第51話 ヴェネトスの迷宮・帰路の階段 とろかし蜂蜜ダイスとフレッシュハーブティー
迷宮の朝。冷え込むことも蒸し暑くなることもなく、小鳥の囀りで爽やかに目が覚めた。
「――ああ、迷宮雀」
チュンチュンという、可愛らしくも騒がしい鳴き声は地上と変わらないが、迷宮雀は迷宮だけに生息している。基本的には雀なのだけど、肉食なのが特徴。
いつの間にか消えている、魔物の亡骸を片付けているのは主に迷宮雀だとか……。
「アイリス、起きた?」
「……あ? あ、レッテリオさん! おはようございます」
やばい。多分これ、よだれの跡がほっぺに……!
「おはよう」
レッテリオさんはしーっと指を口元へやり「イグニスがまだ寝てるからそーっとね」と言ってクスリと笑う。
「あ……はぃ」
同じく、しーっと返して、お腹を出してスピスピ寝息を立てるイグニスに笑いを堪えてその場をそっと離れた。
「あれ、騎士さんたちはもう出発するんですか?」
時間はまだ日が昇ったばかりだ。だがレッテリオさんをはじめ、皆の装備は整えられている。
「うん。ちょっと階段の様子を確認してこようと思って。半刻くらいで戻るから、アイリスは
と、今度は頰にトンと指をやり、レッテリオさんは笑った。
「ああー……よだれ跡きっと後輩騎士さんたちにも見られたぁ……」
なんだか笑ってた気がするし、もしかしたら寝癖で前髪が上を向いていたのかもしれない。
私は水筒の水で手巾を濡らし、顔を拭い多分はねている前髪を撫で付けた。
「はぁ。さて、朝ごはんの用意でもしようかな」
周りの採狩人たちもそろそろ起き出し朝ごはんの準備を始めている。
私はまず、昨晩イグニスが灯してくれた炎に鉄皿を乗せ熱し、濡らした笹芭蕉の葉を乗せた。そこに包み紙を取った蜂蜜ダイスを三つ落とす。しばらく見ていると、カチカチに固めた蜂蜜が溶け始めてくるので、そのタイミングで火から下ろした。
あとは葉でくるんで蓋のようにして、余熱で溶かすのが丁度良いだろう。固めてあるナッツ類の香りが出たら食べ頃だ。
「よし、次は〜……」
皿に代わり次は赤い小鍋を火に掛ける。
もう水も少ないので、無駄なく二人とちょぴっと分量の水を入れお湯を沸かした。
「お、もう沸いた。昨日摘んでおいたカミツレと
蓋をして五分刻ほど蒸らす。色が出たらフレッシュハーブティーの完成だ。
「おはよ〜アイリス〜……ん? なんか甘い匂いがするぅ〜」
「おはよう! あ、それそろそろお皿から下ろさなきゃ」
寝ぼけまなこのイグニスが蜂蜜ダイスの匂いにふら〜っと飛び寄っている。
鉄皿から笹芭蕉の葉を下ろし、そっと包みを開けてみる。すると溶けた蜂蜜と、ナッツや胡桃の香ばしい匂いが広がった。
「んああ〜〜! これ舐めてい〜い? ねぇ、アイリス〜」
あ、イグニスの目がキラッキラだ。
「んーもうちょっとだけ我慢して? レッテリオさんが戻ってから一緒に食べよ?」
「んん〜……あっ! レッくんじゃな〜い? あそこ〜」
振り返ると、丘を下る騎士たちの姿が見えた。出てから丁度、半刻くらい。予定通りということは、きっと偵察が上手くいったのだと思いたい。
「地上への階段は無事繋がってたよ。ちょっとまだ延びてたけどね」
パキン、と音を立てるのは、溶かした蜂蜜ダイスを塗ったビスコッティ。
「よかった! じゃあこの後すぐに出発ですか? ……っと!」
傾けすぎたビスコッティから蜂蜜がトロッと垂れ、慌てて指で掬おうとするとそこにイグニスがサッと滑り込んだ。
「おいし〜〜い! アイリス、ぼくにおかわりちょうだ〜い」
「はいはい」
イグニスの蜂蜜でベタベタの口に、ちょっと焦げた胡桃にたっぷりの蜂蜜を絡めて「あーん」としてあげる。
この蜂蜜を溶かしてくれて、ハーブティーを淹れたお湯だってイグニスの炎だから、ご褒美だ。それにずっと顕現状態なのにはまだ慣れないだろうし、野営だって――……いや、気持ち良さそうに寝てたっけ?
でもまぁ、あり合わせの食事でも喜んでくれるなら、いくらでもお代わりをしてもらいたい。
「そうだね。迷宮はひとまず安定しつつあるけど、早目に出た方がいいと思う」
「じゃあこれを飲んだら出ましょう。イグニス、お茶のおかわりは?」
私は鍋を傾けて見せる。
「ん〜蜂蜜舐めてるからいい〜〜」
◆
来た時と変わらない白い石の階段を登った。確かにその距離は、行きより少し延びていたように思う。だけど昨日のような地揺れもなく、無事、数分刻で地上へと帰還できた。
「……あ、れ?」
神殿のようなアーチを抜け外へ出ると、辺りはまだ薄暗かった。迷宮でうるさいほど耳にした雀の声もしない。
そしてその時、カーンカーン……と鐘の音が聞こえてきた。
「……朝六刻の鐘?」
「みたいだね。――どうやら迷宮内と時間がズレたみたいだ」
そう言って、レッテリオさんが見せてくれた懐中時計の針は丁度六刻を指していた。
「わ、その時計すごく綺麗ですね……腕輪も素敵だったけどこれも細工が……!」
と、時間よりもその見事な銀細工に目を奪われてしまう。錬金術師の悲しい習性だ。
「うん、これも良い物みたいだね。やっぱり錬金術師は気になっちゃうかー……」
「細工職人さんなんかも気になるんじゃないですか?」
私は単純にそう口にしたのだけど、レッテリオさんは何故か曖昧に笑うだけだった。
……なんで?
「あっ、馬だ!」
「誰か来るぞ」
街の方から数騎の馬が駆けてくる。速度はゆっくりなので皆それほど警戒はしていないが、騎士や採狩人たちが武器に手をかけた。
私も一応、腰の杖に手を伸ばす。イグニスも口を開け待機している。
と、そろそろと日が昇り出しその人影がはっきり見えてきた。するとレッテリオさんが小さく息を吐き警戒を解く。
「皆さん、大丈夫です。あれは――」
「お、皆無事だったようだな」
先頭の馬上から明るい声が届いた。
朝日に照らされたその人物の服装は、紺地に赤ライン、金糸の飾りの騎士団服。
「隊長!」
新人騎士さんたちから隊長と呼ばれたその男は、帽子のつばを上げ、蒼の瞳を細めてニッと笑った。
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