第50話 ヴェネトスの迷宮・帰路の第二層 迷宮の夜の錬金術師

「いえ、ポーション効果じゃなくて、このパンをもっと携帯食向けに小さくしたいなって」

「これ以上小さくするの? それだと食べ応えがないなぁ」


 キューブパンは元々手の平に乗るサイズ、五セッチ〜六セッチ四方だ。具沢山なので見た目以上にボリュームはあるが、やはりこれ一つでは男性には物足りないサイズだろう。


「いえ、そうじゃなくて、元になるパンのボリュームはこのままで、こうギュッと圧縮して……スープとかに浸すと元に戻るようにできたらなぁって。だって男の人だったらこれ三つか四つは食べたいでしょう? でもそんなに沢山持ち込むのは無理だろうと思って」


「圧縮……? そんなの聞いたことないけど、できたら有難いな。せっかく長持ちする保存紙ラップで包んであっても数を持ち込めなきゃあまり意味はないからね」


 圧縮できたら……というのは正直思い付きだ。

 でも『レシピ』を簡単に検索してみたら、ヒントになりそうな項目がいくつか見つかったのだ。上手く応用できれば飴玉サイズの『蜂蜜ダイス』くらいにできると思う。たぶん。


「ですよね。これも四角くしたんでリュックに詰め込みやすいと思うんですけど……もし圧縮できれば嵩張らないし少人数のときでも持込やすいし、その分で誰かが鍋を持てるかもしれないですよね?」

「確かに。鍋の必要は今日で理解したよ」


 レッテリオさんは楽しそうに食事をする後輩たちを眺め、スープをたっぷり含ませたパンにかぶり付いた。





 そして迷宮での初めての夜。

 不思議なことに月も星も、流れ星まで綺麗に見えていた。本当に、は一体どこなのだろう?


「……レッテリオさん」

「ん?」


 白詰草のには私、イグニス、レッテリオさんの順で並んで寝転んでいた。

 とはいえ、小さなイグニスは私の頭のあたりに居るので私とレッテリオさんは背中合わせだ。


「もし、明日も迷宮から出られなかったら……」

「アイリス、大丈夫。もし――」

「ごはんどうしましょう。魔物って食べられますか?」


 振り返ったレッテリオさんの目がまん丸になった。


「……え? あ、うん。食べられるけど……え?」

「え?」

「いや、不安になってるのかと思ったんだけど……」


 眉を下げフッと笑って、レッテリオさんはごろりとこちらを向いた。


「アイリスって面白いよね。しっかりしてるのかと思えばちょっと抜けてるとこもあるし、今みたいに突拍子も無いこと言ったりもするし。あ、でもそれが錬金術師としてのひらめきに繋がってるのかな?」

「ひらめきって言うほどじゃ……。見習いのくせに応用はまだ早い! ってよく叱られてましたし……」


 そうだ。思い付きで『レシピ』を応用するのは注意しないといけない。一人実習で事故を起こしたら、誰も助けてはくれないんだから。


「ああ、それも一理あるよね。基本て大事だし。でも、そろそろ色々やってみても良いんじゃないかな? アイリスに工房を貸してくれたのはそういうことじゃないかって思うよ」


 私は目を瞬いた。

 ――もしかして私の一人実習って、落ちこぼれだから『一人ぼっちにされた』のではなく、見習いだけど『一人でも大丈夫』っていう意味……だった?


「アイリス?」

「……いえ、ちょっと、受け止め方次第なんだなって。……私、見捨てられちゃったわけじゃないんですね」

「逆だよ。期待を込めてのことだと俺は思うよ」


 期待。そうだ、イリーナ先生は確かにそう言ってくれていた。

 私は何を不安になっていたのだろう。今までと同じ薬を練習作製したりパンを焼いたり……試験までの道程が遠くて、まだよく見えなくて焦ってたのかもしれない?


「ねえ、アイリス。アイリスはどんな錬金術師になりたいの?」


 ――私の、なりたい錬金術師。


「……まだよく分からないけど……今、研究をガンガンしてる錬金術師って王立研究院じゃないですか。あそこってやっぱり軍事とか公共工事とか……国のためっていう大きなものを相手にしてると思うんです。逆に市井の錬金術師は薬屋や日用品工房なんかに勤めるのが多数で研究なんてなかなかできません。だから、携帯食を研究してるところってまだ無いと思うんですよね」


 好きに研究したいなら、ガルゴール爺のように田舎に引っ込むか、財産があっての半ば隠居みたいな形しか今はない。


 工房で作っていた蜂蜜ダイス。ビスコッティだって家庭で作れるオヤツだ。そんな簡単な錬金術師の携帯食をレッテリオさんは喜んでくれた。(まぁオマケのポーション効果もあるけれど)

 だって採狩人や騎士団の携帯食は、何故か昔ながらの固焼きパンと干し肉が基本。


「今回思ったんですけど、携帯食ってどうしてもっと美味しいものになってないんですかね」

「あー……うん、確かに。――正直、俺たちの価値観は武器や防具が第一、次に薬。携帯食は軽くて長持ちが一番だから……食事は食べられて動けるのなら問題ないって、皆文句を言いながら長年手付かずだったんだよね。まあ、予算も付かないし、そもそも美味しい携帯食なんて売ってないし」

「ですよね……」


 皆そうなのだろう。きっと国の大きなことの前では、個人の食事なんて小さなことだ。それに騎士団のような大きな組織、それも公的な機関。そこで何かを始めたり変えたりするのも大変なことなのだろう。

 見習い錬金術師のレポート形式が昔ながらの無駄じゃない? と思うアレがずうぅ……っと! 変わらないのもきっと同じ理屈からなんじゃないかと思う。


「食事って実はすごく大切ですよね」


 食材が無くなって、最初に無理やり焼いた古代パン――あれもあの時は最高だったけど、もし選べるならこのキューブパンの方を食べたい。


「後輩騎士さんたちの喜びようを見ちゃうと……美味しくて軽くて長持ちする携帯食を作りたくなっちゃうんですよね。私は――そういう、日常を豊かに? 楽しく過ごせるような物を作る錬金術師になりたいのかもしれません」


 ああ、ボンヤリとしていた何かが初めて形になった気がする。

 言葉にしてみて、自分の中で何かがカチリとハマった音がした。そうだ、私がなりたい錬金術師はきっとそんな錬金術師。

 やっと、何をしたらいいのかハッキリ見えた気がする。


「いいね。俺もあいつらを見て思ったけど、食事って意外と基本だよね。美味しいもの食べると単純に元気になるし」


 私はさっきの騎士さんたちの姿を思い出し、つい笑みをこぼしてしまう。

 スープのお代わりがほしい! と嘆く後輩騎士さんその一。隣のその二とその三は、固焼きパンを甘水に浸し手持ちの何かのペーストを塗って木に刺して、そしてその四が『イグニスさん』に頭を下げ、それを炙ってもらい皆で嬉しそうに食べていた。


「ふふっ。アレなかなか美味しそうでしたよね?」


 食欲をそそる匂いだった。

 あれはきっと何かの肝臓ペースト。癖はありそうだけど炙るのは良いアイデアだし、お焦げが絶対に美味しいと思った。


「あいつらアイリスのおかげで食の創意工夫に目覚めちゃったかな〜。次から自主的に鍋を持ち込みそうだよ」


 ふと、視界の隅を何かが横切った。あ、あちらの丘の上で一角兎が跳んでいる。

 そうだ、魔物が食べられるのなら一角兎はもってこいの食材なのでは? 兎肉も、兎の肝も実は大好きなのだ。故郷ではよく食べたのだけど、ヴェネトスに来てからはほとんど食べてないのでちょっと恋しい。


「ねえ、アイリス。やっぱり一人前の錬金術師になる前にパン屋か携帯食屋になろうよ。俺通うよ?」

「……そうですね。それも悪くないかも……?」


 一人前の錬金術師になる為には生活費と研究費が必要だから、まずはパンを焼いて携帯食屋さんになって、ヴェネトスの騎士団に売り込んで、効果の検証もしてレポートを出して来年の試験を受けて――。


「でもそれじゃ私、パン焼き錬金術師になっちゃいそうです……ね?」


 専門がパン焼きって一体どんな錬金術師なのだろう?


「ははっ! それいいね。 この国に唯一人の美味しそうな錬金術師だ」


「ん……ん〜……レッくんうるしゃ……」


 寝ていたイグニスが眉間に皺を寄せ、そんな寝言をこぼす。私たちはふふふ、はは、と笑っていた口を慌てて閉じて、声は出さずに「おやすみ」を言った。




 レッテリオさんに背中を向けたけど、なんだか私の心の中はワクワク高揚してしまっていてまだ眠れそうにない。


 もし今、イグニスが起きていたらなんて言っただろう?

「えっ、本当にぼく……パン屋さんになる……の?」と、ちょっと戸惑いながらも嬉しそうな顔をしそうな気がする。


 むにゃむにゃ寝言を言っているイグニスは、もしかしたら夢の中で、ホカホカのキューブパンを抱え複雑そうな顔をしているのかもしれない。

 そんなふうに思った。

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