第二夜

5月6日

 今年のゴールデンウィークは、二日が日曜だったことで、五日間という長めの休日となった。


「またか……」


 人影の少ない昇降口で、独り呟く。

 手の中にあるのは薄っぺらい紙切れ。

 普段は独り言なんて頭の中だけで済ます俺も、ここまで粘着質に同じ事を繰り返されると流石にうんざりしていた。

 入学して間もない頃に入れられていた紙切れは、ご丁寧にも毎週木曜日になると同じように靴箱に存在していた。

 一ケ月も無視し続ければ、悪戯の主も飽きるだろうと放置していたのだが……



  『 次はアナタ


      あと21日 』



 文面は殆ど変わらず、減っていくのは数字だけ。

 始めにこの紙片を見つけたその時から三週間が過ぎている。

 その過ぎた日数をしっかりとマイナスして数字が刻まれている。


「…………五月二十七日?その日がなんだっていうんだ?」


 逆算して、数字が零になる日について考える。

 特に何も思い到らない。


「ねぇ、聞いた?」


「……あぁ、七不思議の話?」


「そうそう」


 二人組の女子が昇降口へと入ってきた。

 紙切れと見つめ合ったまま突っ立っていた俺は、咄嗟にポケットへとそれを突っ込んだ。

 同時に、展開していた思考も停止する。


「今、何個目?」


「もう四個目だよ~」


「でも、一回話せば大丈夫なんでしょ?」


 女子二人は、どうやら同級生のようで、こちらへと向かって来る。

 再度靴箱を開き、然り気無さを装って上履きを床へと落とす。

 この時間は生徒達の登校時間だ。

 始業までには後三十分はあるが、特別早い訳ではない。なのにも関わらず昇降口に人が少ないのは、運動部が朝練の為にまだ校舎内へと到着していないからだった。


「きっと大丈夫だよ。ルールは三つで一人だって話だし」


「でもさ、六つ知っちゃったらどうなるの?」

 二人組は、話に夢中になっているのか、靴を履き替える俺の存在を意識せず、角を曲がり、直ぐ後ろの靴箱へと……。

 会話の内容が静かで天井の高い昇降口内に響いているなんて、ちっとも思っていない。


「確かに……そうかも」


「それにさ、七つって割に結構話流れてるっぽくない?」


「じゃあ、ガセが混ざってるかもってこと?」


「……だとしたら、今何個って判らなくない?」


 唯でさえ薄気味の悪い悪戯に辟易している俺は、早々に立ち去ろうと、ローファーを乱暴に靴箱へ放り込んだ。


「うっそ!どうしよ!?だったら、ミッコに話したの無意味じゃん」


「私もそうだよ……」


「……誰か見付けないと」


 そのまま早足に廊下を歩き出す。

 ワックスのきいた床に上履きの滑り止めがキュッキュッと音をたてる。


「あ、和希くん」


 逃げるように階段へと足をかけた所だった。

 最新の校舎には、生徒も使用出来るエレベーターが三機も設置されている。

 一年生の教室は最上階の四階。

 大抵の生徒はエレベーターを利用する。

 だから、階段を上れば、すれ違う事も、声をかけられる事も、ない―――と思っていた。


「おぅ……おはよ」


 名を呼ばれてしまえば無視するわけにもいかない。

 振り返ったそこには、案の定二人組。

 片方の女子は知った顔だった。


「やっぱり和希くんだ!おはよ!!」


 クラスは違うが、同じ特進コースの奴。

 今まで話したことはない。


「ねぇねぇ?先週の課題ってもう終わった?」


 馴れ馴れしく、当たり障りの無い話題を持ちかけながら、然り気無く横に並ぶ。

 そうなれば、もう一人の娘も、自分だけエレベーターホールへ向かうわけにもいかず、後に続いた。


「あぁ、ゴールデンウィーク中に済ませたよ」


「えー!やっぱ凄いな~、提出来週だけど、私まだなんだ~」


 勝手にこちらに歩調を合わせ、わざわざ横に広がり、並んで階段を上っていく。

 振り切って駆け出すわけにもいかない、何処かに逃げる事も目的階までは難しい。

 階段を選んだ事が、逆に仇になってしまった。

 ぐるぐると四階層分、お付き合いしなくてはならないようだ。


「そっかそっか~……ところでさ、和希くん『呪いの机』って七不思議知ってる?」


 会話が弾んでいるかのように朗らかに相槌を打って、急に彼女は話題を変えた。

 やっぱりな、と心の中で嘆息する。

 先程までの会話を聞かれていたかもとは微塵も思っていないようだ。


「あー、その話は聞いたことあるよ」


「…………そぅ」


「じゃあっ、『校庭で踊る魂』は!?」


 俺の応えに口をつぐんだかと思えば、今度は一つ離れた向こう側から、もう一人が後を継いだ。隣の彼女はともかく、もう一人の女子生徒においては名前はおろか、顔も知らない相手だ。


「……あー……っと、それも」


「……そっか」


「だったら、『血塗れピアノ』は!!??」


 嫌悪感を取り繕ってなんとか応えたと言うのに、またしても同じような問いがなげかけられる。

 同じように逃げ続ければ、いつか終わりは来るだろう。どうあがいたって七つが限界なのだから。


「それは、聞いたこと……ないかな」


 しかし、俺はそうはしなかった。

 彼女達には鬼気迫るものがあった。

 口を開く度に目が爛々とし、「知っている」と言う度にこの世の終わりのような顔をする。

 胸糞悪い話を朝っぱらから静聴することに意味があるとは思えないが、何故ここまで彼女達が必死なのか、その理由に少し興味がわいた。

 それに、毎週靴箱に入れられているしつこい悪戯も、この七不思議に由来したものではないかと予想出来た。

 ならば、七不思議の話を聞く事で、悪戯の首謀者を捕まえる手掛かりになるかもしれない。


「本当!?あのね、『血塗れピアノ』って話はね」


 隣の彼女は到底怪談話をするとは思えないテンションで、目を輝かせ話し始める。

 階段はまだ二階を通り過ぎたばかり。






 昔、福寿はただの進学校だったんだけど、それじゃ他の私立に負けちゃうから、今後は文武両道の名門に変えようって事になったんだって。

 早速学校側は運動能力の高い学生を特待生として迎えたり、体育教師も優秀な人を起用して……文武両道の実現を目指したらしいの。

 でも、福寿に入学した生徒の中には、今まで勉強しかしてこなかった人達もまだ沢山いた。

 結果、当たり前のように事故や怪我が増えてしまったんだって。



 その頃の二年生にね、ピアノがとても上手な生徒がいたんだけど、その娘も体育の授業で誤って突き指をしてしまったの。

 その娘はコンクールでも沢山入賞してて、将来はプロのピアニストを目指してた。

 だから、今までずっと指を大切にしてきて、小さなささくれさえ作った事がないような娘だった。

 だけど、怪我をしたからといって、ピアノの練習を疎かにする事が出来なくて、痛いのを我慢して練習してたらしいんだ。

 そのせいで、怪我はいつまでも治らなかった。

 挙げ句、ヒビが入って骨が折れるまでの重症になってしまったの。

 それでもその娘は、鍵盤を叩き続けた。

 折れた指の骨は、歪んだ状態でくっつき、綺麗だった指は曲がったまま―――その娘は、もう以前のようにピアノを弾く事が出来なくなってしまった。

 夢を叶えるために頑張ってきたのに、たかが突き指でその娘は夢を断たれてしまい、それを苦に自殺してしまったの。

 この学校の音楽室で頚を吊って……

 その娘の死体は、丁度ピアノの鍵盤の上にぶら下がっていたんだって。



 それからと言うもの、その娘が亡くなった午後八時になると、B棟の音楽室からピアノの音が聴こえてくるって噂がたった。


 ある時、その真意を確認しようとした生徒が、思いきって音楽室を覗くと―――――そこには誰の姿も無かった。

 けれど、真っ白な鍵盤にはポタリポタリとどこからか血が滴っていて、その衝撃でピアノが音を奏でていたんだって―――――






 まるで我が事のように、悲哀を漂わせ、彼女は話を締め括った。

 階段はあと数段で四階というところまで来ていた。

 今まで大して話した事は無かったが、彼女はなかなかの話し上手だった。

 彼女だって又聞きのはずなのに、一言一言に抑揚を付け、上手な間を取り、更には表情まで加えて、よくある怪談話を語り上げていた。

 だが、残念ながら今の話は作り話だ。

 複数人に伝言ゲームのように語り継がれる内に、元の話が変容してしまっただけかもしれないが、少なくとも由来か後日談のどちらかは創作物だろう。


「ごめんね和希くん、突然変な話しちゃって……」


 四階に辿り着くと、彼女は我に返ったように非礼を詫びた。

 もう一人のほうも、つられるように頭を下げる。


「いや、構わないよ」


「そ、そう?ありがと…………それじゃ、また特進でね!」


 そう言うと、二人組は逃げるように、自分達のクラスへと走り去っていった。

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