第65話 ふわふわパンケーキとイグニスの新技パン
「んにゃ? アイリス今日は早起きにゃね~」
階段を下りると、工房一の早起きルルススくんが毛づくろいをしていた。
「うん、今日はちょっと採取に行きたいからお弁当を作ろうかと思って」
「それにゃ保管庫の作り置きパンはもうにゃいから焼かなきゃにゃね! ルルススは朝ごはんパンケーキにしたにゃ」
「あっ、そっか! パン昨日全部食べちゃったんだっけ」
うっかりしていた。そういえば夕食のミネストローネが美味しすぎて、バゲットに
錬金術師は採取や錬成に夢中になってしまう(残念な)生き物なので、パンは毎日焼かず一気に作って【状態保持の保管庫】に入れておいたのだけど……。食事を摂れなかったあの数日間のせいだろうか。まさか錬成じゃなく食事に夢中になってパンを食べ滅ぼしてしまうだなんて。
「今から焼くにゃ?」
「うん、でも……」
どうしよう。
今日は森の奥の洞窟に行く予定だから、できるだけ早く出たいのだ。でもお弁当ナシはいただけない。きっと帰りは夜になるだろうし……昼食なしで採取は体力的にも精神的にも不安だ。蜂蜜ダイスとチョコを持っていく? うう~ん……でもそれオヤツだし……。
やっぱりお弁当作ろう。これからパン生地を捏ねて発酵させて……ああでも時間がかかり過ぎる。もう開門してるだろうから街に買いに行った方が早いかな?
「うーん……」
「アイリス、その前に朝ごはんにするにゃ。採取に行くにゃらちゃんと食べておいた方がいいにゃ。それにほら、イグニスがもう兎花の蜜の瓶に……」
「ぼくパンケーキは甘いやつにする~!」
ふわふわで甘いパンケーキのおねだりだ。ああもう、そんなキラキラした目で見られたら、作らないなんて選択肢は私にはない!
「そうだね! よーしふわっふわの作っちゃうから待っててね!」
「にゃっ、ふわっふわにゃか? ルルススにも小さいパンケーキ作ってほしいにゃ……自分で作ったのはぺたんこパンケーキだったのにゃ」
「了解!」
「それじゃまず……卵かな」
私は卵を二つ、それと牛乳を保冷庫から取り出した。
「卵黄と卵白に分けて……」
ふわっふわパンケーキの秘密は『メレンゲ』だ。卵白だけを使うのだけど、卵黄を捨てちゃうのは勿体ないので、私は生地に混ぜてしまう。
生地を用意したら次にメレンゲ。卵白にお砂糖を加えて混ぜる! ちょっと骨が折れるけど、角が立つまで頑張るしかない。メレンゲが出来たら生地に混ぜこんで……と。ふわっふわに仕上げるには混ぜ過ぎないようにするのがコツだ。うん、このくらいでいいかな。
「イグニス、火をつけてくれる?」
「はいは~い! フライパンにバターも落とすよぉ~」
じゅわぁ……と、温まった鉄の上でバターが溶ける良い音と良い匂い。ああ、バターってしあわせ……。でも薄く引く程度で良いので、小さめに切ったバターが溶け始めたらフォークで全体に馴染ませてやる。
これもイグニスに焼いてもらっちゃえばすぐなのだけど、バターの香りも欲しいし何より「こんがり」ではなく「フワッ」と焼きたいので今日は火だけのお願いだ。
「イグニスとルルススくんは焼いてる間に好きなトッピングを用意しておいてね!」
イグニスは兎花の蜜、ルルススくんは、ああ、木苺のジャムか。じゃあ私は……
ただこの
「ふっわふわぁ~~!」
「ふわふわにゃ!」
「ふっわふわだねー! イグニスの弱火が上手だったおかげだね! それじゃ……」
「いただきまーす!」
フォークでつつくと、しっとりフンワリの良い触感。さあここにバターを乗せて蕩かせて私はジャムを、イグニスはこれでもか! というくらいに蜜をかけていて……ああ、お皿に海ができている。上はバターと混ざった蜜で下からも蜜が染み込んで、あれは絶対に美味しいやつだ!
ナイフを入れるとシュクッと、メレンゲで膨らんだ生地がほどけるように切れた。私は大きな一切れに、甘い玉檸檬と錦蜜柑のジャムをたっぷり付けてパクリと一口。
「んん~! おいひぃ~!!」
ふんわりだけどシュワっと溶けるようなこの食感! 甘酸っぱいジャムと香り高い濃厚なバターと、ちょぴっと垂らした蜂蜜が……! すごい……鼻に抜ける爽やかな香りと舌に残るコクのある蜂蜜が……すっごい……堪らない……!
「おいしいのにゃー! ルルススの作ったパンケーキとはふた味くらい違うのにゃ!」
「んっん~~! あま~い!! アイリスおいし~よぉ~!」
「ね~! 美味しいね!」
喜んでくれる二人の顔とフォークの速さがとっても嬉しい。
ああ~やっぱりこのバターも美味しい! さすが美食家のイリーナ先生が契約した牧場だ。小麦も牛乳も卵もオリーブオイルも、毎日使う食材が美味しいのはとっても有り難い。
あ、そうだ。まだ卵が沢山あったからプリンを作ろう! この卵を使ったプリンは濃厚で本当に絶品なのだ。ああ、楽しみがまた一つ増えてしまった!
「……レッテリオさんも好きかな?」
調査で迷宮に籠ってるだろうし、差し入れに持って行ってもいいかもしれない。男性ばかりだから甘さは控えめにして……あ、塩プリンも良いかもしれない! 疲れた体に甘みと塩みって美味しいよね。イグニスと作ればきっとプリンにも回復効果が付くだろうし、あの卵と牛乳ならもしかしたらすごい効果になるかもしれない?
「ふふっ」
◆
「さて、じゃあ私ちょっと街に行ってこようかな」
「え~? 今日は採取に行くんじゃなかったのぉ~?」
「えっと……」
「なぁんだ~! それならぼくにまかせて~!」
お弁当用のパンが無いと聞いたイグニスは、嬉しそうにそう言った。
「でも……うん、そうだねクレープとかまた古代パンでも――」
「ううん新技があるって言ったでしょ~? ぼくにまかせて~!」
さあ生地を作れ、こねこね捏ねて~! と追い立てられて、イグニスの
よし。それならイグニスを信じてさっさと作ろう!
今日は夜までの長丁場。お腹に溜まるパンが良いかな。
「……レッテリオさんに頼まれてたパンの試作も兼ねちゃおうかな?」
頼まれていたのは携帯食にできるシンプルなパン。保存性についてはちょっと考えがあるから、従来の固パンにはしない。
今まで携帯食にしていた干し肉や保存食のパテを塗って食べるパンだから、よく噛んで満腹感を増すようなものが良いよね。噛む度に甘みがでるようなのが出来ればいいかもしれない。
空気を含んだフワフワもちもちのパンではなく、ギュッと生地の目が詰まったどっしり系のパンにしたい。
「イグニス、本当に時間は大丈夫なんだよね?」
「だいじょ~ぶ! ぼくは小麦の声をきいたから~!」
声? 小麦粉にも精霊がいるのだろうか……? 小麦の思念……? いや、いたとして、炎の精霊であるイグニスがその声を感じることができるだなんて、もう立派なお料理精霊だ……!
今日のパンはライ麦粉にいつもの小麦粉を混ぜて作ろうと思う。
「こねるまではアイリスがやってねぇ~」
「ルルススも捏ねるにゃ」
パン作りというのは時間もかかるし、意外と体力勝負なのだと最近思う。前はたまーにしか捏ねなかった生地だけど、こう頻繁に捏ねていると……。
「腕に良い筋肉が付きそう!」
「いやにゃか?」
「ううん! 嬉しい! 力があった方が岩場とか木登りしての採取も楽になるし、重い図録や参考書の持ち運びでしょ? あと薬研とか乳鉢を使った調合も上手く出来そうだし……!」
「にゃるほど~錬金術師にゃね~!」
ルルススくんはにゃっにゃっと笑った。
「それじゃいくよぉ~! まずは発酵~~」
パアァっとオレンジ色の光が広がり、パン生地を優しく包み込む。そして見る見る間に生地が二倍に膨らんだ。
「えっ」
「アイリス次の作業やってぇ~」
「あっ、うん」
この生地、どう見ても触っても、一次発酵が終わってる。驚きを隠せない私を見て、イグニスは「ふっふ~ん!」と得意げだ。
私はガス抜き作業をして生地を折り畳む。
「イグニス、出来たよ」
「はいは~い! じゃあ……にじ~~!」
先ほどより少し強い光が生地を包んだ。「にじ~~!」って、これ、二次発酵だ!?
そうして二次発酵も終え、十五セッチ程のバゲットになるよう生地を成形し、最後の発酵へ。それもイグニスの手により完了し、そのまま焼きへ。
「焼くよぉ~!」
赤い光が生地の周りを渦巻き、火の粉のようにキラキラ輝く光と共に、香ばしい匂いが広がった。
そして――。
「こんがり~!」
お手頃サイズのバゲットが天板の上に焼き上がっていた。
「い……イグニスすごい!! すごいよ!?」
「ふっふ~! ぼくの新技だよぉ~~!」
「イグニス、パン屋さんにゃ!! すごいにゃ!」
「発酵なんて、いつの間に覚えたの!?」
「ん~? いつも見てたから小麦が教えてくれたんだよ~」
小麦が教えて……? あ、声! さっき言っていたのはそういう事か! 発酵は『熱』によって起こる。だから……!
そうだ。イグニスはいつも生地の側に付いて発酵状態を観察していた。あれはどの程度の熱加減で、どう発酵しているのかを見極めていたのか……!
「すごい! 本当にすごいよ、イグニス!!」
焼き立てのライ麦パンを割ってみると、中は思った通りのしっとりどっしり系。そして外皮はパリッとしっかり目に仕上がっている。
一口食べて何度も噛めば、こちらも狙った通りのほのかな甘み。塩辛い干し肉やパテとの相性も良さそうだ。
「はぁ。美味しい……イグニス本当にありがとう!」
「くふふ~! 早くぼくのパンでお弁当つくってお出かけしよ~!」
「そうにゃ! 具の用意はしておいたのにゃ!
「うん! ザクザク切ってサンドウィッチ作っちゃおう!」
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