第163話彼女たちの残した記憶
『――ここがいいわね』
知らない女性の声に、一斉に洞窟の入り口を見遣る。
息を切らしながら立っていたのは、桜色の髪を持つ女の子。
――あの、氷の中で眠る彼女だ。
けれどその姿は淡く透けていて、きょろきょろと辺りを見渡すその目は私達に気づいていないよう。
「これは……っ」
レイナスの零した驚愕に、ニークルが答える。
「この場に息づく者たちの記憶だ。先ほどのアレと違い、魂の欠片すらない」
「記憶……」
彼女はそろりと洞窟内へ歩を進めると、実体から少しずれた隣へ腰を落とした。
『静かでいいところ。ここなら……簡単には、見つからないはずよね』
少女がポケットから、ハンカチを取り出した。
慎重な手つきで開くと、包まれていたのは一枚の虫の羽。
見たことのある、光源を反射して七色に変色するそれは――。
「まさか、
「……みてえだな」
呻くヴィセルフの声が重々しい。
それもそのはず。なぜなら目の前の彼女の"記憶"は、ハンカチを握りしめその羽を粉々にしているから。
――乾燥させた雪食虫の羽を砕いて飲んだなら、たちまち身体は氷のように凍てつき死に至る。
ダンやエラ、レイナスも知っているからこそ、これから起こるだろう事態に息をのみ、言葉を失っているのだろう。
桜髪の彼女は、砕いた羽の包まれたハンカチを大切そうに見つめる。
『ごめんね、コレット。あなたと一緒に見つけた"お守り"を勝手に使ってしまって……。でも、やっぱり私には、耐えられないわ。どうか、許して』
伏せた瞼から、雫が一粒零れ落ちた。
静かに開かれた瞳には、強い覚悟の色。
彼女は薄く微笑み、
『コレット、あなたは私にとって、夏に咲くスノードロップのようだったわ。けして手に入らない、美しい奇跡。私なんかが摘み取っていい存在ではないのに、焦がれ続けてしまう人。……眩いほどの幸せを、願っているわ』
少女がハンカチを煽り、喉が数度上下した。
彼女は程なくしてゆっくりと自身の指先を持ちあげ、寒いわね、と小さく呟き、その手を胸に引き寄せた。
『――大好きだったわ、コレット。許されるのなら……次は……私が、隣に』
はたりと手が地に落ち、崩れるようにして彼女が横たわる。
弛緩した指先から、ハンカチが転げた。
見事な桜の刺繍。知らずと滲んだ視界で、妙に鮮やかな。
衝撃的な光景に口元を覆い、必死に嗚咽をおさえていたその時。
『――リア……! ここに、いるの!?』
「!?」
覚えのある切迫した声が轟き、入り口に別の少女が一人。
あの子だ。イベントの――花を探していた、コレットという少女。
彼女で間違いないと直感しているのに、戸惑ってしまったのは髪の色が異なっていたから。
現れた半透明の彼女は、眩い金の髪ではなく、銀から淡い水色に変化していく美しい髪をしている。
「だから言ったろう」
ニークルは淡々とした瞳で私を見遣り、
「アレはもう、ヒトでも精霊でもないと」
『リア……っ!』
絞り出すようにして叫んだコレットは横たえるリアに駆け寄り、ハンカチを視界に入れ両手で口元を覆った。
急ぎ地に伏した両肩を抱き上げた刹那、その顔を絶望が覆う。
『リア、リア……っ! 駄目、おいて、いかないで』
震える掌が、確かめるようにしてリアの頬に触れた。
途端、驚いたようにして僅かに離れ、コレットが「いや……」とその目から涙を落とす。
『……ずっと、一緒だって。私が、大好きだって』
薄いガラスに触れるような手つきで、コレットが再びリアの頬に触れる。
次から次へと涙を零しながら、コレットは『"お守り"を使う時は、一緒にって言ったのに』と掠れた声で呟き、
『リア。あなたが考えるほど、私は、強くないの。あなただけが、凍てつく私の冬を溶かす春だった。あなたがいないのなら、私は……っ』
――夏に咲く、スノードロップ。
コレットはやけにはっきりとした声で告げると、リアの身体を壁にもたれさせた。
ちょうど"今"のリアと重なる体制。
自身のハンカチを取り出し、髪や肌、服にとリアについた土汚れを丁寧に拭っていく。
『"夏に咲くスノードロップ"が見つかったなら、一緒に逃げてもいいって。"お守り"の約束は破ったのだから、こっちの約束は、守って』
コレットはリアの掌を恭しく持ちあげると、額に寄せ、静かに瞼を閉じた。
途端、その手が光を帯び、リアの身体もまた光に包まれる。
――青の魔力。
そう脳裏に過った刹那、リアの身体が薄い氷で包まれた。
コレットが目を開く。寂し気な表情で氷に眠るリアを見つめると、
『必ず、見つけてくるから。今度は……待っていて』
そう囁いて、コレットはリアの落としたハンカチを拾い上げた。
胸に抱きしめ、もう一度リアを見つめてから、意を決したようにしてその場から踏み出す。
そうしてコレットの"記憶"は、彼女が洞窟から踏み出した所で消えた。
ほぼ同じくして、リアの身体と重なっていた"記憶"の彼女も消える。
「これで終いのようだ」
ニークルの声に、ヴィセルフは眉根を寄せ、
「終いって……あの女はそれから一度もここには戻ってきてねえってことか?」
「そうなる。おそらくは、花が見つかるまで戻るつもりがなかったのだろう。探し続け、森を彷徨っているうちに、肉体の限界を迎えた。だが花への深い妄執が、魂として肉体から離れたのだろう。いつしか"ヒト"であることも忘れ、ただ花を求めるだけの存在となり果てた」
「……不可解な点があります」
レイナスの声に視線を遣ると、彼は顎先に手を添え思案するようにして、
「あのご令嬢が既に命を落としていたのなら、遮断魔法やこの氷化の魔法は解除されるはずでは? なぜ今もなお、維持されたままなのです?」
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