第189話あなたと結婚は出来ません

「ん? どうかした、ティナ。デザートが気に入らなかった? 別のも頼もうか」


「ちが……っ、本当、どれもこれも美味しいです! ただその……服も歌劇も食事も、こんなに素敵なモノを貰ってばかりで、私からオーリーに何を返せるかなって……」


「……それじゃあさ、ひとつ、お願いを聞いてくれない?」


「お願い……?」


 オリバーは「そ」とにこりと笑み、


「一緒に船に乗ってほしいんだよね。……俺の船にさ」



***



「わー! 風が気持ちいい……!」


 塩の香りが混じる風に、清々しい程に続く水平線。

 波の動きに合わせてキラキラと輝く水面はクリスタルが踊っているようで、つい目が離せなくなる。


「気を付けてよ、ティナ。いくら揺れが少ないとはいえ、あまり覗き込んでると"海の乙女"に見つかっちゃうよ」


「オリバー」


 ちょっと船員と話してくるね、と船室に消えたオリバーが、甲板に出て来る。


「はい、これ着ておきなよ。ちょっと肌寒いでしょ」


 差し出されたのはオリバーのジャケット。

 確かにちょっと冷やりとしているけれど、これではオリバーこそ寒いのでは。

 そんな私の心内を読んだようにして、オリバーは「俺は慣れてるから。ティナが体調崩すほうが心配」と笑う。


「それじゃあ」とありがたく袖を通させてもらい、「ところで、"海の乙女"って?」と隣に並んだオリバーを見上げる。


「この国の船乗りたちには、有名な話だよ。"海の乙女"に見つかった者は、たちまち魅了されて自ら海に飛び込んでしまう。彼女に会う為にってね。だから水面を見つめ続けてはならないって、最初に教えられるんだ」


「そんな話が……」


「まあ、実際の所、疲弊した船員が誤って転落するのを防ぐための"言い伝え"だとは思うよ。けれどこの国は、"精霊"がいるじゃん? だから余計に真実味を帯びているっていうか、"海の乙女"はさぞ美しいんだろうって憧れを抱く男も多いおかげで、この仕事についたばかりの下働きにも丁度いい"注意喚起"になるんだよね」


「へえ……"海の乙女"によって守られている人もいるってことなんですね」


「……そうなるね」


 オリバーは微妙な間をおいてから、


「俺にとって、ティナはまさに"海の乙女"なんだよね」


「……え?」


「見つめるほどに溺れていって、救いを与えているのに、怖い存在」


 ねえ、ティナ。

 オリバーが私の手をそっと救い上げる。


「俺と、結婚して? 気に入らないところがあれば直すし、ティナのためならなんだってあげる。事業がしたいのなら、キャロル商会の名を使って新しい店を構えることだって出来るし、うちの直営で気に入った店があったら、そこをあげてもいいし」


「あげるって、そんな……!」


「でもあの"mauve rose"だって、王子サマに貰ったものでしょ?」


「それは……」


「ね? だからいいじゃん。俺と結婚すれば、ドレスも、一等席も、美味しい料理だってティナの思うままだよ。もちろん、ティナが望むなら学園は卒業するまで通ってくれていいし。ただ、先に婚姻だけは結ばせて。ティナは俺のだって、安心したいから」


「…………」


(オリバーのこと、嫌いじゃないのにな)


 むしろ、いい人だなって。カッコいいなって思う。

 けれど、この気持ちは情熱的なそれじゃない。

 彼の与えてくれる"キャロル夫人"としての座は、私にとって、求めている未来じゃない。


「……私にこんなに良くしてくれて、本当に感謝しています」


 あの夜、"パジャマパーティー"と称して集まってくれた皆の姿が思い浮かぶ。

 私にたくさんの未来を教えてくれたと同時に、勇気を与えてくれた、大切な人達。


「ごめんなさい、オーリー。結婚は出来ません」


「……どうして? あ、わかった。いきなり"結婚"が嫌なんでしょ。大丈夫、ちゃんと交際期間はもうけるつもりで――」


「ごめんなさい!」


 オリバーから一歩を引いて、深く頭を下げる。


「オーリーの気持ち、受け取れません……っ! オーリーのこと、やっぱり"いい友人"以上には考えられなくて……本当に、ごめんなさい」


 沈黙が重い。けれど、私が顔をあげるわけにはいかない。

 オリバーの提示してくれた未来を、一緒に叶えることは出来ないのだと。

 彼に、きちんと理解してもらわないといけないから。


(まさか、"モブ令嬢"の私が攻略対象キャラを振ることになるなんて)


 それでもこの世界が、いまこの一瞬一瞬が私の"現実"なのだから、真摯に向き合うしかない。

 耐えず届く波の音に、オリバーの声が重なる。


「……ティナの気持ち、よーくわかった。悲しいけれど、仕方ないよね」


「っ、本当に、ごめんなさ――」


「けど」


 オリバーが私に詰め寄り、顎先を持ってぐいと上を向かせる。


「ティナには俺と結婚してもらうよ」


「……へ?」


 がばりと抱きかかえられたのは、一瞬の出来事。


「なに……っ、おろしてください、オーリー!」


「だーめ。怯えなくても、怖いことはしないよ。だってティナは、俺の大事な未来の奥さんだし」


「――っ!」


(オリバー、どうしちゃったの!?)

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【コミカライズ連載中】当て馬王子の侍女に転生!?よし、ヒロインと婚約破棄なんてさせません!~モブ令嬢のはずなのに、なんだか周囲が派手なんですが?~ 千早 朔 @saku_chihaya

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