第19話 ヴェネトスの街 ⑥ 〜迷宮と副長〜

「閉門中にな、暇だったんでちょっと迷宮に潜って来たんでな。土産だ」

「……何やってるんですか副長……しかも閉門中に――……もしかして?」


 レッテリオさんが呆れたような苦いような表情でその顔を見上げた。

 迷宮の話なら私も聞きたいけど……カッフェ豆って確かわりと深い所で採れるって聞いた気が?

 バルドさん、たぶんコッソリ一人で行って帰って……珈琲豆を焙煎してそして食後の一杯に……? どれだけ強いの?


 嗚呼、しかしこの珈琲……美味しい!



「ああ、イッカクのにな。『ちょっと迷宮の中に変わりないか見て来てやろうか?』って言っただけだ。が入り込んでたら事だからな?」


 イッカク? 一角獣……? 何かの暗号なのだろうか……?


「やっぱり。まったくアイツは……。あ、アイリス。紹介が遅れたけどこちら、ヴェネトス警備隊の元副隊長で現在はここ『金の斧亭』の店主で料理長のバルド・ゴリーニさん。『金の戦斧センプ鬼』って聞いたことない?」


 なにその物騒な呼び名。金の鬼? 一度聞いたら忘れないと思うけど……記憶にない気がする。

 気になった事はの端の【見習いMEMO】に書き込んであるのだけど。


「知らないだろうよ。俺が引退してもう三年だ」

「あ、だから……! 私ここへ来て三年なんです。前は山奥に住んでたので街のことには疎くて」


 そうなのです。

 うちの村は湯治客(と少しの観光客)が来る温泉地だったから、街や街道沿いで何があったとかそういう噂は入ってきていた。だけど、ヴェネトスの街のこととなると……これがなかなか入ってこない。


 よっぽど大きな事件だとか、御触れが出たとか、そういう大事なら入ってくる。でも、それでも数日から一週間かかってやっとだった。


 ――そうだ。でも確か。

 ヴェネトス騎士団が迷宮ダンジョン攻略をしていて、強い魔物と戦って大怪我をしたって噂を聞いたことがある。

 もしかしたら騎士さんたちが湯治に来るかも? と、若い女性や小さな男の子が話していたと記憶している。


 もしかしたら、あの時の話はバルドさんのことだったのかもしれない。

 私はチラと、その頬の傷跡を見て思った。


 これだけの傷だ。もしかしたら顔だけでなく、身体にも傷を受けたのかもしれない。

『金の鬼』と呼ばれた副隊長がそれ程の傷を負っただなんて……一体どんな魔物で、どれ程の怪我だったのだろう。


  ――あ、そっか。多分その傷が元で引退されてこのお店を……?


「へぇ、この辺の子じゃあなかったのか。あそこの見習いでは珍しいな」

「バルドさん、研究院にお知り合いが……?」


 確かに工房の見習いは都市部の子が多い。それほよく知られたことだけど、副長さん改めバルドさんの口ぶりは何となく親しげに感じる。


「古い知り合いがいてね。ところで君は迷宮ダンジョンに――」

「副長」


 レッテリオさんが困ったような顔でバルドさんを見る。なんだろう? 迷宮はマズイ話題だった?


「……ああ。なんだね? レッテリオ・コスタンティーニ副隊長」


 バルドさんがニヤリと笑った。


「……え?」

「副長……」


 レッテリオさんは恨めしそうな声。


「レッテリオさん、副隊長さんだったんですか……!?」


 しまった。そんな人に世話をかけてしまっていただなんて……!


「あ〜違う違う。俺は『迷宮ダンジョン探索隊』っていう小さな隊の副長で、バルド副長とは全然違うから。気にしないで、アイリス」

「同じ副長には変わりないだろうに」


「勘弁してくださいよ。俺と副長では規模が違いますし、『迷宮探索隊』は半分趣味みたいな部隊ですからね」


 騎士団の構成も部隊の大小もよく分からないが、レッテリオさんが迷宮探索をしている隊の副長さんなのは分かった。それからバルドさんも、迷宮をよく知っていそうだしこれは……!


「あのっ、迷宮のこと……聞いても良いですか? スライムについてなんですけど……!」

「……スライム?」


 二人が少し不思議そうな顔を見せた。

 そうか、一般的にはこんな反応になるのか。

 錬金術師同士だと、『どこ産のスライムは質が良い』だの『最近は天気が良すぎてスライムが薄い』だのと、会話の取っ掛かりになる程度にお世話になっている素材なのだけど。


「群生地がありますよね? どのくらい獲れますか? 素材に必要で……できるだけ大量に確保したいんですけど……」


「ああ、そうか」

「素材ね……」


 そういえば、という風のバルドさんと、なんだか微妙な呟きのレッテリオさん。


 ――レッテリオさん……私が瞳の色を素材になぞらえて褒めてしまったからかな。ごめんなさい。レッテリオさんの瞳みたいなスライムも健康そうですごく良さそうです。


「採りに行きたいのか? スライムが欲しいならギルドに頼むと良いと思うが……」

「そうなんですけど、その、ちょっと……できれば節約したくて。見習いなので自活していると言うか自給自足と言いますか……」


 バルドさんはちょっと驚いた顔を見せる。

 そうですよね。の見習いはキチンと実習工房に面倒を見てもらって修行するものだから……私みたいなのは本当に例外なのだ。


「できれば自分で採りに行きたいんです。自分で採取するのも修行になりますし、一人暮らしなので自分の身を守れる程度には強くなりたいし……あ、採狩人ギルドに護衛依頼は出そうと思ってるんです。それは必要経費だと思うのでその分スライムをたくさん採って売れないかなー……とか……。難しいでしょうか? やっぱり」


「いや、スライムなら三層に群生しているから体力さえあれば問題はないだろう。だが……付き合ってくれる採狩人を見つけるのがちょっと大変かもしれないな。なぁ? レッテリオ」

「そうですね。スライム目当ての三層じゃ、護衛の仕事としては簡単だけど旨味が少ないから…………あ。ねぇ、アイリス」


 もしかしたらイケるかも……と、レッテリオさんがちょっとこちらへ身を乗り出し続けた。


「はい?」

「朝食べたパン、あれ携帯食にもできるって言ってたよね? あとさっきも美味しそうなのあげてたよね」


 にこり。レッテリオさんが笑った。

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