第54話 温泉バスボムとコーティング
「温泉バスボム? 錬金術のアイテム?」
「はい! 私の故郷にいる師匠から送られてきた試作品なんですけど……あ、別に危険はありませんよ?」
まだ「なんだこれは? 大丈夫?」という顔をしているレッテリオさんに、その大きな飴玉のような包装を開きその匂いを嗅いでもらう。
「ん、これは……」
顔をしかめバスボムからパッと顔を離した。
「ふふっ。それ、温泉成分を固めたものなんです。ちょっと独特な匂いがするけど、お湯に溶かすと温泉が再現できる……我が故郷の新お土産なんです!」
「お土産? アイリスの故郷って?」
「あ、ヴェネスティ北方のドルミーレです」
「へぇ……もしかしてイグニスとも故郷で会ったの?」
「はい。工房実習に入る少し前だったんでギリギリでした」
あの時のことを思い出しすと、頰が緩む。
「もうずっと大人しい山だけど火山だから……
「珍しい姿だもんね。そうか……温泉も
レッテリオさんはくんくん、とバスボムを嗅いでまた「うっ」と小さな声を上げているが、そんなに不審がらずに使ってもらえたら嬉しい。
なんといってもコレは、温泉のせいでドルミーレなんて田舎に定住してしまった我が師、ガルゴール爺の自信作なのだから!
「錬金術師特製の入浴剤だからすごく効くんですよ? 温泉成分に加え体力回復、魔力の回復促進、魔素疲れ、あと消臭とー……なんだか色々付いてるそうです」
「消臭……え、俺そんなに臭い?」
今度は自分の襟ぐりに鼻を近づけたのを見て、私も自分の髪を嗅ぎ……よく分からないので隣のレッテリオさんの肩口に鼻を近づけてみた。
「ア、イリス?」
「うーん……私も臭いらしいんでよく分かりませんが……少なくとも石鹸の匂いはしませんよね」
「……うん、そうだね」
工房は複数人での共同生活の場だったのと、イリーナ先生がお風呂好きな為に浴室は充実している。
「たぶん騎士団寮とそう変わらないかと思うんですけど……あ、石鹸はこっちでシャンプー類はこっちです、あとタオルは出しておくし、あ、保湿のオイルとかクリームもこの辺りのを適当に――」
「え? 多くない? これ全部石鹸……?」
そうなのだ。この浴室は
「えっと……元々みんなで使ってたんでオイルも石鹸の種類も多くなっちゃって……あと、実験と練習でも作るんでどんどん……」
「ああ……」
見習いは基礎を多くやるのも仕事。生活用品を作るのも薬を調合するにも共通することが沢山ある。
それから共同生活には、色々な人がいるのだ。肌につけるものが共有なのは抵抗がある人もいるし、体質に合わない場合もある。
だから私たちは、楽しみも兼ねて『気持ちよく共有できる』石鹸を作ったのだ。
「待って、この石鹸どうやって使うの?」
「あ、そうですね。これも錬金術の練習で作ったんですけど――」
私は手近にあった
長さは約十六セッチ、幅は約二セッチ。厚みは〇.五セッチ程だろうか? 二セッチ程度の間隔で溝が彫られているこれは、共同生活で皆が気持ちよく楽しい入浴時間を過ごすために工夫された石鹸だ。
「この溝に沿ってパキッと折って使ってください。コーティングされてるので濡れた手で触っても溶けません。だからこう、使う前に掌で挟んで軽ーく魔力を流して外皮を溶かしてくださいね」
「分かったけど……多過ぎない?」
壁に作り付けられた棚には、ガラス瓶に差し入れた色とりどりの石鹸がズラッと並んでいる。シャンプーとトリートメントも同じくだ。そちらは液体のままコーティングされていて、石鹸のコーティングより少し難しい。
ちなみにアイリス作の物は気泡がちょっと多い。
「錬金術師さんは本当に面白いな。こんなの見た事ないけど、売れるんじゃない? こういうの」
「売れますか……? 雑貨屋さんに話したら面倒くさいって笑われたんですけど……」
「ああ、一般向けだとそうかな。でもちょっと高級なお店でなら十分需要あると思うよ?」
はー……と、感嘆なのか呆れなのか判断に迷う息を吐き、レッテリオさんは浴室の扉を閉めた。
『こんなの見た事ないけど、売れるんじゃない?』
「……ほんとに売れるのかな?」
私はさっきのレッテリオさんの言葉を考えていた。
素材の力と魔力によるコーティング技術は、錬金術ではごくごく普通のことで、様々なアイテムで使われている。
でも、私が『石鹸をコーティングをしよう!』と私が言った時には皆にびっくりされたのだ。
石鹸なんて日常的に使う物に、しかも無くなってしまう物に錬金術のコーティングをすることは非常識だったのだ。
私の故郷では、師匠が肥料や入浴剤、浴槽用の木材の加工、パイプの保守なんかにも錬金術を使っていたので、私にはなんの疑問も抵抗もない発想だったのだけど……。そういえばイリーナ先生もちょっと驚いていたっけ。
一部の高級店では、錬金術を使った香水や化粧品を扱っているらしいけど、私はよく知らない。
だって、高いのだ。物凄く!
「興味があっても見習いじゃ手が届かないんだよね」
イリーナ先生が使っていたその香水を、一度だけ少し使わせてもらったことがあるのだけど……まぁ、香水なんて元々使ったことがなかったので違いは私には分からなかった。残念すぎるオチだ。
「……あ」
何となく手に持ったままだった石鹸に目を落とし、思った。
この
だけど、コーティングしてある状態ではその香りは全くしない。外からの影響は受けないし、中から外に漏れることはない。
「これ携帯食に使えそうじゃない?」
コーティングだけじゃない。この一回ずつ使える仕様も携帯食向きかもしれない。
スープを煮詰めて濃くして固めて、一食分ずつ溝を入れて……更に状態保存の陣も刻めばかなり保つだろう。この方法なら液体だって問題ない。
「いいかも」
うん! 思わぬところにヒントが落ちていた!
リビングへ戻ると、ルルススくんとイグニスが採取物を並べて見ていた。
「あっ、アイリス〜 レッくんお湯加減どうだったかな〜?」
「うん、丁度良いって。ありがとうイグニス」
「あとでぼくもお風呂は〜いろ〜!」
尻尾をふりふり、今日も快適なお湯加減(しかも温かいまま長持ちする)に出来たイグニスはどこか誇らしくご機嫌だ。
「ルルススくん、何か欲しいものあった?」
「これが欲しいにゃ!」
ルルススくんが指差したのは、偶然手に入れたあの
「採れたての蜘蛛の糸は初めて触ったにゃ。すごく品質が良いんにゃね! このまま使えたらゴムの木や実よりも良いゴムが作れそうなのにゃ」
「そうなの?」
ここよりもっと南方にはゴムの木、実があるのは知っている。だが、その樹液から作られるゴムは固く、逆に実から作られるゴムはちょっと脆くてあまり細かい加工には向いていない。
だから錬金術では、魔物であるクラーケンやスライムが似た素材として役割を果たしている。
「これでアイリスに髪ゴムと髪留めを作ってあげたいのにゃ!」
ルルススくんが初めて工房に来た時のこと――髪留めのを貸してもらったけど、私の髪では滑ってしまいキチンと留まらなかったのだけど……それで?
「高脚蜘蛛の糸って本当はこんにゃによく伸びるんにゃね。柔らかいし丈夫にゃし……劣化さえ防げれば加工にも向いてそうなのにゃ」
「そうなの? 高脚蜘蛛の糸って…丈夫な糸ってイメージしかなかったけど……ゴムとして使うの?」
「にゃん。ところでアイリス、蜘蛛の糸の劣化を防ぐのって錬金術でなんとか出来そうにゃか? あ、状態保存はダメにゃ。加工したいから!」
「……できると思う」
なんてタイムリーなんだ。それこそコーティングで乗り越えられそうではないか。
「そのうち劣化はしちゃうけど良いよね?」
「もちろんにゃ! むしろ劣化してくれにゃいと素材としても商品としても回らなくにゃるから困るのにゃよ」
ルルススくんは「ニャッニャッニャッ」とちょっと悪い顔で笑って、トタタン、トタタンと可愛い足音をさせ喜びのダンスをした。
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