第11話 ひとり工房実習になった理由 ④ 〜森大蒜のオイルトットゥ〜

 

 その夜、イリーナ先生は工房に泊まり、翌日はまたどこかへ向かうのだと言った。

 そして別れ際、私は疑問に思っていたことを聞いてみた。


「あの……先生、どうして私に実習延長のチャンスをくださったのですか?」


「私があなたの能力を買っているからよ」


 パチリと目を瞬いた。

 能力を買っている? 先生が? 私の?


「奨学金を貰っている学生は多くないはずよ? 勿論その選定は厳しいものだわ」


 それは知っている。私は奨学金を得るためにいくつもの試験と面接をしたのだ。


「無償の奨学金が出るのは五年間。延長には再試験があるし、今度は無利子無返済でないのは知っていますよね?」

「はい」

「アイリスはもう五年目、延長はしないつもりだと前に言っていたでしょう? どうするつもりだったのかしら?」

「今年の試験で絶対に受かろうと思っていました……」

「あら、困ったこと」


 先生は頰に手を添えウフフと笑う。そして「一人実習は授業料を取らないから安心なさいな」と、もうひとつの懸念事項も解消してくれた。


 ありがとうございます先生。楽天的でごめんなさい。


「あなたは奨学金を得られるだけの素質があると判断されている。だから私が個人的に工房を貸し与える許可が出たのよ。それにもう一つ、アイリスはが得意よね?」

「はい」


 本を読み覚えることは好きだ。頭の中にある『レシピ』も、魔法則にのっとり脳に刻み込んだ術なのだが、『レシピ』として刻み込むには自身が理解し暗記することが必要となっている。


「錬金術以外のレシピも含めればだけど、あなたのレシピ量は素晴らしいわ。基礎調合への理解も高く品質も良い。――基本的な能力は高いの。そこを伸ばせるか、利用出来るかは……あなたの意識次第だと私は思うのよ?」


 言われ慣れない褒め言葉が素直に嬉しい。

 工房実習が始まって三年……思うように出来ない事ばかりで落ち込む中、できる事をしようと錬金術に限らず覚えこんだ『レシピ』が評価されるとは思ってもみなかった。

 まあ、固定で食事当番になってしまったから料理本を読み漁っただけなんだけどね!

 ペネロープ先生はお魚が好きで私は魚料理に疎かったし、同期の二人は裕福な家の出身で味にもメニューにもうるさかったからね……良い修行だった。

 何が幸いするか分からないなぁほんと。


「イリーナ先生……ありがとうございます。私、頑張ります!」

「ええ。よく考えて頑張りなさい」

 来年は絶対に試験を受けに王都へ行く。そして試験監督官のイリーナ先生に会うんだ。


 そう心に決めた。



 ◆



「それではアイリス、お別れです」


 旅装のペネロープ先生と同期がドアの前に並んだ。

 今日はいよいよ試験のため王都へ出発する日。私の一人実習が始まる日でもある。


「工房の物は好きに使いなさい。それから一人で十日程すごせる程度の食料、日用品は揃えてあります。お金は金庫に。これまでの依頼実習でのあなたが稼いだ分を入れてあります」

「はい」


 先生は苦虫を潰したような渋い顔で言葉を続ける。


「……いいですか? 工房の物は計画的に使い、慎重に予定を立て行動しなさい。自分でよく考えるのですよ、アイリス」

「はい!」

「……良い返事だこと。まあ頑張りなさい」


 ペネロープ先生の眉間の皺は最後まで取れなかった。

 でも今なら分かる。私と先生は、折り合いが悪いという訳ではなかったのだ。

 ただ私が未熟で心配ばかりかけていたのだと。


 ◆


 先生たちが工房を後にして、私が最初にやったことは工房内の物品チェックだ。

 元先生の部屋や同期たちの部屋は、備え付けの家具だけであとは空っぽなので見に行かない。


「うん、先生の言う通りだな」


 実習で集めた基本的な材料も、食料や日用雑貨も当面のものはありそうだ。

 十日分はあると言っていたし、季節は初夏。今から買い込み過ぎても無駄になってしまうだろう。

 品質保持の術がかかっている保存庫のスペースにも限りはある。無くなる頃に街に買い出しに行けば良いだろう。お金も個人用の金庫にちゃんと入っていたし、しばらくは問題ない額を置いて行ってくれた先生には感謝しかない。


「さて……今日は何をしようかな」


 今までは先生が一日のスケジュールを決めていた。実習のカリキュラムは半年毎にまとめて出されていたので、これまでは予定表を見るだけだった。

 しかし、今日からは一人。


「……とりあえずは復習から始めようかな。基礎材料はたくさんあるしね」


 それに初めてのひとり暮らしだ。正直ちょっとワクワクしている。

 家事だけ先に片付けて午後は基礎練習をして、そうだな……明日からはまだ早いと言われて読めていなかった参考書でも読んでいこう。『レシピ』を褒められたし、私の強みがそこならばまずは『レシピ』を増やすのも良いかもしれない。


「うふふ」



 ◆◆◆



 うん……。我ながらやっぱり、楽天的すぎたとしか思えない……。


 私はどんな錬金術師になる――いや、なれるのだろうか?

 いやいや、こんな風にボンヤリ考えても仕方がない。先のことはわからないし、今できることをとにかくやるしかない。


「今できるのは……そうだ『オイルトットゥ』を作ろう!」


 私はトットゥを保管庫から取り出す。


「 焼いて軽く身をほぐして……と、オイル先に用意しなきゃ」


 さっき調合室で見つけたオリーブオイルを手に取りフライパンへ。――そう言えば調合室にも置いてあったんだよね……。どうせならパンを焼く前に見つけたかった……!


「イグニス、こっちもちょっと火をつけてくれる?」

「はいは~い! いいよ~!」


 オイルを熱し粗みじんに切った森大蒜を入れる。そこへ細かめの乱切りにした赤茄子トマトを投入する。


「んー……初夏の森大蒜モリニンニクはいい匂いだな〜」


 森大蒜は栽培されている大蒜の野生種だ。畑のものより小ぶりで、まだ若いものは甘みが強い。まあ、もちろん味は大蒜だ。


 大蒜の色が変わって赤茄子もしっとりしてきた。そろそろ良いだろう。

 火から下ろして粗熱を取ったら、ほぐしておいたトットゥを入れて和える。


「たっぷりオイルを吸わせて……あ、香芹パセリも散らそ」


 食料保管庫から香芹パセリを取り出し手でちぎる。私は丁寧に刻むよりもこの方が何だか好きだ。


「塩胡椒で味を整えて……うん、美味しい」


 あとは熱を冷まして瓶に入れたら出来上がりだ!(さっきイグニスがジャム用にと用意しすぎた瓶だ。期待しすぎでかわいい)


「イグニス! ほら、ジャムはまた今度! 次つくるよ〜!」






 ――そして翌日、街の鐘が鳴った。

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