第10話 ひとり工房実習になった理由 ③
「イリーナ……何故ここに? あなたは王都でお忙しいと聞いていたけど?」
「ふふ。お久しぶりね、ペネロープ。そう、私とってもお忙しいの」
イリーナ先生はコロコロ笑うと、何かを摘んだ指先を開き小さく一言呟いた。
すると緑色の光の粒と共に蔦植物が出現し、シュルシュルと椅子を造り編み上げた。
「あら、アイリスお口が開いていてよ? 間抜けなお顔ね?」
「っ! お、久しぶりです、イリーナ先生」
開いていると指摘された口をピッと閉じ、姿勢を正して頭を下げつつ腰を落とす。まずは二年間で叩き込まれた少し丁寧な挨拶だ。
「ええ。頑張っていたようですね、アイリス」
良かった。挨拶はちゃんとできたようだ。
イリーナ先生は工房実習二年目までを受け持ってくれた私の先生で、おっとりとして見えるがとても厳しい先生なのだ。
「さて、お話を続けましょう」
先生は微笑みながらお手製の蔦椅子に座った。
うん。相変わらず優雅な物腰でつい見惚れてしまう。
緩くウェーブした長く明るい金髪と碧玉の瞳。背中に王立錬金術研究院の紋章が刺繍された深い闇色のローブ。
その優雅な物腰はさすが貴族家出身。それにローブに刺繍された紋章が示すのは、研究院の中でも高い地位。
私たち錬金術師(見習い含む)は制服のようにローブを着ているが、実はその力量によって色が定められている。
市井の錬金術師はそこまで厳密に守っていないのだけど、一般的にキャリアが上がればそのローブの色は濃く、深くなっていく。
錬金術研究院では『夜』の色でその階級を表していて、見習いの私は『宵闇色』――夕方、日が沈むころの少し明るい紫色だ。一人前になると、もう少し濃い紫から紺の『夜色』のローブを着ることができる。
イリーナ先生の『紋章入り』と呼ばれているローブは、研究院の中でも特に高い能力を持つ者だけに許された、特別なものなのだ。
そんな先生だけど、お貴族様の世界では『美貌の才媛だが錬金術ひと筋の変わり者』として有名らしい。私の大事で大好きな先生を変わり者だなんて、失礼な話だ。
「……イリーナ、突然出てきて何のお話が? アイリスは私の生徒。あなたにはもう関係ありません」
「あら。関係あるわ?」
イリーナ先生はこてんと首を傾げてみせる。
「承認試験のお話をしていたでしょう? 私ならアイリスに三つ目の選択肢を与えることができるわ」
「えっ」
『故郷の村に帰る』『見習い錬金術師として仕事を探す』そのニつしかなかった私の目の前に、三つ目の選択肢が?
「アイリス、この工房で一人で実習を続ける気はあって?」
イリーナ先生はニッコリ微笑み、その翡翠の瞳で真っ直ぐ私を見つめる。
「やる気も何も……この子には無理でしょうよ」
ペネロープ先生はそう呟き、はぁ、と呆れの溜息を私に向けてくる。
そんな。「無理」だなんてさすがにムッとしてしまう。実習ならもう三年やっている。できないはずがないのに。
だけど――。
「一人で……ですか?」
今までは指導をしてくれる先生と、同期の女の子二人と一緒だった。工房実習は共同生活でもあるからここでは四人暮らし。
「そう、一人でよ。教師も同期もいません。あなたは来年の承認試験合格を目指し研鑽を積みながら暮らすの。素敵でしょう?」
ニッコリ。
「えっと……」
素敵? ……だろうか? 一人で実習……ひとり暮らし……? えっ、あまり素敵には思えない? 気がするけ……ど?
「ああ、安心して? 都市の側とは言え壁外ですもの、採取場の森と工房の護りは請け負います。他は全部あなた一人でおやりなさい」
あ、それなら暮らすのにはちょっと安心だ。有難い……けど、ちょっと待って?
「あの、イリーナ先生。ペネロープ先生はこの工房は閉鎖するとおっしゃいました。それなのに何故イリーナ先生は、ここでの実習を続け来年の試験を受けるチャンスを私にくださるのですか?」
イリーナ先生は好きだし尊敬している。出来の良くない生徒であった私にも平等に教えてくれたし、どうしてか目をかけてくれていたと思う。
でもどうして、王都から離れたヴェネトスにまで来てこんな提案をしてくれるだろう?
先生に何か得が? そもそもだ。閉鎖予定の工房を存続させ実習の許可を出す権限が何故イリーナ先生に?
「……アイリス、さっき言ったでしょう」
ペネロープ先生が、微笑みを絶やさないイリーナ先生の隣で嫌そうに口を開いた。
「今年の試験監督官は厳しい人だと」
「――もしかして、イリーナ先生が……?」
イリーナ先生は微笑を湛えたまま。ペネロープ先生は溜息まじりに言葉を続ける。
「国の方針を誘導したのは王立錬金術研究院。そうよね? イリーナ試験監督官殿?」
「ええ。私は再来年までの承認試験の責任者です。それに方針転換に際して、王から有望な者は掬い上げるようにと言われているの」
だからね、今こっそり各地を回っているの。と、イリーナ先生は「秘密よ?」と言い唇に人差し指をかざす。
「あなたは教科書通り、教えられた通りにやるのは上手よ。だけど、それだけで望む成長は出来るのかしら? ――アイリス。自分で考え、やりたい事をやりたいように、この工房でして見せなさいな」
来年を楽しみにしていてよ? と付け足したイリーナ先生は、花がほころぶような微笑みを見せた。
「……はい! 私やります! イリーナ先生、私に一人での工房実習やらせてください!」
せっかく貰った選択肢だ。こんなチャンスを掴まない理由がない。
私は苦い顔のペネロープ先生と笑顔のイリーナ先生に頭を下げる。
「それではアイリス、実習開始は皆が王都へ発つ日からです。基本的にこれまでの生活の延長ですが……何か準備が必要ならペネロープ先生にご相談なさい」
「はい!」
「……ハァ」
ペネロープ先生は今日、何度目かの溜息を吐いた。
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