第29話 ふわぷにの手 〜兎花の酵母パン① 準備〜
「アイリス〜錬金術師の工房ってひとりじゃ大変そうって先生も言ってたよねぇ~。見習いのアイリスには〜ぼくだけじゃなくてもう一人仲間がいても良いんじゃないかなぁ〜?」
ぺちぺちと肩乗りイグニスは私の頰を撫でる。……うん、撫でてるんだけど手の形状からペチ、ペト、とくっつく感じで何だか面白い。
「……うん。そうだね」
一人で出来ること、一人でやらなきゃいけないこともある。
でも、手を差し伸べてくれる人(猫だけど)がいるなら頼っても良いはずだ。幸い森と工房には強い守護があり、その守護が侵入を許したルルススなのだ。悪人ではないはず。
それに自分自身の感覚でも、ルルススくんからは良いものを感じている。
うん。私は縁を大事にしたい。
あと勘と運も好き。博打打ちかよとか言われそうだけど、博打は勝算があるから打つのだと私は思う。まあ、打ったことないけどね!
「……ルルススくん、お手伝いをお願いしてもいいの?」
「ルルススが住みたいってお願いしてるんにゃ。それからお手伝いを家賃にしてくれると嬉しいにゃ〜」
ルルススは「商人だから計算も管理も得意にゃよ!」と得意そうに髭をそよがせ胸を張る。
「うん! じゃあ工房のお手伝いお願いします! あと素材のこととかルルススくんの知ってることも色々教えてもらえると嬉しいな」
「美味しいごはんもつけてほしいのにゃ〜!」
スリッスリッと私の腕に頭をすり寄せる。
わぁ……! ケットシーってこんなに猫なんだ! うふふ。柔らかい毛が落ち込んだ気持ちをどんどん浮上させてくれる。
「ふふっ、了解! ルルススくん……よろしくね」
「よろしく〜〜」
「よろしくにゃ! 良い森と住処が見つかってルルススも嬉しいのにゃ!」
こうして、工房に新しい仲間が迎え入れられた。
◆
「今の季節のルルススおすすめ酵母は〜〜はいっ! 『兎花の酵母』にゃ!」
待ってました! ルルススくんの酵母!
白い花が浮き沈みする様は可憐で、どんな味のパンが作れるのか楽しみな気持ちが膨らんでいく。
「兎花の酵母はほんのり甘みがあって優しい味のパンになるにゃよ〜」
ルルススくんは大事そうに『兎花の酵母』瓶を抱え、「早くパンを焼くにゃ!」と言って尻尾を立てる。
「そうだね、さっそく作ろうか!」
私はイグニスを作業台に下ろし、ルルススくんにはその辺りの空箱から踏み台を見繕っておいてもらう。ルルススくんは私の腰丈の身長だから、乗らないと作業台が見えないからね。
何でもルルススくんは、王都のパン屋さんにも気が向いたときに酵母を届けているそうで、パン作りにも興味があるらしい。それなら近くで見てもらおうと思ったのだ。
「お手伝いしてもらってもいいんだけど……手が毛だらけだもんねぇ。スライムたくさん取れたら手袋を作るのも良いかもしれない?」
スライムの手袋なら伸び縮みするし、ルルススくんの手にも合うかもしれない。
ちなみに人間用のスライム手袋は工房にもある。肌に触れては危険な素材や、液体を扱う時に使用している。
「あっ、でもルルススくん爪でちゃうかな?」
「普段はしまってるけど、頑張りすぎると出ちゃうかもしれないにゃね」
丁度良い空き箱を見繕い、作業台を覗きながらのルルススくんが言う。
「やっぱり? 咄嗟のことって分からないもんね」
それならもっと丈夫さが必要だ。スライムと混ぜられて使えそうなもの……。
「……クラーケン? あとは……そうだな、鉱石系もいいかもしれない……」
パラパラと頭の中の図鑑をめくる。
うん、スライムを獲ってきたらちょっと試してみよう。
「さて。じゃあ今日は私だけで作るから二人は見ててね。あ、イグニスは焼くのお願いします!」
「もちろん〜〜!」
私はローブを脱いで腕まくりをし、エプロンをかける。作業の邪魔になるので髪もうしろで一つに束ねた。
「小麦粉と、こっちは全粒粉……それと水、塩、砂糖、オリーブオイル少々に兎花の酵母!」
ルルススくんから買った酵母は液体のまま使おうと思う。故郷では『元種』を使って作っていたけど、今日はその『元種』を作る時間がないのでそのまま使う。
ちなみに『元種』は、酵母液に小麦粉を加え発酵をさせたもの。これもパン生地と同じく、そのうちイグニスが熱加減を覚えてくれたら嬉しい。
この酵母液。元種を使うよりちょっと難しいと聞いたけど、私には万能オーブンのイグニスがついているのできっと大丈夫!! もし膨らまなかったらそれはそれ! 食べれないことはないだろうから……まぁ良いだろう。
「えっと……『レシピ』『インデクス』――『全粒粉を使った田舎風パン』!」
呟き目を閉じる。
このパンを故郷で作ったことはあるのだけど、もう五年も前のことだ。正確な分量や手順には自信がない。
だから、困った時の『レシピ』だ。
『全粒粉』『田舎風パン』というキーワード、それから私のイメージ――顔よりふた周り程大きな丸いパン、パリパリの外皮、もっちりとした食感……そんなものも加えていき、『レシピ』を探し出す。
頭の中の本棚からいくつかが選択され、お目当てのレシピがハッキリと頭に示された。
「えー……まずは『生地の材料をまぜる』と」
並べた材料を大きなボウルに入れ混ぜ合わせる。最初はザックリ、まとまり始めたら生地が均一になるまで手早くだ。
「んにゃ。アイリスはパン作りにも『レシピ』を使えるんにゃね! 珍しい錬金術師にゃねぇ」
「そ〜なんだよ〜。錬金術の『レシピ』もたくさんもってるけど~アイリスは雑食性だからなんでも覚えこんじゃうんだよねぇ〜。変わってるでしょ〜〜?」
雑食性ってどういうことよ……と、イグニスに目線を向けると、なぜか『パチン』とウィンクをされた。何あれかわいい。
「変わってるにゃ〜ふつうはお料理レシピなんかを『レシピ』に入れにゃいにゃ。アイリス『本棚』の容量もったいにゃくにゃいの?」
「容量? んー……特に気にしたことないかなぁ? まだ見習いだからね。一人前になったら足りなくなって錬金術以外の『レシピ』は消しちゃうかもしれないね」
「そうにゃかー……ふーーん」
ルルススはちょっと目を細め、ニヤッと笑う。
そして踏み台の上でちょっと背伸びをし、作業台に顎を乗せて、これからのパン作りをのんびりと見守ることにした。
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