第64話 手紙②
『ヴェネスティ侯爵から携帯食のお話を伺いました。レシピの特許を出す準備をなさい。』
「と、特許……?」
『それと、工房で作っていた石鹸についても同様です。工房内で使うだけならと様子を見ていましたが、噂が広まるのも時間の問題でしょう。あなたのコーティング使用方法は少々変わっているので、他にも既存レシピにはない使い方をしている物があればレシピを用意するように。』
「石鹸も……?」
もしかして、コンチェッタとクラリーチェが研究院で使っているから……?
王都に共同浴場なんてあったっけ?
それにしたって――。
「私のコーティングって、そんなに変わってる……!?」
私は読み途中の手紙から、意識を『頭の中』に移動させ【レシピ】を覗いてみた。
――あ、確かに【レシピ】の【コーティング】の項に、食べ物や日用消耗品のレシピは見当たらない。高級食器へのコーティングはあったけど、あれは消耗品ではないからちょっと違うのかな。
うーん。でも使い方としては【魔糸のコーティング】なんかと同じだと思うんだけど……
「ああでも、それは『錬金術の素材』として使うための物か。普通に使う日常的な物じゃない」
――そうか。そう考えてみて初めて気が付いた。
私、錬金術師らしくないちょっと変な使い方をしちゃってたんだ。
【コーティング】は、見習いの私にも簡単に出来て応用しやすい術だっただけなんだけど……。
「先生が特許申請をした方が良いと言うならした方が良いよね……っと、続き読まなきゃ」
『それから、来年の試験用のレポートのテーマは決まっていますか? まだ決まっていないのなら【コーティングの応用について】が良いでしょう。特許申請を通すにも権利を守るにも有利に働くはずです。』
なる……ほど?
レポートは【ポーション効果のある食品】か【
ポーション効果についてはまだ何も検証できてないし、正直どう検証したらいいのか? と悩んでいたところだった。
もしかしたらそれも特許案件かもしれないから、私が試験で発表するのはまずいだろう。
「レシピを用意するものは……」
まずは携帯食。多分、迷宮探索隊に納品するものは全部出しずべきだろうから、蜂蜜ダイスとキューブパン、薬草ビスコッティに今日作ったチョコレートもか。あ、チョコはコーティングも使ってるから、これは【食べ物に付与するコーティング】の例としてレポートにも記載しよう。
「これから作る予定のものは出来次第レシピを送るようにしよ。うわー……レッテリオさんとの約束もあるのにまたやること増えちゃったなぁ~」
でもイリーナ先生が転送便で手紙をくれるなんて初めてだ。
きっとこれは優先事項。さっさとお返事を書いたほうがいい。
「ペネロープ先生と二人への手紙はちょっとゆっくり書こ。とりあえず簡単なお返事だけ先に……」
私は机の引き出しの底から便箋を引っ張り出して、愛用の万年筆を滑らせた。
◆
「アイリス~開けてもいいにゃか?」
扉の向こうからのルルススくんの声。
私はハッと顔を上げた。
ツィツィ工房と先生たち、合わせて三通の手紙を丁度書き終えたところ。随分集中していたのか、いつの間にか二刻も経っていた。
「うん、どうぞー」
扉を開けたのはイグニスの尻尾。ルルススくんの両手は大きなトレーで塞がっていた。
「ノック無しでごめんにゃ? ちょっと休憩するといいのにゃ」
「チョコレートの試作品ができたんだよ~チョコでお茶しよぉ~!」
便箋を広げていた机には、紅茶と試作品チョコレートが並べられ、ふんわり漂う柑橘の香りが私をホッとさせてくれる。
「はぁ……お茶美味しい……。これ、もしかしてルルススくんが?」
「そうにゃ~! 前に海向こうのダージャ
「はあぁ~……美味しいはず……! すごい瑞々しくてスッキリしてて……やっぱり最高級の王山のお茶は違うんだねぇ」
「ねぇねぇ~チョコは? ぼくが美味しくした
チョコを抱えたイグニスが試食を催促だ。ああもう、齧ってるし!
「イグニス、コーティングしてあるから口に入れた分にだけ魔力を流してね? 齧ったときに流しちゃうと抱えてる所も溶けちゃうから注意してね」
「んふぁ~い! ……んっ……」
「にゃ……面白いにゃ! 口の中でチョコとほとんど生の黄金柑が~!」
イグニスは口をカパッと大きく開けてかぶりつき、ルルススくんはザラザラの舌で舐め取るようにチョコを味わっている。
そして私は、サイドに入れておいた溝で一口大に齧り折り、舌で軽く魔力を流してみた。
うん。慣れれば特に意識しなくてもコーティングを剥がせそう。
「ん~! 黄金柑すっごいジューシーだね! 半生乾燥にした方が甘みが増してる!」
燻製なんかと似た原理なんだろうか? 旨味がぎゅっと粒に詰まっている気がするし、溶けたチョコレートと絡んで本当に美味しい。これならカロリーも水分も摂れて良い携帯食になりそう!
それに、疲れも吹っ飛んだ気がする。イグニスのおかげか、これにもしっかりポーション効果が付与されている気がする。
「うん! 成功だね! それじゃ残りの型を作ってチョコレートも作っちゃおう」
「そうにゃね! 型作りはルルススもお手伝いするにゃ。さっき見てたから出来るにゃよ!」
「うん、じゃあ先にお手紙出しちゃうね」
私はツィツィ工房から届いた封筒を逆さにし、同封されていた『魔石』を掌に。
この魔石にはツィツィ工房への転送情報――住所のようなものが刻み込まれている。
そして『転送便』を送るために使う私の印章(と言っても、見習いなのでまだ仮の印章だ)の持ち手部分、そこに嵌め込まれている魔石にツィツィ工房の魔石をそっと押し当てた。
「イグニス、力を貸してくれる?」
「はいは~い!」
魔石を持つ私の指先にイグニスが尻尾をそっと添える。
私は一息吸うと、イグニスの魔力と自分の魔力を折り混ぜ魔石に注いでいく。すると、トロリ。
指先の魔石が溶け出し、印章の魔石へと染み込むように消えていった。
「よし、住所登録完了! あ、宛名も書かないとだ」
さっきまで使ってた万年筆、そのインクを転送便の宛名書き用の【青インク】に取り換え、『ツィツィ工房』と宛名を書いた。
転送便はこの青インクでないと、印章に読み込んだ『情報』が読み取られないのだ。なので間違ったインクで宛名を書いてしまい、迷子になった手紙が落ちていることがあったりもする。
「じゃ、送っちゃお~。アイリス
「うん」
『
蝋を使って封をするのが封蝋、だから「封をするために魔力で溶かした魔石」は『
私はポーチから出した屑魔石で
これであとは『転送陣』――『転送ポスト』と呼ばれる陣に手紙を置いて、魔力を流せば転送完了だ。
「アイリス、ルルススの転送情報も貰ってほしいのにゃ」
ルルススくんは腰に括り付けたポーチから魔石を取り出し、私に差し出した。
「わ、嬉しい! これでルルススくんが旅に出ちゃっても連絡取れるね」
「そうにゃ! ルルススの『転送ポスト』は鞄の中にあるから、どこでも受け取れるにゃ」
ルルススくんのふしぎ鞄か。あれならきっとお手紙だけでなく、大きな物も送れてしまうのだろう。
転送便の容量は、設置した陣に含まれた魔力の大きさに比例するものだから、大きな魔力を持つ術師や、魔力が豊富な場所――例えば迷宮や、ルルススくんのふしぎ鞄なんかがそれにあたるのだ。
「はい、じゃあこれ。私の転送情報」
私は自分の魔力が溶け、瞳と同じ青紫色になった魔石をルルススくんに手渡した。
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