第30話 兎花の酵母パン②

「よし、まとまってきたかな」


 ほんの二、三分刻(*一刻=一時間/半刻=三十分/一分刻=一分)こね混ぜれば、粉と水がパン生地第一段階になるのだから料理はやっぱり面白い。まるで錬金術みたいだと思う。


「次は……『叩きつけてこねる』」


 記憶にある手順と『レシピ』を確認しながら生地をこねていく。


「で、『生地の状態を確かめ』て……『押しこねる』と!」


 作業台を使いながら叩きこね、具合を確かめ、ぐっと押しつけまたこねる。


「……うん、いいかな」


 ここまで約十分刻。久しぶりだからちょっと手間取ったけどまぁ良いだろう。


「丸く形を整えて……と!」


 ボウルに生地をそっと入れ、一次発酵だ。


「ルルススくん、その箱からシートを一枚取ってくれるかな?」

「ん、はいにゃ」


 元々は紙束が入っていた箱だ。

 その中身は半透明だったり、透明だけど水色や緑色がうっすら混じったペラペラのシート。


「このシートって『保存紙ラップ』にゃよね?」

「うん、そう。上保存紙上ラップなの」


 私は生地の入ったボウルに失敗上保存紙上ラップをかぶせ、しっかりと密閉する。


「アイリス〜何分刻に設定する〜?」


 イグニスがやや大きな砂時計をぺちぺち叩いた。

 これは錬金術製の砂時計で、『刻告げの砂時計』と呼ばれている。付属の錬成陣に時刻数を書き入れておけば、設定した時刻に砂が震え音が鳴り、設定時刻が経過した事を教えてくれる優れものなのだ。


 ちなみに私はまだ作れません。

 これ、砂を均一に作るのが地味に難しいのです……。


「うーん……とりあえず一刻で様子を見てみようかな? 二倍くらいに膨らんだら一次発酵完了なんだけど……」


 今日は初夏らしい爽やかな気候だ。暑くもなく寒くもない。

 気温が高ければ発酵は早めに進むし、寒ければ時間がかかる。それに初めての『兎花の酵母』だからちょっと予測が難しい。すごく元気な酵母液だったから一刻〜一度刻半でいけそうな気がするんだけど。


「私はこの間にお昼ごはんの用意しちゃおうと思うけどイグニスはどうする? 生地の温度と変化を見ておく?」


 生地の変化を観察して理解してしまえば、お料理も得意な火の精霊サラマンダーイグニスは『パン焼き』だけでなく『発酵』も出来てしまうかもしれない。


「うん〜! そうする〜ふくらんだら教えるね〜!」

「うん、お願いします!」


 私は一刻に設定し、砂時計をひっくり返した。






「にゃあにゃあ、アイリス? この上保存紙上ラップの失敗作ってなんにゃ?」


 ルルススくんが、イグニスが見守るボウルを指差す。


「ああ、上保存紙上ラップは知ってるでしょう? 保存効果が普通より高いやつ。でもこれは、生成段階でスライム成分を均一に出来てなかったり、魔術を刻むときに不純物が混入してしまったりしたものなの」


「確かに……厚みが均一にゃにゃいし色も入ってるにゃね。普通の保存紙ラップと同じにゃん?」

「ううん、上の失敗作は普通以下なの。どうしてか強度がすごーく低くて『保存紙ラップ』としてはちょっと使い難いの。でもほら、水に強く空気も通さないっていう最低限のところはクリアしてるから、実験とかお料理に手軽に使ってるんだよね。保存紙ラップって安くないからこれもなかなか便利でしょう?」

「便利にゃ。これ、お手軽保存紙ラップとして売れそうなのにゃ」


 ルルススくんはボウルにかぶさった保存紙ラップをつついたり、フーッと息を吹きかけてみたり品質を確かめている。

 あ、だめ。息は平気だけど指はむり! 弱いから穴が開いちゃう!


「売れるかな? だってコレこんな失敗作だよ?」

「そうにゃけど、普通の保存紙ラップ上保存紙上ラップほどの長持ち効果を求めていにゃい人向けで今より安価にゃら売れるのにゃ。こういうお手軽に使えるシートはいま世の中に出回ってないのにゃ」


「……明日スライム狩りに行くから、品質の悪いスライムとか、あとは失敗作ができたら――」

「これを作って欲しいにゃ!」

「あー……じゃあスライムたくさん取れたらこの程度の品質で作ってみる。それでいい?」

「頼んだのにゃ! ルルススは依頼した分ちゃんと働くにゃ!」


 失敗作が商品になる……? ルルススくんの言うことは正直、半信半疑だけど……。


「見習い錬金術師としては複雑……」

「せんせいに怒られちゃいそうだよね〜」


 イグニスがパン生地を観察しながらくぷくぷと笑う。


 ――と、見慣れた私作の『上保存紙上ラップの失敗作』に目がとまった。


 失敗作は厚みが非均一……不純物……は、錬成陣を刻むときの魔力やインクの成分の問題だ。


「……」


「アイリス?」

「どうしたにゃ?」


「……ルルススくん、やっぱり『お手軽保存紙ラップ』じゃなくて新しい保存紙ラップ作ってみてもいいかな」

「にゃにかひらめいた?」


 ルルススくんの瞳がキラキラと煌めく。


「うん。これ、わざと厚くしてみたり色――不純物って言うか、効果のありそうな成分を入れてみようかなって……あ、もちろん保存紙ラップとして使える範囲内の厚さにはするつもりだけど……」


 いや、既存の保存紙ラップの形態にこだわらなくても良いかもしれない? だって上保存紙上ラップはあるんだもん。

 新しく、もっと効果の高いものを作ってみようと思うなら、透明度が下がっても厚みが増しても別に良いかもしれない。


「……そうにゃね。厚くても悪くにゃいかも。上保存紙ラップと同じ見た目と手触りで更に良い物ににゃれば最高にゃろうけど……まずは別にいいんにゃにゃいの? ルルススはそれも売れると思うにゃ!遠征する 採狩人にゃんかに売れそうにゃ」


「うん。ちょっと実験してみる! まずはパン作って、スライム狩り頑張らなきゃね!!」

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