第26話 ルルスス

「えー……森の守護をしてくださっている精霊さん、こちらに『酵母菌』をいただけませんでしょうか? その……パンを焼きたいと考えております!」


 持参した空の瓶と、木苺で酵母を発生させる準備をした瓶の二つ。それらの蓋を開け『森のタワー』へお願いしてみた。


 本日の天気は晴れ。初夏の森らしい新緑と草の香りが爽やかで、蔦木タワーの傘の下は神聖ながらに心地良い。

 肩にはそよ風を感じご機嫌のサラマンダーイグニス、腰には採取籠といつものポーチ。そして両手に瓶。


 うん、間抜けだ。


 さわさわ、さわさわ。

 聞こえてくる葉擦れの音はなんだかヒソヒソ話のよう。


「ね〜え〜? アイリス〜?」

「なあに? イグニス」


 さわさわ、さわさわ。


「大地の精霊たちが笑ってるよ〜」

「……やっぱり?」


 二つの瓶に変化はなし。もし木苺の瓶に酵母をくださったのなら、きっとシュワシュワと泡が出たり何か変化が起きただろう。


「あはは……。えっと、守護の精霊さん、森に住まわれている精霊さん、失礼しました!」


 大きめの声で言って、タワーに向かって頭を下げた。

 やっぱり妙なショートカットは考えてはいけないね! 今回は精霊さんに笑われるだけで済んだけど、怒られることもあるだろうし調子に乗ってはいけない。

 私は森の恵みを分けて頂くだけ。そういう感謝を忘れないようにしなくちゃ。運と縁あって工房を受け継いだ、ただの人間なのだから。




「さて。じゃあ今回も無発酵で出来るパンにして次こそは酵母を使ったパンにしようね! イグニスはどんなパンがいい?」


 瓶を仕舞い、肩に乗っているイグニスを見るとなんだかしょんぼり項垂れていた。


「イグニス?」

「ごめんねぇ〜。ぼくが上手にできたらよかったのにぃ〜……。アイリスふわふわのパン食べたかったでしょ〜? ぼく、さっきちょっとやってみたんだけど〜木苺が炭と乾燥木苺になっちゃったんだぁ〜……」


 わ、いつの間に。

 出掛ける前に「むずかしい」と言っていたし、本来サラマンダーにお願いするようなことじゃないし、そんなのできなくて当たり前なのに!


「気にしないで? イグニス。そもそも酵母作りを早めにやっておかなかった私が悪いんだよ? そうだ、迷宮ダンジョンから帰ったら迷宮産の作物でも酵母作ってみよっか! 一緒にやってみてくれるでしょう? イグニス」

「……うん〜! きっとね、アイリスと一緒に何度かやれば上手にできるようになるよ〜!」


 ぱあぁ……! と輝くような笑顔を見せ、イグニスは尻尾をパタパタさせる。

 この笑顔、どうやら私以外の人にはよく分からないそうで……こんなに可愛いのに、勿体ない!


 それにしても、何でも器用に焼いてくれるイグニスでも『酵母起こし』のように温度を管理するような特殊なことは何度か練習が必要なようだ。

 スキルや熟練度ってそういうものだよね……。お料理レシピの『塩少々』や『適量』だって、何度か試してみなければ身に付かない。


 精霊さんだからって、何でも万能にできるなんてことはないのだ。


 ――まあ、そもそも。イグニスは炎の精霊であってお料理精霊さんじゃないんだけどね!!





「あれぇ〜? アイリス〜!」


 イグニスがパカっと口を開け、少しの警戒を見せる。すると前方の少し先、茂った草むらが不自然に動いた。


「――まさか、魔物……!?」


 ガサッ! と。私の声に反応したのか、草むらが跳ねた。


「にゃっ? 人にゃか?」


 ガサガサッと葉を掻き分け、緑の中から姿を現したのは私の腰ほどの背丈をした――。


「……ね、こ……? 」


 えっ、おっきい……茶トラ……? あ、白の靴下にゃんこだ。ていうか二本足で歩いて……ん? 籠? 採取? している? えっ、あの猫の手で……!?


「んっ? んんっ? おねーさん面白い匂いにゃね?」


 猫の彼? かな? は、フンフン、フンフン、と鼻を鳴らし間近で私の匂いを嗅いでいる。たまに触れる耳やヒゲがこそばゆい。


「あの……あなた、もしかして『ケットシー』……?」


「ん! そうにゃ! 流浪の『森ケットシー』で商人のルルススにゃ!」


 二足歩行の猫――ルルススは、背負い籠の横から太くて長めの鍵尻尾をピン! と立て胸を張った。


「ここは良い森にゃね! ボクの籠いっぱいにゃよ!」

「あ……うん、ここは守護されているから……」


 そうか。守護の結界は、この子――ケットシーを森や工房に害を為す者ではないと判断してるんだ。だから結界は発動しない。


 という事は……このケットシーは貴重な品を持っているかもしれない、安心安全な行商人さん。

 そして彼は『森ケットシー』と名乗っていた。


「あの! ねえ、ルルススくん! 森の……天然酵母! パンに使う酵母菌持ってない!?」


 人よりも精霊に近く、そして精霊よりも人に近しいケットシー。

 猫らしく自由気ままな性質だけど、各々の好みは様々。森や山、鉱山、街、変わったところでは川べりなんかをにしてる者もいるという。


 そしてその中でも、旅を愛するケットシーは自分好みの物を集めては売り歩くのだ。扱う品には貴重なものも多いと聞く、なかなか出会えない幻の行商人。


「酵母? あるにゃよ」


 なんだそんなものか。とでも言うように、ルルススくんは鼻の頭をペロッと舐めて「ニャニャ」と笑った。

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