第48話 ヴェネトスの迷宮・帰路の第二層 野営準備
それにしても私、野営なんて年一度の実習でしかやったことはないし、今日は日帰り予定だったからテントもなにも無いけど……。
でも三層の湿地とは違って二層は草原だし、深夜はどうだか分からないけど今のところ寒くもない。魔物避けはシートを敷いて、三層で拾ってきた『白い小石』も重ねて使えば多分心配はない。
「うん。急遽の野営としてはそんなに悪くないよね」
甘い物を食べたせいだろうか。さっきまで心の中は不安ばかりだったけど、今は何だか落ち着いている。ああ、温かな甘水も緊張をほぐしてくれたのかもしれない。
「よーし、レッテリオさん、夜ごはんは温かいものですからね! 私の新作携帯食、楽しみにしてください!」
「うん、期待してる。でもその前に移動するよ」
「え? ここで野営するんじゃ……?」
私たち三人とレッテリオさんに懐いている後輩騎士さん四名が移動したのは、高脚蜘蛛の林を見下ろす丘から四半刻ほどの場所にある平らな草原。所々に白い岩があり、薄暗い足下はフカフカの白詰草だ。
「ここは通称『羊の草原』って言ってね、この白い岩は――何だかわかる? アイリス」
「え?」
何かの素材だったか? と、触って確かめると岩肌がポロと崩れサラサラの砂に変わった。
「これ……もしかして『白い小石道』の石ですか?」
「そう、正解。この岩が羊の群れのように点在しているここは安全な野営地なんだ。それに二層にはこの岩で避けられる程度の魔物しかいない。だから安心して、アイリス」
なるほど。だから他の人たちも皆ここに移動して来ていたのか。迷宮をよく知っている採狩人に加え騎士さんたちも居るとなれば心強い。
「はい!」
「うん。じゃあこの岩の間にしよう。アイリス、敷き布を出してくれるかな?」
「ぼくは〜灯りをだしてあげるね〜!」
イグニスの炎が小さく灯り、ポゥッと私たちを照らす。
「わ〜さすがイグニスさんっすね!」
「イグニスさんこっちにも灯りお願いします!」
「いいよ〜……はいっ!」
ポポポッと、辺り一帯に鬼火のような、だけど温かくて柔らかいイグニスの炎がいくつも灯った。そして上がる「わっ」という驚きの声。
イグニスはここにいる全員の元に、灯となる炎を出したのだ。
「ぼくの炎は一晩くらい楽にもつからね〜!」
くふふ〜! っと笑って皆にそう言って回っている。
「イグニスさん優しい精霊だなぁ」
「先輩、俺たち隣の窪みにテント張りますね〜」
「イグニスさんの炎があるけど簡易竃も作りますか? 鍋はないっスけど」
それにしても後輩騎士さん……何故イグニスをさん呼び……? さっき何があったの……?
「お前たち、騎士団には警戒任務があるだろうが。すぐ隣でゴソゴソ出入りされたら女の子がゆっくり休めないことくらい気が付かないのか? テントはもう一つ先の窪みに。それから竃はいらないし食事も別々だ。全て演習通りにすること。以上!」
彼らはちょっと残念そうに眉を下げ、それでも騎士らしく「はい!」と敬礼をした。
「……レッテリオさん、後輩さんたちには厳しめなんですね?」
「ん? そうでもないよ? 俺が元いた所は本当に厳しかったからね……。先輩とこんな軽口を交わすなんて想像できないくらい」
――元いた所?
レッテリオさん、元々は別の騎士団にいたのだろうか? 領地持ちの貴族なら自領とか、王都の事もよく知ってるみたいだったし……もしかして王立騎士団とか?
ちょっと気になるけど、前はどこに? どうしてヴェネトスで騎士を? なんて聞けない。
「……」
だってレッテリオさんの微笑みは「この話はもうおしまい」と言っているかのようだったから。
白い岩と岩の間に防水布を敷き、枕代わりにする為に予備袋に白詰草を詰めこんだ。寝る時には二つのスライム袋は足元に置いて、風から守る衝立にする。
「腰のポーチは常に着けておいて、それからちょっと重いだろうけど水筒もベルトに括り付けて。これだけあれば何かあってもしばらくは何とかなるから」
「はい」
腰には探索時の必須アイテム、小刀や薬類と魔石のポーチ、携帯食入りのポーチを装着してある。あと今日は杖もだ。
それから水筒は、大きめの手巾で縦に包み手提げ状にしてベルトに括り付けた。
立ち上がると水筒がお尻にあたってちょっと邪魔だ。でも命には変えられない。
これは帰ったら小さめの水筒と、それを着けられるようにベルトも改造した方が良さそうだ。
「うん。寝床は確保したし、やる事もないから食事にしよっか」
「はい。あ、そうだレッテリオさん……これ! サンプルの携帯食渡しておきますね」
「ああ! ありがとう、蜂蜜ダイスも――あれ? このパンも携帯食?」
「はい!」
このレッテリオさんの反応。思わずニヤリとしてしまった。
携帯食のパンといえば固く焼き締めたシンプルなものが普通。だけど私が作った『キューブパン』はカチカチではなく柔らかい。でもフワフワではなく、どっしりモチモチ食感だ。
「これ今回は人参、玉葱、チーズとベーコンを入れてあります。バターでしっかり炒めてあるし生地もしっとりしてるんで、これ一つでも十分に食事としていただけると思います。それから……イグニス〜! 火をお願い〜!」
「はいは〜い!」
隣の騎士さんたちとお喋りをしていたイグニスに火をお願いすると、石組みの竃に火が点る。
「このパン、このまま食べても良いんですけど、半分に割って……よっと!」
私は出しておいた小さな鉄製の皿にバターを落とし、溶かす。そしてそこへパンを並べた。
「うっ……わ。これは絶対美味しい……」
ゴクリ。覗き込んでいたレッテリオさんの喉が鳴った。
芳ばしいバターの香りが嗅覚を刺激して、熱でとろけたチーズに見とれていると、ジュッというベーコンから溶け出した油の音が耳をもくすぐる。
「迷宮でこれはちょっと拷問だ……。えっ? これ一人ひとつだけ? あ、サンプルがあるから俺もっと焼いていい?」
「いやいやサンプルはちゃんと持ち帰ってくださいね!? レッテリオさんにはあと二つ用意してあるし、あとスープもあるし……あ、物足りないなら一応持ってきたショートパスタもあるんでスープに入れましょうか?」
はい、とスープも差し出すと、レッテリオさんは「えっ」と少し目を見開いて私を見つめた。
「アイリス……どれだけ食料持ってきたの?」
「えっ……えっと、まずかったです……か?」
あれ? 重さを感じないリュックだから万が一を考えて少し多めに持ってきたのだけど……もしかして非常識だったのだろうか?
いや、周りでは煮炊きをしている採狩人もいる。決しておかしいということはないだろう。
「いや、最高」
レッテリオさんは、初めて会った時のような凛々しい騎士さんの眼差しで私の手を握った。
「おい……隣からすごい良いにおいが……」
「バターとチーズ……」
「うわぁ……あっちに混ざりたい」
「俺はレッテリオ先輩になりたい……」
隣の騎士さんたちからはそんな声が聞こえていた。
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