第38話 ヴェネトスの迷宮・入口

 迷宮までは馬車で半刻ほど。長閑な草原と林を進む道行きはあと半分くらい。とても平和だ。

 普段は小さな魔物数匹と遭遇するらしいのだけど、騎士たちが城門閉鎖時にかなり狩った為、この辺りの魔物は一時的に少なくなっているらしい。


「ゴメンね? 居心地悪かったよね、アイリス」

「えっ? あー……いえ、ちょっとびっくりしたくらいで……ね? イグニス」

「そうだね〜アイリスが人気でなんかぼくうれしい〜!」


 イグニスがぴょこん! と飛び出しそんなことを言う。馬車にはほんわかとした空気が漂うが、レッテリオさんは小さな溜息を吐き、後輩騎士さんたちをジロリと見やり言う。


「お前たちはこれから訓練だって言うのに緊張感がなさすぎる。はしゃぎすぎだ」

「いやだって! 女の子ですよ!?」

「女の子と知り合うっていうか話す機会すら稀ですし!?」


 お。

「私も男の人とお話しするのかなり稀です」と口から出かけたけど、私の胸に踊るワクワク感は迷宮でのスライム狩りに対するワクワクだと思ったので、にっこり笑っておくだけにした。






「アイリス、これから行く迷宮のことはどのくらい知っている?」

「えっと……浅い所はそれ程危険じゃないってことくらいしか……。ごめんなさい」


 レッテリオさんに聞かれてハッとした。

 初めて探索しに行く場所だというのに事前調査をしていなかった。携帯食やお弁当作りに必死になっていたからって、これはいただけない。私のミスだ。


「いや、知らなくても仕方がないよ。アイリスは採狩人ではないし今回は調べる時間もなかっただろうからね。それじゃ、到着まで簡単に迷宮の説明をするね」

「はい」

「今日の目的地は三層のスライムの群生地だ。まず一層目は草原になっている。出て来る魔物はスライムや角兎、大土竜モグラ、たまに王様蚯蚓ミミズかな。ここはほとんど外と変わらない気持ちの良い場所だよ」


「そうそう! 新人のキャンプ場所でもあるしね!」

「湧き水もあってピクニック気分っすよ!」

「今夜はアイリスちゃんも一緒に焚き火を囲もうよ!」


 レッテリオさんの話の合間に若手騎士さんたちが声を挟む。が、「そのピクニック気分で大土竜の穴に落ちたのは誰だったかな」と顔だけは笑顔のレッテリオさんが視線を向けると、途端に彼らはピシッと姿勢を正す。

 うん。お口はチャックだ。


「こいつらみたいに気を抜きすぎちゃ絶対に駄目だよ。腐っても迷宮、魔物もいる場所だ。何が起こるか分からない場所だからね」

「はい」

「第二層は草原と森のエリア。ここは一層の魔物に加えて高脚蜘蛛タカアシグモが出るけど、糸さえ気を付ければ怖くはない。それからお目当ての第三層。ここは湿地帯で所々に沼があるんだ」

「スライムはその沼に?」

「いや、スライムたちがいるのは『泉』」


 泉? 沼との違いが何かあるのだろうか。

 まあ、イメージとしては沼の方が濁って汚い感じだけど……。


「あ、もしかして……」

「うん。スライムは浄化の力があるからね。群生地は綺麗な泉があってその周りには薬草類もたくさん生えているんだ。だからスライムを探すなら綺麗な水の流れを探せば簡単」

「スライムの他に魔物は?」

「勿論いるよ。毒大蛙とか一口鯰ヒトクチナマズとかそんなとこかな。下手するとパクッと食べられちゃうから気をつけてね」

「は、い……」


『一口鯰』ってもしかして、一口で食べられちゃうから付いた名前なんじゃ!? どれだけ大きいの……!?


「先輩おどかしすぎですよ〜」

「そうだよアイリスちゃん、蛙も鯰も美味しい食料だから大丈夫!」

「夕食の蛙と鯰、一緒にどう?」


「えっと、ごはんはお弁当があるので……?」


「お弁当……?」

「えっ……本当にデートじゃん……」

「ちょっと危険な迷宮で心をグラっとさせて……?」

「まさか……?」


 ん? 私なにか変なこと言ったかな……? なんだかまた揶揄われる流れじゃない? これ。


 うん、気付かないフリをしよう。そうだ、魔物の蛙や鯰を食べるのも普通みたいだし、騎士団の遠征での食事事情は想像以上に良くないんじゃ? こんな、お弁当が羨ましくなるような状況だからこそ私への携帯食依頼が来たのかもしれない。


「はぁ。お前たちいい加減にしろ」


 呆れを含んだレッテリオさんの声。だけどちょっといつもより低いような……?


「「「「ひっ……」」」」


「今日の俺は休日だが『仕事』だ。まったく……お前たち、きっと後でアイリスと俺に感謝することになるんだからな? 間違っても彼女に失礼をするんじゃないぞ」


 レッテリオさんは私の肩にポン、と手を置き「ちょっとだけごめんね?」といつもの優しい声で耳打ちすると、グイと肩を抱き寄せた。


「……わっ」


「ああー!?」「いつも先輩ばっかり!!」「たまには紹介してくださいよ!?」「希望がほしい!!」と、騎士さんたちは懲りずにレッテリオさんにじゃれている。


 そして、レッテリオさんに抱き寄せられた肩はそのまま。

 こんなのレッテリオさんの悪ふざけというか、からかう後輩たちへの意趣返しなのだと分かってはいるけど、悔しいかなどうしても頰が熱くなってしまう。


 だってレッテリオさんは無駄にキラキラ格好良いし、薄着の今日だから気付いたけど、騎士だけあって意外と筋肉がついていて『男の人』を意識させられてしまったし、どちらが素なのか分からないけど後輩騎士さんたちの前では言動が男っぽくて印象がちがって見えるし、いやだから私、男の人に免疫ないんだってば……!


 というか、レッテリオさんってなんか最初から距離感近いよね?! 子供扱いだからなんだろうけど、そ、そろそろ離して欲しい……!



「も〜〜。レッくんまでアイリスをからかわないでよねぇ〜アイリスはまだ純真なおとめなんだよぉ〜!」

「ゴメンね? アイリス」

「イグニス! そういうこと言うとまた騎士さんたちにからかわれるから! もう!」


 イグニスの言葉もレッテリオさんの余裕のある微笑みも、どちらも恥ずかしくてつい俯いてしまう。だけど今日はいつも下ろしている髪をポニーテールにしているので、きっと赤い耳までは隠せない。


 ――多めに作ってきたサンドウィッチ、騎士さんたちにあげようかと思ったけど……あげない!


 私にできる意趣返しはそんな子供っぽいことだけだった。




 そうこうしている間に迷宮の入り口が顔を覗かせ、馬車を降りる。


「うわぁ……迷宮の入り口って賑やかなんですね!?」

「うん。素材買取してくれるギルドの出張所とか採狩人目当ての商人とかが集まるからね。割高だけど最後に装備を整えられるのは有難いから需要があるんだよ」


 そこはまるで小さな市場だった。

 蚤の市のように雑多で、でもよく見れば良い品ばかり。軽食を販売している店もあるし、少し離れた場所にはテントの集まりまであって、これはもう集落になりかけているのでは?


「ああ、あのテントはこの迷宮を拠点にしてる採狩人たちだよ。一月くらいなら、いちいち街と往復するよりここでテント暮らしした方が効率が良いんだ」

「へぇ……。迷宮から出てここで寝てまた迷宮へ?」

「うん。一週間潜って補給をしてまた潜ったり、主力は潜ったままで仲間がバックアップするってところもあるし……まあやり方は色々だね」


 馬車で一緒だった騎士さんたちは迷宮内で四日を過ごす予定らしい。

 それでも荷物はなかなかに大きかった。


 ――私の作る携帯食……美味しさや栄養面はよく考えていたけど、重さや収納面ももっと考えた方が良さそう。ううん、もっと考えてあげたいし、考えなきゃ駄目だ。


「キューブパンを蜂蜜ダイスサイズに圧縮できたら良いなぁ……」


 そんな、今は夢物語でしかないことが思わず口からこぼれた。

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