第37話 迷宮探索へ

 朝六刻の鐘より早く目が覚めた。

 今日はいよいよ迷宮探索へ出かける日だ! ずっと行ってみたかった迷宮!!


 私は枕元で眠るイグニスをそのままに、着替えをしてそっと部屋を出た。



「あ、おはようなのにゃ」

「わ! おはようルルススくん。早いね」

「そうにゃか? ルルススはいつも日の出頃には起きちゃうんにゃよね」


 ああ。猫って夜行性なのに無駄に早起きするあれかな……? ルルススくんも昨日はそこそこ夜遅くまで起きてたみたいだしやっぱり猫(以下略)



 昨日焼いたパンにチーズを乗せてかる~く炙る。匂いの強いこのチーズはこうすると、トロリと蕩けて最高に美味しい。うん。この鼻に抜けるちょっとくさい匂いと発酵食品ならではの旨味が堪らない。だいすき!


「どーぞにゃ。普通のカッフェにゃけどルルスス特製焙煎はおいしいって評判にゃ!」

「ありがと〜! あ、ほんとだ……良い香り……」


 ルルススくんのカッフェオレで朝ごはんを済ましたら荷物の最終点検だ。

 保管庫にまとめて入れておいたお弁当のサンドウィッチ、キューブパン、薬草ビスコッティ。それからスープは水筒に入れて、軽くて薄手の木製簡易コップにスプーンも忘れずに。


「お水は薄荷ミント水にするにゃか?」

「うん。あ、あと檸檬レモン草も入れちゃう。本当は黄金柑ゴールデンオレンジを入れるのが好きなんだけど、丁度良いのが森で採れなかったんだよね」


 檸檬草はレモンのような香りのするハーブだ。一年中取れるので、柑橘系の香りが欲しい時に重宝している。黄金柑は小振りの柑橘系の実で、明るい黄色の皮は薄く柔らかくそのままでも食べられる。春の終わりから夏のはじめまで収穫できるのだけど、この前の嵐で熟したものは落ちてしまったようで今回は収穫できなかったのだ。残念。


「それからポーション類、屑魔石、小刀も良し、あとは……あ、杖も持って行かなきゃか」


 私はパタパタと二階の自室へ戻り、クローゼットの奥にしまい込んでいた『杖』を手に取る。長さは三十セッチ程。腰のベルトに挿して持ち歩く。

『杖』なんて、たまの訓練以外は使うこともないのだけど迷宮へ行くなら必要だ。護衛としてレッテリオさんが来てくれるとはいえ、私も魔物との戦闘がないとは限らない。


 そう。これらは錬金術師が戦うため――『魔術師』として必要な道具なのだ。

 魔術の発動には『錬成陣』が必要。それから自身の魔力、契約精霊の助けがあれば更に有難い。

 魔術というものは、理論的には何でも使えるはずなのだけど、現実はなかなかそうはいかなくて、人によって使える系統に向き不向きがある。

 ちなみに私はイグニスの力を借りられる火が得意で、他は『生活魔術』――日常生活で使う小さな魔術が使える。


 私は杖に魔力を通して、サラマンダーイグニスの力を借りる為の『錬成陣』が問題なく反応することを確かめる。

 うん。手応えも魔石の輝きにも問題なしだ。


「ん〜……アイリスぅ~? おはよ〜」

「あ、イグニス起きちゃった? ごめんね」

「ううん〜レッくんとの待ち合わせまでまだ時間ある〜?」

「大丈夫だよ。イグニスの朝ごはん用意してあるからゆっくり食べて」


 ◆


「よいしょっと」


 私は買い出しの時に使った大きなリュックの『リス』仕様になり、後ろを振り返る。


「それじゃあ行って来るね。日帰りの予定だけど遅くなるかもしれないからルルススくんは先に寝ててね。あ、工房でも森でも好きに過ごしてね!」

「はいにゃ! お留守番は任せてほしいにゃ。あ、おみやげ楽しみにしてるにゃね!」

「たのしみにしててねぇ〜〜」


 イグニスを肩に乗せ、待ち合わせ場所の城門前へと向かった。




「今日も良い天気だねー初迷宮日和……!」

「だんじょんの中もカラッとしてるかなぁ〜? ぼくのお口が火を噴くぜぇ~! とかやりたい〜」

「レッテリオさんを焦がさない程度に……ね?」

「は〜い。あ〜! レッく〜ん!」


 イグニスが肩から飛び出し、見覚えのある金髪の後ろ姿へフワリと飛び寄った。


「っわ、イグニス? びっくりしたな」

「おはようございます、レッテリオさん」

「お〜はよ〜〜!」


 城門の前には様々な人が集まっていた。

 乗合の幌馬車には行商人や採狩人が。荷馬車を引いた商人、馬に乗った警備兵、それからあの制服はレッテリオも属する騎士団だ。

 隣町へ行く者、王都へ向かう者、迷宮へ向かう者と行き先は色々だけど、先日の盗賊騒ぎのせいで集団で街道を行くことになった。

 都会であるここでは古風な習慣に感じるけど、魔物やそれこど盗賊もしばしば現れる田舎では、こうしてできるだけの安全を買っていたので不思議はない。


「おはよ、アイリス。昨日は眠れた? 体調はどう? 緊張してない?」


 今日のレッテリオさんは私服だ。お休みなのだから当然だろう。青灰色のシャツに黒のパンツ、腰には剣と短剣を挿していて、足下はこなれた感じのブーツだ。

 荷物も腰にくくり付けたバッグと水筒だけの軽装。リス仕様の私と比べると物凄く身軽そうだ。


「はい! 大丈夫です、むしろ楽しみで楽しみで……! スライム用の袋も多めに持ってきたので今日はよろしくお願いします!」

「うん。それじゃ俺たちはあの馬車に乗るよ」

「えっ、あ、はい」


 指差したのは騎士たちが乗った馬車。てっきり迷宮行きと思わしき乗合馬車に乗ると思っていたのだけど……?


「レッテリオ先輩! ほんとに女の子じゃないですか!!」

「迷宮デートなんて斬新っすね!?」

「うわ〜華奢だね〜! 君、そのリュック重くないの?」

「ねぇ、どこに住んでるの?」


「お前たち、いいからもっと詰めて座れ!」


 ワッと身を乗り出してきた若い騎士たちに圧倒されつつ、荷馬車のような屋根なしの荷台に座る。


「あの……レッテリオさん? 騎士さんたちも迷宮に……?」

「うん。こいつらは迷宮探索隊ではないんだけど、鍛錬と迷宮内の魔物の間引きをする為に定期的に入ってるんだ。ああ、こいつらが潜るのは五層より先だから、アイリスの目当てのスライムは狩らないよ」


 心配ないよとニコリ微笑む。

 よかった……! 私とそう年の変わらなそうな騎士さんたちだけど、立派な騎士だ。せっかくのスライムが撲滅されてしまうのでは!? と一瞬青ざめたのに気付かれていたらしい。


「レッテリオ先輩が……優しい……?」

「俺たちにも優しくしてくださいよ先輩……」

「レッテリオさんの笑顔が怖くないだなんて……」

「ねえ君、騎士団に入らない?」


「お前たちは随分お喋りになったな?」


 レッテリオさんが微笑みを深くする。

 うん。私にも分かる。これは怖い笑顔だ!


「ヒェッ」

「だって女の子羨ましいっす!」

「先輩優しくしごいて!」

「騎士団の入団試験は毎月あるよ?」


「この子は森の工房の錬金術師さんだよ。それからデートじゃない。今日は錬金術師さんの護衛だ」


 錬金術師!? と若手騎士たちの視線が一斉に向けられた。

 えっ、錬金術師なんて別に珍しくないはずなのに……なんでこんな反応!?


「ああ、街にいる錬金術師はオッサンばかりでね。こいつらには女の子は珍しいんだ」

「あっそうなんですか……。えっと、錬金術師のアイリスです。あの、今日はレッテリオさんをお借りしま……す?」


 どっ、と笑いが湧いた。

 何か言い方を間違えたらしい? えっ、いやだって、ずっと女子だけの工房にいたからこんな鍛えてます! って感じの男の人たちに囲まれると緊張してしまって……!


「うん、今日はアイリスに貸し出されてるからね。俺は楽しく迷宮探索してくるからお前たちも頑張って」


「ズルイ!」

「先輩! 代わって!」

「女の子と楽しく迷宮歩きたいっす!」

「迷宮デートしたい!!」



「くふふ〜レッくんとその仲間たち~おもしろいねぇ〜!」


 私のフードに隠れていたイグニスが楽しそうに呟いた。

 そして朝八刻の鐘が鳴り、馬車が動き出した。

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