第176話船長室での密談

「いやあー、"紫の乙女"があんなにも可愛らしい方だったとは。ヴィセルフ様が隠したがるのも納得っすね」


 ティナを見送った後、俺とジークは再び船に戻った。

 船長室の扉を閉めるなり、ニヤニヤといけ好かない笑みを浮かべたジークは、椅子に腰を落とした俺にやれやれと首を振る。


「だからこそ、事態はひっじょーに深刻ですよ。せめてヴィセルフ様がしっかりティナ様の心を掴んでいれば、まだいくつか選択肢もあったでしょうに」


「うるせぇ、俺には俺のやり方があんだ」


「呑気なことを言っていると、ある日突然かっさらわれますよ。長いこと"お宝"を狙い続けた俺の勘がうるさいですもん。ティナ様はどうにも人を惹きつける雰囲気をお持ちだ。それに――よりにもよって、キャロル商会のぼっちゃんと幼馴染とは」


 今回、ティナを同席させなかった"理由"に、肩が揺れる。

 俺は深い息を吐きだしながら、


「そっちの首尾はどうだ」


「今週だけでも十名っすね。キャロルの商船からの志願者は。良さそうな二名を引き抜きましたけど、残りは帰しました。けど、最近の動向を見るに、しばらくしたらまた来るんじゃないですかね。おそらくは、もっと増えてくるはずっすよ。海の男は流れに敏感ですから」


(そんなつもりじゃなかった、なんて、言い訳にしかならねえだろうな)


 この"クリスティーナ"を用意し必要な材料を運ばせるようにしたのは、ティナが思うままに菓子作りが出来るよう、基盤を作ってやれたらと思ったからだ。


 貴重な積み荷の多いこの船を任せるならば、海の上で有事に強い船長が必要だ。

 だから当時海賊として名を馳せていた、ジークを選んだ。

 何度も探し、力を誇示し、慣れない対話と高額な報酬で部下の座に据え置いた。


 ジークが話の出来る男で、略奪や破壊衝動を快楽とするが故の"海賊"ではなかったことが幸いだった。

 おかげで"クリスティーナ"は、今や国外からも一目置かれるラッセルフォード王国一の商船となった。


 いくら首輪付きになったとはいえ、"鷹の羽"とその一派の乗る船など。

 そう忌避していた他国も貿易に応じるようになったのは、初期から交易を行っていたレイナスが国王である兄に手紙を送り、それとなく今の"鷹の羽"がいかに従順で優秀な船長となったかを他国に流布してくれたからだ。


 すべてはティナのため。

 それがまさか、こんな事態を招くとは。


(オリバーのヤツが何も言って来ねえのが、よけいに不気味だな)


 待遇の良さと"王家お抱え"の名誉。加えて"ラッセルフォード一番の商船"の肩書。

 キャロルの商船の乗組員が「自分も雇ってほしい」とジークの元を訪ねて来るようになってから、暫くが経つ。


 これまで引き抜いたのは数名。どれも優秀な者ばかりだ。

 帰したとはいえ志願者が増えている現状も、キャロル商会にとっては深刻な事態だろう。


「……絶対に、ティナには知られないようにしておけよ」


 ティナは確実に、心を痛めるはずだ。

 商船を出そうと決め、雇い入れた者への待遇を決めているのは俺だというのに。

 自分が"きっかけ"を作ってしまったと、己を責めるだろう。


(その時、オリバーに付け込まれたら……)


「承知しました。つっても、キャロルのぼっちゃんに喋られたらどうにもならないっすけどね。ティナ様の反応を見るに、あちらは随分とご執心なようじゃないですか。おまけに幼馴染。俺ならこんな好条件、利用しない手はないですけどね」


「わかってる。……チッ、逃げられたくねえなら待遇を上げるなり、策をとれってんだ」


「ヴィセルフ様が寛大すぎるんすよ。他の船の連中と話すこともありますが、"船乗り"にここまで世話を焼く主なんていませんからね。ま、全てはティナ様のためなのでしょうけれど。ここまでして振られたら、大笑いモノっすね!」


 あっはっはと心底楽し気に声を上げるジークを「うるせえ」と睨みつける。

「おー、怖い怖い」なんて言ってみせるが、形だけだ。

 この不遜な男が心底恐れ、敬意をはらうのは、誰の手中にも収まらない広大なる海だけなのだから。


「ああ、それともう一つ、気になることが」


「なんだ?」


「ウチの動きを調べたトコがあったのか、他国で"ラッセルフォードには美味な菓子がある"という噂が囁かれているそうです。ウチの乗組員も、店の名を聞かれたヤツがいましてね。ご指示通り、店の名は知らないと返したそうですが、おそらくこっちの動きも顕著になってくるのではないかと」


(……レイナスの言っていた通りになったな)


 貿易は国の交流だ。

 "クリスティーナ"が名を馳せ、上手くいけば上手くいくほど、他国からの興味と注目を浴びるだろうと。


(これを機に料理人を派遣させて、外貨を得るのもいいが……。そうなると、レシピの出所を探られる可能性も高い)


 つまりはティナの存在に辿りつきやすくなる。

 そうなった時にティナの身を守るためにも、俺の庇護下――できることなら、"婚約者"という唯一無二の肩書があれば、牽制にもなるのだが。


(だからといって、ティナの気持ちを無視して騙すような真似はしたくねえ)


 真っ当な方法でティナの心を掴む。ティナ自身に俺の隣を選ばせなければ、意味がない。

 そのためにも、今はまだ。


「ま、ご指示があればなんなりと。キャロルの動向は、俺達も注視しておきます」


「ああ、任せた。俺が指示するまではこれまで通り、ティナと"mauve rose"のことは隠しておいてくれ」


「承知いたしました」


 話は済んだと立ち上がる。と、


「お気をつけくださいよ、ヴィセルフ様」


 薄暗い部屋の主はわざとらしく胸元に手を添え、慇懃に礼をしてみせる。


「海に魅せられた男ってのは、船から離れられないもんですからね。それこそまるで、恋をしているかのように」

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