているのだろう。同時に、七不思議の話が校内に幅広く知られているという事もそこから推察出来る。


「ましてや、流れている怪談の中には、明らかに作り話まで混ざってる……」


「そうなの?」


「あぁ、『血塗れピアノ』とか言ったかな……知ってるか?」


「あー……っと、知ってる。女の子が首吊り自殺しちゃうヤツ?」


「そう」


「作り話?まぁ、音楽室のピアノが、とか内容はありがちかもしんないけど……」


「まぁな、ありがちだから全部創作だったとしても理解出来るし、色んな人間が話している内に元ネタが変わったって可能性もあるけど……」


「うん」


「首吊りなのに血塗れってのは明らかにおかしい」


「なんで?」


「首吊りってのは、テレビドラマとかでよく使われるけど、本当の死体は大分イメージが違うらしい」


 自殺の定番なんてものがあるのかは判らないが、印象の問題として頭に植え付けられているのは、投身、服薬、首吊り辺りが定番だろう。


「血なんか出ないんだよ」


 首吊りは要するに窒息死だ。

 体重によって気道が締め付けられ、呼吸が出来なくなって死に到る。もしくは、絞首刑等の場合は、頚の骨が折れることが死因になる。

 どちらにせよ出血する要因にはならない。


「でもさ、ドラマとかだと口から血が出てたりしない?」


 龍臣は指先で自分の口角辺りから顎へかけてなぞって見せる。

 俺は緩く首を振る。


「実際にはあんなに綺麗なもんじゃないらしい、窒息は即死じゃない分苦しむから、まず綺麗な死に顔にはならないんだと」


 実際の首吊り死体は想像しているよりも何倍もグロいものらしい。

 表情は苦しみに歪み、眼球が押し出され、口は酸素を求めてだらしなく開かれるという。

 しかも、発見までに多少の時間が経っている場合、体内の液体や汚物が垂れ流され、悪臭を放ってしまうのだとか……


「映像で表現出来る限界があの状態なんだろうな。パッと見で死んでるって判るように」


 一応は食後という事もあり細かな言及は避けた。

 これから部活だという龍臣の気分を悪くさせても仕方無い。


「なるほどなぁ……やっぱ凄いよ心。そんなん普通気付かないもん」


 龍臣は、屁理屈に近い俺の解説を揶揄するわけでもなく、手放しで感心してくれる。

 口先だけで腹ん中じゃ何を思ってるか判んない奴が殆どだが、龍臣は裏表が無い。

 物事を深く考えないというと聞こえは悪いが、発する言葉が真っ直ぐで、受け止め方も素直だ。その証拠に、龍臣が誰かの陰口を叩いているところを俺は見たことがない。勿論、人間だから多少の裏はあるのだろうが、その素振りを表に一切出さないのがコイツの凄いところだと思う。

 だからこそ、幅広く好かれるのだろう。

 故に、取るに足らないような話題も話し易い。


「いやっ、偶然っつーか、ちょっと気になってたからさ……」


 大袈裟に褒められ、気恥ずかしさから思わず目を逸らす。

 だが、俺の視線を追い掛けるように龍臣は身を屈め、覗き込んできた。


「…………気になってたっていうのは、やっぱアレのせい?」


 コソリと、声を潜めて訊ねてくる。

 そういえば、例の悪戯が始まったあの日、龍臣も一緒にいたんだ。

 「アレ」と濁したのは、コイツなりの気遣いなのかもしれない。


「あぁ……流れ的にさ、あの靴箱のメッセージも七不思議に関係あるんじゃないかとは思ってる」


「七不思議に則っての悪戯ってこと?」


「そう。……実はあれからずっとなんだよ。毎週必ず入ってるんだ」


「マジで!?」


「いくらなんでも粘着過ぎっつーか、流石にうんざりしててさ……」


「そっか、それは確かに嫌でも気になっちゃうわ」


「だろ?悪戯としては大したもんじゃないし、犯人を捕まえようとか、チクってやろうとは思わねぇけど……意味が解らねぇっていうのが一番苛立つ」


 頭を抱え、溜まったストレスを口に出せば、勝手に溜め息まで漏れた。


「はは、そーゆーことね。心はとことん突き詰めるタイプだかんなー」


 俺が怯えているとか、精神的に追い詰められているわけではないと解ると、龍臣は緊張を解いて、安堵したように笑った。


「うーん、でも靴箱の怪談は聞いたことないな~」


「そうか……俺も今のとこないんだよ。因みに龍臣はいくつ知ってんだ?」


「えーと、三つかなー、さっきのピアノのと、机のやつと、格技室のやつ……あ、でも格技室の話は半分寝てたからよく覚えてないけど」


「怪談聞きながら寝るなよ?」


「いやぁ、だってサ、練習後に先輩達が飯奢ってくれるっつーから付いてったのに、そんな話なんだもん」


「わからんでもないが……腹膨れたら眠くなるって幼児かよ」


「こんなデカイ幼児いたら気持ち悪いでしょ?」


 少々自虐的な発言をすると、龍臣は更にケラケラと笑う。

 その時、少し離れた廊下の先で「部活行くぞー」という声がした。

 呼び声に、軽く手を上げ応え、龍臣は凭れていた窓から弾かれたように背中を放す。


「じゃっ、行くわ。付き合ってくれてサンキュ」


 そう言って、未だ俺の手中にあった空の紙パックを回収していってくれた。

 まぁ、日頃に比べれば、大分早い事には変わりない。

 とりあえず教室内に置きっぱなしにしてある鞄を取りに行こうと窓辺を離れた。


「和希くん」


 開け放したままになっている教室の敷居を跨いだ瞬間、呼び止められた。

 背後からの呼び声。

 このパターンで最近イイコトがあった覚えがない。無視したいところだがそうもいかないだろう。無視したところで、もう一度同じ所を通るわけだし。


「…………あ」


 顔がひきつるのを隠しきれぬまま振り返ると、そこにいたのは思わぬ人物だった。


「ちょっといいかな?」


 流れるような黒髪、白い肌、円らな瞳。

 入学式の時の彼女だった。


「……なんで俺の名前?……あぁ、総代か……」


 訊きかけ、入学式時に大きく読み上げられた事を思い出す。


「えっと……なんか用?」


「その……さっきの話聞いちゃったんだけど……」


 彼女は、以前話した時と違って消え入りそうなおどおどとした声だった。

 さっきの話とは、龍臣と話していた七不思議の事だろうか……

 そんな大声で話していたつもりはないが、余程近くにいたのか彼女の耳に届いてしまったらしい。

 扉の敷居を挟むようにして対峙する俺と彼女。

 その横を何人かが横切っていく。

 テニス部の生徒が背負ったラケットケースが俺の肩をかすった。

 当たった事には気付かずに、そいつは入口に突っ立っている俺を怪訝そうに見て足早に去っていく。


「ちょっと待ってて」


 このまま話し込んでいたら通行の邪魔になる。

 机の上に投げ出していた鞄をひっつかみ、場所を変える事にした。


「……それで、話って?」


 場所を変え、改めて会話を再開する。

 A棟の屋上。

 建て替えて間もない為か、風雨に晒され続けている屋上もまださして傷んでいない。事故防止の為の高い鉄柵も、綻びは無く、ペンキの色もくすんでいない。

 場所を変えようと提案した俺に、戸惑いつつも、言われるがまま彼女はついてきた。


「あのね、さっき言ってた七不思議の話なんだけど……」


 彼女は、強い西陽に目をしばたかせていた。

 とうに南中を過ぎた太陽は、これでもかと照らしつけている。


「七不思議の話は作り話が混ざってるって……本当?」


「あぁ、あくまで推測だけどね」


「そっか……」


「なんで?」


「え?あっ……あのね、私図書委員なんだけど……」


「……うん」


「図書室にも七不思議の話があって……ほらっ、委員だと遅くまで残らないといけない時もあるから……」


「……うん」


 彼女はたどたどしく、おどおどと、少し恥ずかしそうに、言葉を紡ぐ。


「……その、怖くて」


「…………は?」


 思わぬ言葉に俺は、変な声を出してしまった。

 七不思議の話をする生徒は校内に多くいる。誰しもが話す事に必死で、話したがっていて、訊いてもいないのに具に、克明に話してくる。

 だから、正直意外だった。新鮮な反応だった。『怖い』なんて……


「あっ!今馬鹿にしたでしょ!?」


 驚きに口をぽかんと開けていると、消え入りそうだった彼女の声が跳ね上がった。


「いや、そうじゃないって!……皆平気で七不思議の話ばっかしてっからさ……」


「高校生にもなって怖いなんて変だって言うんでしょ?」


「だから、違うって……怖いモンなんて人それぞれだと思うし」


 彼女は一歩距離を詰め、疑うようにこちらを見上げてくる。声の調子や雰囲気が以前会った時のものに戻っていた。


「アンタの反応のほうが普通だよ……俺が、皆が麻痺しちまってるだけだ」


 自分で言ってその通りだと思った。

 追い詰められたようにビクビクして、急き立てられるように怪談話をするくせに、話した後はホッとしたような顔をしている。

 変なのは彼女じゃない。

 他の連中だ。


「……そぅ、そっか、ならいいんだ」


 彼女はほぅっと息を吐き表情を和らげた。


「……それで?どんな話なんだ?図書室の話は」


「聞いてくれるの?」


「あぁ、作り話かどうか知りたかったんだろ?」


「うん、……あのね、『閲覧禁止の本』って話なんだけど……」






 四年前、卒業を間近に控えたある一人の男子生徒が、七不思議の話を集めて文集を作ろうとしたらしいの。

 彼は文芸部に所属していたんだけど、文芸部の部員はたった四人で、しかも全員が三年生、翌年には廃部が決まっていたから、最後に自分達の活動の記録を形に残したいと思っていた。

 その頃って……ほらっ、校舎の建て変えが始まる前でしょ?

 生徒達は慣れ親しんだ校舎がなくなってしまう事を惜しんでなのか、盛んに七不思議について話題にしていたから、文集を作れば、そう言う意味でも思い出になるって考えたみたい。

 けれど、七不思議の話を集め始めた途端、文芸部の部員達にたて続けに不幸が起こった。

 怪我をしたり、病気になったり、時には家族が亡くなるなんて事も……。

 でも、彼は気にしていなかった。

 だって、日常に起こった不幸が怖い話のせいだなんて普通思わないでしょ?

 それに、彼は物語としとはホラーを面白いと思っていても、幽霊を信じてるわけじゃなかったから……。

 文集作成が進むにつれ、文芸部に降りかかる不幸は加速していった。

 とうとう、唯でさえ少なかった部員は一人、二人と減っていった。

 卒業が間近だったから、自主的に休学する人もいれば、怪我や病が原因で通学が出来なくなってしまった人もいた。

 そんな状況になっても、彼は止めなかった。

 部室に独りで籠って、一心不乱に文を綴る彼の姿は、何かに憑かれているようだった。

 外見も明らかに窶れ、頬骨が浮き出し、眼だけが爛々としていた。

 やがて三月になり、彼は無事卒業したんだけれど、その後直ぐに精神に異常をきたして、決まっていた大学に進学する事もなく入院してしまった。

 それでね、肝心の文集は…………行方が分からなくなってしまったらしいの。

 完成していたのか、それすらもう判らなかった。



 でも、ある時図書委員の子が、図書室の貸出禁止スペースに見たこともない書籍を見付けた。

 その本は、藍色のハードカバーで、タイトルも何も無い。

 目録を調べてもそんな本は存在しない。

 不思議に思って、その子は中を調べてみたんだけど、その本には何も書かれていなかった。

 白紙だった。

 そして、貸出禁止のスペースへ「蔵書の整理に行く」と言って入っていたのを最後にその子の姿を見た人はいなかった。

 その子は、そのまま姿を眩まし、今でも行方が分からない―――――






 彼女は、時々言葉に詰まり、悲痛な表情を見せつつも、話を終えた。

 感受性が強いのか、たかが怪談話の登場人物に感情移入しているようだった。

 他の生徒達が七不思議の話をしている時とは大分違う表情だった。


「……どう、かな?」


 長い睫毛を伏せ、一度大きく深呼吸をしてから、彼女は訊いてきた。


「そうだな……」


 話の概要を頭の中でまとめつつ、少し考える。


「この話も他と同様、ありがちな展開だから、伝聞の途中で変化したのかもしれないし、断定は出来ないけど……」


「けど?」


「おかしな点は幾つかある」


 彼女は、ただの粗捜しに過ぎない見解を、固唾を飲んで聞いている。


「まず、話の中に出てきた文集は七不思議を集めたもの……なら、この話自体が七不思議とは無関係な怪談話である可能性が高い」


 話の内容を鵜呑みにするなら、四年前には既に七不思議は七つ揃っていた事になる。

 だが、話では七不思議を収集したとは言ってるものの、七つ全て集まったとは言っていない。

 なので確実に七つの話があったとまでは断定出来ない。


「次に……肝心の本の事だけど……」


「……うん」


「見付けた当人が行方不明になったっていうのに、なんで本の中身が白紙だったなんて事が判るんだ?」


「??…………そっか!」

「……とりあえず気になったのはそれくらいかな」


 俺は余計な言葉を飲み込んで、締め括った。

 今言った話だけでは、怪談が創作であるという証明は出来ていない。

 何故なら、先の『血塗れピアノ』と違って、怪現象が人為的に行えるからだ。

 話通りの冊子を用意し、生徒が消息不明になれば、怪談を成立させられてしまう。

 そうやってその状況を作りだし、「ね?七不思議は本当だったでしょ?」と言われたら、否定しようにも出来ない。


「充分だよ、有難う。ちょっと安心した」


 曖昧な表情を浮かべる俺を気遣うように、彼女は笑みを浮かべる。


「そっか……だったらいいんだ」


 スッキリしないところもあるが、彼女の力になれたならそれでいいか。


「あ、そういやアンタの名前……」


 今更になって、俺は彼女の名前を知らない事に気付いた。


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