第169話クラウディアとクレア

「まったく、アナタにはつくづく貴族の常識が通じませんのね。クラウディア・ティレット嬢にはお気をつけなさいと忠告したわたくしが浅慮でしたわ」


 人のまばらな放課後の学園。

 温室のひと席で、扇子を広げぷりぷりと怒りを露わにしているのは、ご存じいかにもな縦ロールのミリー。

 そんなこと、と言いかけた私を遮るようにして、彼女の両隣に座るローザとマリアンが次々と発する。


「そんなことありませんわ、ミリー様! ミリー様が注意するようにと伝えられたからこそ、ティナ嬢はあの方と親睦を図るに至ったのですもの」


「ローザ様のおっしゃる通りですわ。生徒会入りされたことで、エラ様のお立場が少々心配ではありますが……それこそミリー様のおかげで、生徒会内ではティナ嬢が目を配ってくださいますもの。ねえ、ティナ嬢?」


「はい! ローザ様とマリアン様のおっしゃる通りです!」


 学園内は小さな社交界。

 ヴィセルフの思惑通り、クレアの生徒会入りは瞬く間に生徒達の話題を独占し。

 その中でも今一番にホットな話題が、ヴィセルフを巡るエラとクレアの攻防になっている。


 おかげで古い卒業生の誰かが"悪戯に"残していった遮断魔法に遭遇し、体調を崩したことになっている私とクレアについては大した話題とならないままで。


(うーん、計画通りとはいえやっぱりエラには申し訳ないよなあ……)


 クレアのお父様に勘づかれたら困るからと、"クラウディア嬢はヴィセルフ様を慕っている"という設定は継続するように言われている。

 だからこそ、こうしてエラとヴィセルフの仲を危惧する三人にも、いくら同士とはいえ軽々しく"誤解です"とは言えないわけで。


「エラ様とクラウディア様も、生徒会で仲を深めつつあるんです。その過程でクラウディア様のお考えが変わる可能性だってありますし、なんといっても生徒会は魅力的な男性が多いですから!」


 今言える精一杯の"心配ないです!"に、ミリーは「……まあ」と扇子をパチンと閉じて、


「クラウディア嬢もわたくし達と同じ貴族の子女。わざわざ火種となるような"心"よりも、賢い選択を優先されると期待していますわ」


(本当はクレアの"恋心"も命令されてるものだなんて、夢にも思わないのが普通だよね……)


 ゲームをプレイしていた時は私もミリー達と同じく、"クラウディア"は自分の意志で心底ヴィセルフを慕い、婚姻を望んでいるのだと思っていた。

 その姿が誰かに、ましてや父親に強要されていたものだなんて微塵も考えなかったのは、彼女がゲームにおける"悪役令嬢"だったから。


(このままヴィセルフとエラが結ばれる未来になったとしたら、クレアはいったい、どうなっちゃうんだろ)


 ゲームのような嫌がらせはしていないから、ヴィセルフからお咎めを受けることはないはず。

 けれど彼女の父親は、間違いなくクレアを糾弾するだろうし……。


「ティナ、こちらにいたのですね。探しましたわ」


 カツリと靴底を鳴らして、クレアが温室に現れる。

 学園内では"クラウディア"。私が「クラウディア様!」と名を呼ぶと、ミリー達の空気がさっと警戒を含むものに変わったのがわかった。

 クレアも気づいているだろうに気にした風もなく、背を伸ばしたまま私に近寄ると、


「エラ様とダン様が、急ぎのお話があると探しておられましたわ。至急、生徒会室へ」


「ありがとうございます! すみません、ミリー様、ローザ様、マリアン様。お茶会の最中でしたのに……」


「仕方ありませんわ。それがアナタの役割であり仕事なのですもの」


「早く行ってさしあげないと!」


「またゆっくりとお話しましょう。お茶会の機会はまたいつでもありますわ」


 快く送り出してくれた三人に礼を告げ、クレアと共に温室を出て生徒会室へ向かう。

 隣を歩く"クラウディア"は、これまでと変わらない姿。

 だけれど今の私は、その優しく忍耐強い心中を知っている。


(あの三人、クレアと目も合わせてくれなかったな……)


 少しずつでいいから、クラウディアに対する印象も変えていけたらいいんだけれど。



***



「まだ消灯時間まで、ギリギリ時間あるよね」


 寮の自室をそっと抜け出し、学園の庭園を散策する。

 王城ほどではないとはいえ、十二分に立派な庭園は生徒達に人気の場だけど、夜ともなれば人の気配もない。

 少しずつ秋の気配が顔を出し始めた夜風が心地よくて、見上げた星の美しさに目を細める。と、


「前を向いて歩かないと、危ないよ。ティナ」


「! クレア……っ!」


 噴水の縁に腰かけるクレアは、髪を下し簡素なワンピースに、ショールを羽織っている。

 はっと気がついた私が慌てて「あ、クラウディア様!」と言い直すと、クレアはちょっと噴き出すようにして笑って、


「アタシしかいないから、大丈夫。……ひとりで夜の庭園を散歩する癖は相変わらずだね」


「あはは……なんか落ち着くんだよね。それに」


 私はクレアの隣に腰かけて、


「こんな素敵な庭園と夜空を一人占めって、すっごい贅沢だし! 堪能できるうちに堪能しとかなきゃ!」


「……やっぱり、ティナはティナだね」


「へ?」


「あれだけヴィセルフ様に気に入られているんだからさ、普通のご令嬢ならもっと欲を出すものだよ。上手いことおねだりすれば、庭園付きの邸宅だって貰えるんじゃない?」


「え!? いやいやいやそんな、貰う理由もないし、貰ったところで身に余るっていうか」


「その考え方がティナらしいよね。変わってなくて、安心した」


 クレアはくっくと喉を鳴らして、


「どうしてそうもティナは無欲なんだろうね。ヴィセルフ様だけじゃないじゃん? エラ様やダン様、レイナス様っていう名だたる面々に囲まれててさ。もっといい暮らしをしたいとか、もっとドレスや宝飾品が欲しいとか、今よりも上を望むのが自然だと思うんだけれど」

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