第173話船乗りたちの忠義
「こちらへどうぞ、姫君。きったねえ椅子ですがこの船では一番のモノですので、ご容赦ください」
「ですから、私は姫ではなくってですね」
「俺達にとっては姫君であり、女神であり、大切な乙女でもあるんスよ」
海を背に置かれた椅子は、背と座面が布地で古さはあれど立派な造りをしている。
とはいえ置かれているのは一つ。どう考えても、座るべきは私じゃない。
「ヴィセルフ様。こちらの椅子はヴィセルフ様が――」
「ティナのために用意された椅子だって言ってたろーが」
ヴィセルフのエスコートで、椅子の前に立つ。
と、船の下にいた船員たちも続々と乗り込んで来たのが見えた。
甲板があっという間に埋まる。
「あの、これは一体……」
「麗しき"紫の乙女"、ティナ様」
ジークの声がしたかと思うと、彼はさっと片膝を床につき、頭を下げた。
右手は胸へ。忠誠を誓うポーズだ。
へ? と瞬いている間に、甲板に集まる他の船員たちもが同じようにして頭を垂れる。
「な……っ」
「元は止まり木のない荒くれ者。海の藻屑となる日を待つばかりの俺達に、信念を与えてくださったのはあなた様です。こうしてご挨拶が叶いました幸運に感謝を申し上げると共に、偽りなき忠誠を誓いましょう。あなた様は我らの羅針盤。どうか、この船に乗る我々は賊などではなくあなた様の忠僕なのだと、許しを与えてはくださいませんか」
「許し……?」
刹那、隣に立つヴィセルフがそっと耳元に顔を寄せ、
「アイツ等を雇用しているのは俺だが、忠誠を誓っているのはティナだ。ここでティナがアイツ等に"許す"と言えば、アイツ等はティナに認められた乗組員になる。信義の対象になるってことだ。煩わしけりゃ、雇用主である俺に忠誠を尽くすよう言ってやればいい」
「…………」
私の忠僕に。
そう願ってしまうほど、彼らにとってはこの船が、今の生活が大切なのだとよく分かる。
(この人達がスパイスや食材を運んでくれているから、私は食べたいお菓子を作ったり、"mauve rose"で販売出来たりしているんだよね)
船に乗るのも命がけだろうに。
献身に尽くし続けてもまだ、"元海賊"の経歴が彼らに侮蔑の嘲笑を許してしまうのだろうか。
そしてそれを、"私"が止められるのだろうか。
(それなら、私は)
「……わかりました。皆さんがそう望んでくださっているのでしたら、私が皆さんをこの船の乗組員として承認します」
「! 本当で――」
「ですが、条件があります」
ぴっとその場に緊張が走ったのを感じる。
私は自身の緊張を解すようにして、すう、と息を吸って、
「私が承認するのは"忠僕"ではなく、大切な仕事仲間の一員としてです。ですので決して、積み荷を優先して皆さんが傷つくような選択はしないでください。何よりも、皆さんの安全を一番に。よろしいですか、ヴィセルフ様」
「……積み荷がダメになったらどうする」
「その時は、その損害額を私からもお支払いします。"mauve rose"の売り上げで補えるように、より一層の努力も」
「……ティナらしい決定だな」
ヴィセルフの口角がニヤリと上がる。
彼は「聞いたか!」と視線を船員たちへと投げ、
「以後、お前たちの行動はティナの責任に直結する。そのことをよく肝に銘じて勤めを果たせ。ティナを裏切るような真似をしやがったら、その時は……容赦しねえからな」
「了解です! ボス!!」
船員たちの咆哮に、足下の床がびりびりと揺れる。
その勢いに気圧されていると、ジークが「気を引き締めろ! おまえら!」と両手を広げ立ち上がった。
「我らが偉大なる王子と紫の乙女に忠義を尽くせ! 行動をもって証明しろ! 俺たちは、崇高なる船の一員だ!」
「うおおおおおおお!!!!!!」
(こ、ここって乙女ゲームの世界だよね!?)
***
「すいやせん。ご令嬢相手だってのに、荒々しすぎましたね」
お仕事の邪魔になっても申し訳ないからと船を降りると、先導してくれていたジークが申し訳なさそうに頭を掻いた。
私は「いえ」と首を振り、
「勢いにびっくりはしましたけど、皆さんがそれだけこのお仕事に誇りを持ってくださっているのがわかって、嬉しかったです」
「はあー、ほんっとうに俺達は良い乙女に恵まれて……。それで、お二人はいつご結婚されるんです? 学園を卒業されたらですかね?」
(結婚?)
あ、もしかして、結婚することでお仕事に影響が出ることを心配しているのかな?
ヴィセルフはともかく、私みたいな貴族女性は結婚をきっかけに生活ががらりと変わるのが、普通だし。
「ええと、私はまだ予定がないんです。ヴィセルフ様は……卒業後に、ですか?」
と、ジークがおやという顔をした。
「ヴィセルフ様とティナ様は、ご結婚されるんじゃないんですか?」
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