第185話踏み込んではいけない思惑

(いやいやいや、雰囲気で流されちゃ駄目だって……!)


 深呼吸をすーはーすーはー。うん、冷静になってきた。

 確かにレイナスのことは人として好きだし、こうも熱烈な好意を抱いてくれるのも、ありがたいなって思うけれど。


 たとえば今すぐにレイナスの気持ちを受け入れたとして、その熱量に見合った行動……たとえばキ、キスとかを許容できるかといわれると、ちょっと難しい気がする。


「……私、自分がこんなに贅沢だったなんて、知りませんでした。レイナス様もオリバー様も、とても私が選べるようなお相手ではありませんのに、お二人の優しさに甘えてしまって」


「それこそティナ嬢が簡単になびいてくれるような女性でしたら、こうも夢中になっていなかったはずです。……贅沢などではありませんよ。どんな相手にも真摯に向き合ってくれる、誠実さを持ち合わせているというだけです」


「レイナス様……」


 身勝手だとは思うけれど、レイナスの言葉が嬉しくて「ありがとうございます」と笑む。

 一瞬静止したレイナスが、「ティナ嬢……」と指先を伸ばしてきた、その時だった。


「――レイナス、約束を忘れたとは言わせねえぞ」


「! ヴィセルフ様!」


 階段の上で腕を組んだヴィセルフが、ジロリとレイナスを見下ろす。

 その迫力におもわずたじろいでしまったけれど、ため息交じりなレイナスの「もちろんですよ、ヴィセルフ」の声に振り返ると、


「待たせすぎてしまったようですね。ティナ嬢も、昼食の途中だというのにすみませんでした」


「いえ! 私もレイナス様とお話できて良かったです!」


「ティナ」


 いつの間に階段を降りてきたのか、ヴィセルフがぐいと私の手をとり視線を合わせる。


「……行くぞ」


「え、あ、はいっ」


(なんだろ、今のヴィセルフの表情……)


 てっきり怒っているのだと思ったのに、なんか、どちらかというともどかしそうな……。


「――オリバーのヤツは」


「へ?」


「来たのか、食堂」


 階段を上がりつつ尋ねられ、私は「は、はい」と首肯する。


「先ほどまで一緒に食事をとっていました」


「アイツ、やっぱり……! 妙なことはされてねえか?」


「妙なこと」


 つい、歩を止めてしまった私に、ヴィセルフはさっと顔色を変え、


「その反応、何かされたのか!? あのヤロ……!」


「いえ、誤解です! 本当に一緒にご飯を食べてただけですから!」


 ただ、と。

 私は改めて口にする恥ずかしさに、視線を逸らして頬をかきながら、


「今度、オリバー様と一緒にお出かけをする約束をしまして……。後でお時間をいただけますか? "mauve rose"の予定など、日程のご相談をしたくて――」


「脅されたのか」


「え?」


「それとも、いいように言い包められたのか。ティナが気乗りしねえんなら、俺が話をつけてやるから、ヤツと出かける必要なんか――」


「大丈夫ですよ、ヴィセルフ様。オリバー様は、私を脅したりなんてしませんから」


「……なんだと?」


「オリバー様は確かにちょっと強引な所はありますし、口も上手い人ですけれど、昔から一度も脅されれたり、怖いことをされたことはありません。その点については、ご安心くださって大丈夫です」


 驚いたように瞠目したヴィセルフが、なぜか苦々し気にぐっと唇を引き結ぶ。


「ティナ、お前……。っ、ティナが、アイツと出かけたいって思ったのか」


「はい。オリバー様とのこれからを、ちゃんと考えようと思います」


「――っ!」


 パッと顔を伏せたヴィセルフが、私の手を引く掌にぎゅっと力を込める。

 不可解な反応に、「ヴィセルフ様?」と心配の声をかけると、


「ティナ、いく――」


「ヴィセルフ」


 鋭く咎めるような強い口調は、レイナスのもの。

 はっと振り返ると、レイナスは厳しい表情でヴィセルフを見据えながら歩を進めてきて、


「いけませんよ。……ティナ嬢のためにならないことは、あなたも分かっているでしょう?」


 私を掴むヴィセルフの腕を、レイナスがぐっとその手で押す。

 ヴィセルフは「……くそっ」と小さく呟くと、私の手からその手を退いた。


「すみません、ティナ嬢。ヴィセルフのことは気にせず、話を進めてください。……ヴィセルフのことは、僕が引き受けます」


 さ、行きましょう。そう微笑むレイナスの表情は、いつも通りで。

 それがなんだか、この話題はこれ以上踏み込んではいけないと制されたような。


「エラ嬢とクラウディア嬢もお待ちですよ。もう、すぐそこの部屋です」


「あ……はい」


 ちらりと見遣ったヴィセルフは、耐えるようにして両手を強く握りしめていて。

 その、合わなくなってしまった赤い瞳と、離れてしまった掌の熱が寂しく感じたけれど、思考を振り切ってレイナスの背を追いかけた。

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