第47話 ヴェネトスの迷宮・帰路の階段

「アイリス、イグニス、すぐに地上に戻ろう。これがもし迷宮の変化なら帰り道に支障が出る可能性がある。万一に備えて水を補充してから出発するよ」

「はい」

「それからイグニス、俺たち先にこの泥落としてくるから乾かしてもらえるかな?」

「まかせて〜! ザブンと水かぶってきてよ!」


 確かに。

 立ち上がってみて気づいたけど、腰まで泥に浸かった服はとても重い。急ぐなら簡単にでもいいから落とした方が良いだろう。


「アイリス、先にこれに水を」

「あ、ありがとうございます」


 レッテリオ さんの不思議バッグから予備の水筒を貸してもらい『蝶の甘水』を汲んでいく。


「わっ、ここの泉って生温いんですね」

「ふしぎだよね〜。この程度の温度でも探索中には有難いよ」

「迷宮では煮炊きはあまりしないんですか?」

「うーん……煮炊きっていうか、温めるとか炙るくらいのことしかしないかな。基本的に調理はしないね」

「へぇ……」


 それなら尚更、携帯食に良いものを作ってあげたい。

 今日は気軽な『日帰り迷宮探索』だったはずなのに、こんなトラブルだ。もし帰り道に何かあれば野営になるかもしれない。

 のんきに採取を楽しんでいたけど、迷宮とは危険な場所なのだと改めて認識した。


「やっぱり軽くてかさばらなくて栄養価が高くて、できれば温かいものも欲しいですよね……」

「ん? ああ、携帯食? そうだねー……アイリスのサンドウィッチは美味しいけど、何日も潜る時にはあまり向かないかな。最初の何食かまでなら持って来ても良いけど……長期にも向いてそんな都合の良い携帯食できそう?」

「一応、候補は持って来てるんですけど……今日お披露目の機会がないことを祈ってます」


 私はそう言って、ザブン! と泉に飛び込んだ。

 本当に、イグニスがすぐ乾かしてくれるとはいえ冷たい水じゃなくて良かった!




「アイリス〜レッく〜ん!」


 濡れた衣服を絞りつつ泉から上がると、また蝶を乗せたイグニスが飛び寄って来た。


「あのね〜蝶々たちが急いだほうが良いって! 『道』が伸びてる〜〜って言ってるんだ〜」


『道』が伸びてる? どういう意味?


「レッテリオさ……」

「分かった。せめて二層には戻りたい。急ごう」

「いそぐ〜〜!」


 イグニスは尻尾をひと振りし、一気に私たちの濡れた服を乾かした。

 うん、泥臭さは抜けてないけど、ホカホカに乾かしてもらえて快適!






「迷宮って……夜が来るんですね」


 今の空は、ほんの少しオレンジを引きずった紫。西の方には白い月が見えてきている。

 ここには『白い小石道』もあるから迷う事はない。それなのに、もう、私たちは来た時よりも倍の時間を歩いていた。


「うん。風も吹くし天気が変わる階層もある」

「ふしぎですねぇ」

「ほんとにね。迷宮はまだまだよく分からないことだらけなんだ。地上の時間や気候と同じ階層もあれば、時間も季節も真逆の所もある。天気もまちまち。まるで『迷宮』という『箱』を何処か別の場所に繋げてあるようだけど……真実は分からない」

「へぇ……。もしココが何処か別の場所だとして、どこかの街に行けたりはしないんですか?」

「それはないんだよね。全部の階じゃないけど、があるのかって調べた奴がいてね? ひたすら真っ直ぐ歩いてみたら、があったんだって。ただ、景色はずっと続いていて、でも壁でもあるかのようにある地点からは一歩も進めなかったんだって」


 果て……。

 各層ごとに違う特徴を持っていたり、限りがあったり。一体迷宮って何なんだろう? は何処なのだろう?


「なんだか……まるで箱庭ですね」

「箱庭か……。色んな条件の場所を作って眺めて楽しむ――誰かが楽しんでやっていると思うとゾッとするな」


 誰かが――。

 そんなこと考えた事もなかったけど、迷宮が自然発生したものなのか、誰かが作った物なのか。レッテリオさんたち迷宮探索隊はそういった事も調べているのだろう。


「あっ、 レッく〜ん! 階段あったよ〜!」


 先行していたイグニスからの待望の声だ。

 私とレッテリオさんは顔を見合わせて、肩のスライム袋を担ぎ直し走った。




「んん〜階段ながいよ〜!?」

「ほんと……。来た時はこんなに長くなかったし……」


 こんな色じゃなかった。

 私は足下を見て、壁を見てそう思う。

 降りて来た時の階段はつるりとした白い石で出来ていた。たぶん『白い小石道』と同じ石だと思う。だけど今の足下は、ジャリジャリと粗い面をした黒い石。そして上を見てもその先は見えない程に長い。

 一体いつになったら第2層に着くのだろう? いや、着けるのだろか?


 一気に不安が膨らむが、私は深呼吸をして何とか気持ちを鎮める。

 食料はまだある。水もある。イグニスがいるから火もあるし、採取した薬草には食べられるものもある。道が無いわけじゃない、蝶たちは『道が伸びてる』と言っていた。伸びてるだけならいつか辿り着くはず。

 大丈夫、大丈夫――。


「アイリス!」

「えっ……」


 顔を上げた目の前にはレッテリオさんの笑顔。そして差し出された右手。


「着いたよ。二層」


 レッテリオさんは先にスライム袋を取り上げ、次いで私を暗い階段から引き上げてくれる。


「あっ……ありがとうございます」

「もう少しだけ歩くよ。朝休憩した丘まで行ったら小休止するから」

「はい」


 高脚蜘蛛の林を抜けたあの丘か。

 あそこまで行けば1階層への階段はすぐだし、見たところこの2層に変化はない。地上まではあと少しだ。と、私は一足早くホッと息を吐いた。




「ここでイグニスとちょっと休憩してて。俺は他の人間と少し話しをしてくるから」

「はい! お願いします」

「いってらっしゃい〜」


 丘には私たちの他に、採狩人や朝一緒になった騎士さんたち、約二十人ほどの人間がいた。

 階段を上っていた時、前後に人の気配は無かったからこれだけの人がいることに驚いたけど、まあ、これも迷宮の不思議なのだろう。


「イグニス、蜂蜜ダイス食べる? それとも甘水飲む?」

「両方〜!」

「はいはい。ほら、お口あけて?」

「あ〜ん」


 カパッと開けられた口に蜂蜜ダイスをコロリと入れてやる。さっき汲んできた蝶の甘水は、イグニス用のお猪口のようなカップになみなみ注いだ。

 そして私もひとつ、蜂蜜ダイスを摘む。


「ふはぁ〜〜」


 トロリと広がる濃厚な甘みが喉にじんわり沁みていく。


「あ、これオレンジピール入れたやつだ〜……んー美味しい」


 気まぐれに入れた隠し味だ。ほんのり苦くて、噛むと広がる爽やかな酸味が疲れをスゥッと軽くしてくれる。


「あ〜あれってレッくんの後輩くんじゃない〜?」

「え? あ、ほんとだ。上階から来たのかな?」


 高脚蜘蛛の森から走ってくるのは、あの賑やかな後輩騎士さんその一だ。ちなみにその二と三は丘の下のレッテリオさんを囲んでいるのが見える。


「んん〜? あ、なんかぼく呼ばれてるみたい〜? アイリス一人で平気? ちょっと行ってきていーい?」

「うん、大丈夫。早く行ってあげて」

「は〜い!  ――な〜に〜レッくん〜〜」


 イグニスは蜂蜜ダイスをかじりながらピュン!  と飛び寄って行った。


「イグニスに相談? ってなんだろ」


 そう言えばイグニスは魔素の濃度や流れに敏感だった。迷宮蝶とも意思の疎通が出来ていたし――。


「高脚蜘蛛とお話しでもするのかな……?」


 私は温い甘水をぐいと飲んだ。



 ◆



「アイリス、お待たせ」

「あ、レッテリオさん! はい、ひと口どうぞ」


 私は荷物を整理する手を止め、レッテリオさんに甘水のカップを差し出した。


「ありがとう」

「騎士さんたちが集まってましたけど……何かあったんですか?」

「うん。結果から言うと、今日はここに留まることになった。うちの奴らが帰路を偵察してきたんだけど、どうやら一層から地上までの階段が繋がってないらしい」

「っえ……」


 そんな事があるの……!?


「でもたぶん大丈夫なんだよ〜いま不安定なだけで、もうちょっとしたら戻ると思うんだ〜!」

「――って、炎の精霊であるイグニスが言うし、前例からしても近いうちに安定するだろうから、比較的安全なここで野営しようと思うんだけど……アイリス、大丈夫?」


 空はそろそろ深藍の夜が広がり始めている。ああ、今日は良い星空が見えそうだ。……ふふっ。迷宮の中なのにね。


「はい、大丈夫です! えっと……一晩よろしくお願いします!」

「うん……よろしく」


 レッテリオさんは何だか微妙な笑顔だ。……なんで?


「あーねぇねぇレッくん〜後輩くんたち手ふってるよ〜?」

「あいつら来るのか……楽しそうな顔しやがって……」


 レッテリオさんは「チッ」と小さく舌打ちをした。

 うん。レッテリオ先輩はきっと何かと色々大変なのだろう。

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