第75話 パンの香りと【ふしぎ】シリーズ①
「イグニスー! こっちも発酵お願いしまーす!」
「はいっは~い!」
すごい、いつものんびりなイグニスの声が跳ねてる……!
「んん~……は~い!」
キラキラキラ……と赤い光がはじけ、イグニスに託したパン生地の一次発酵が完了した。
「イグニスー! こっちも発酵をお願いするのにゃー!」
手袋をしたルルススくんもイグニスを呼ぶ。
ルルススくんが作っているのは、私たちが食べる用の作り置きパンだ。ルルススくんの手でも作りやすい、掌サイズの丸いパン。
肉球の掌でコロコロ転がして器用に丸くしてくれているけど、たまに力が入りすぎて肉球のスタンプが押されてて……可愛いのでそのまま焼こうと思ってる! 上手く肉球の形が出ればいいのだけど……!
――あっ……これ、ケットシー大好きレッテリオさんが食べたがりそう……?
「ねえ、ルルススくん? 肉球印の丸パン……沢山作ってみてくれないかな? 明日レッテリオさんにお土産で渡したいなーと思って……」
「にゃ? いいにゃよ? こんにゃルルススの手の跡付きのパンで良いにゃか?」
「うん! それがイイの!!」
ルルススくんはお口を「A」の形にして首を傾げてたけど、人間の我儘なので……どうかお願いします!
さて。今日の工房は朝からパン皮が焼ける香ばしい匂い、バターの香り、ちぎった焼き立てパンの甘くてしっとりした香り。そんな美味しくて幸せな匂いでいっぱいだ。
明日はレッテリオさんと隊長さんが来るので、受注済みの『キューブパン』と『田舎風パン』『歯応えもある小さ目バゲット』、それから『薬草ビスコッティ』を焼いていた。
「九食セットの四人分……」
改めて献立表を確認してみて、その量にびっくりしてしまう。
予定している納品食は、パン三種、スープ(固形コンソメ/ミネストローネのスライム容器入り)、薬草ビスコッティ、コーティング済みチョコレート棒(仮)の四種類。
これを最低人数分の四人×三日分――スープは毎食分じゃなくて、固形を四個、ミネストローネ三食分にしようと思っている。薬草ビスコッティと棒状チョコレートはオヤツや行動食、非常食用なので……とりあえず初回は、各十本ずつで様子見をさせてもらおう。
「【ふしぎ袋】多めに作ってみて良かった……!」
最初はパンだけを入れるつもりだったけど、よく考えたらビスコッティとチョコも合計二十本。これは意外とかさ張る。
棒チョコは、抗菌、防湿、温度変化耐性の付いた【
だけど逆に、【薬草ビスコッティ】は湿気に弱いし衝撃にも弱く割れやすい。なので【
巾着型なのでこのままベルトに括り付けてもらっても良いかもしれない。騎士服に巾着袋はちょっと間抜けかもしれないけど……。
「アイリス~!」
「丸パンも焼けたにゃ~!」
イグニスはクルクル回り飛び、ルルススくんはご機嫌のトタタン! の足取りだ。
「ルルススの肉球印丸パンもキレイに焼けたのにゃ!」
「あれっ、肉球のとこだけこんがり色に焼けてるんだね」
へこみで付けた型はあまりキレイに出ないかな……と思ったのだけど、予想外に綺麗に、それも色味まで違って出来ている。中央だから火に近くて良く焼け……いや、これはイグニスの『火の力での包み焼き』だから関係ないか。
「くふふ~……ぼくだよ~! アイリスは肉球もようのパンを作りたかったんでしょ~? だからね~火力と温度を調整してきれいに出るように焼いたんだぁ~!」
「イグニスまた腕が上がってるにゃね! 細密で丁寧な仕事で作られたものは最高なのにゃ!」
「くふ、くふふ~! 大成功~!」
私は籠に山盛りになっている丸パンを驚愕の目で見つめた。
ああ、この小さなパンにすごい技術が使われている……!
「い……イグニス、すごい……っ!! 」
これは私も頑張らなければ……! 新しい精霊――レグとラスと契約出来たのはイグニスとやってきた積み重ねのおかげだ。それにイグニスの信頼と期待にも応えたい。
――しかし今、私の目の前には越えなければならない山がある。
「よーし! みんなでパン詰めるよー!」
「はいにゃー!」
「はいは~い! ぼくは数を確かめるよぉ~!」
焼いたパンの数は、一食二つとして約百個。一人分は約二十個だ。これでとりあえずの三日分。
大きく丸い田舎風パンは四等分にして、更にスライスして食べやすい大きさに切っておく。バゲットはそのままで良いだろう。そうそう、キューブパンはバターたっぷりだしチーズも入っているので、これだけはツィツィ工房から貰った【簡易
「『田舎風パン』は一食分が四分の一、バゲットは二本、キューブパンは三個。これで一日分だから全部で……」
「一袋、四分の一を三個と六本と九個にゃ!」
「んー……じゃあ、予備とカロリーを考えて『キューブパン』を三個追加の十二個にしよう」
「そうにゃね。一ダースでキリが良いし、キューブパンはオヤツにも非常食にも向いてるから良いと思うにゃ」
私たちは焼き立てのパンの香りに包まれながら【ふしぎ袋】にパンを詰めていく。二人でやればあっという間だ。
「うん~数はあってるよ~! でもまだまだ入りそう~!」
個数チェックをするイグニスが袋から顔を出す。
「ほんと? 意外と余裕があったんだ」
「う~ん! 空間の感じだと~たぶん田舎風パンあと二個くらいは入りそう~」
「え、田舎風パンって丸々?」
「ほんとにゃ。余裕にゃね」
やっぱり素材の品質が高いから、予想以上、腕以上に良い物が出来たのかもしれない。
「五日分くらいなら入りそうってことだね……」
『チリン チリン』
来客を告げるベルが鳴った。
「あ! ツィツィさんかも……!」
「お待ちしていたにゃ!」
「ツーさん、スライム容器できたかな~?」
バタバタと玄関へ向かい、三人で扉を開けた。すると予想通り、そこにはちょっと疲れた風体……でありながら、満面の笑みの主、ツィツィさんと製造部門長のフィオレさんが。
「楽しかったよ! アイリスさん!」
「面白すぎる実験が出来ました……!」
二人は抱えていた木箱の蓋を取り、中に収めていた
「わ! これ、もしかして……!」
にたぁ。
クマの目立つツィツィさんと、充血が酷いフィオレさんが何とも言い難い……失礼ながら、気持ちが悪い笑みを揃って浮かべた。
「出来ましたよ! 【ふしぎスライム容器】!」
「こちらの円筒型は発注されたスープなどの液体用、それとこっちの長方形は長い植物などを入れることを想定してて、この四角いのは何にでも使いやすそうかなと。大中小揃えました!」
「と、とりあえず中へどうぞ……」
ズラッと各種取り揃えられた容器と二人の興奮を見て、私たち三人は「これは長くなるな……」と顔を見合わせた。
「では! 今回の容器は試作品ですので、騎士団での試用が終わりましたらご連絡を! 必ずくださいね!!」
「他にも欲しいスライムものがあったら是非! 実験するからお気軽に声をかけてくださいね!」
「は、はい! あの、ありがとうございました、少しゆっくり休んでくださいね……!」
私は二人にそう言ったが、当の二人はまたあの「にたぁ」とした笑みで頷いていた。
――駄目だこれ。絶対にまた実験を続ける気だ……! これだから錬金術師は……!!
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