第139話反対票を投じる条件

「これは……」


 初めての風味に、思わずもう一口を口内へ。

 と、今度はやや強い塩味を感じた。はっとした顔をしてしまったのだろう。

 すかさず彼女が、「それは、桜の塩漬けになります」と告げる。


「軸から摘んだ桜を、塩と酢、またはレモン汁と一緒に容器に入れ、重石をして数日置いておきます。それから水分を拭きとり、陰干しで乾燥させ、再び塩と共に瓶詰したら完成です。使う時は水に付けてしばらく塩抜きをしてから、今回のようにケーキ類の飾りとしてアクセントにしてもいいですし、クッキーなどに混ぜても美味しいかと」


「……桜に、こんな使い方が」


 呆然と呟いた僕の隣から、「ねーねー、ティナ」と顔を出してきたのはオリバー。


「俺にもちょうだい?」


「はい! もちろんです」


 それを合図のようにして、周囲の生徒たちが「私も!」「俺にもひとつ」と次々に声を上げる。

 珍しく給仕をしている料理人たちの顔には、隠しようのない歓喜。

 その姿を嬉し気に見ている彼女に、僕は予感を確信に変えながら、尋ねる。


「この、"桜のロールケーキ"を考案したのは……」


「私です。総料理長に協力していただいて、今日の為にこっそり開発していたんです。途中から他の料理人さんたちも手伝ってくれるようになって、当初の想定よりもはるかに豪華で美味しく仕上がりました」


 にこりと微笑んだ彼女は、今度はどこかすまなそうな表情をして、


「実をいいますと、今朝の総料理長との打ち合わせは、このロールケーキをお出しするタイミングの最終調整をしていまして……。会長に話を聞かれていないか、ひやひやしました。あ、でもでも、不正ではないですよね?」


「……そうだね。新しい菓子を提供しただけで、生徒からの票を買っているわけではないからね」


(これを、本当に彼女が考えたというのか……?)


 眼前で「よかったあ」と息をつく彼女はこちらの気が抜けてしまうほど平凡で、正直その姿からはこのような複雑で繊細な菓子を編み出したようには思えない。


「……今日の投票、絶対に勝てると言っていたのは、この菓子を用意していたからかい」


 見ればすっかり生徒の多くがロールケーキを手にしていて、その表情から、感動や興奮が伝わってくる。


(確かに今なら、このロールケーキの考案者だというだけでも、賛成に多くの票が集まりそうだね)


 今、この鼓動を早めているのは、彼女が勝ってしまうかもしれないという焦燥だろうか。

 それとも、彼女の仕掛けてきた"策"が、僕の想定を上回ってきたからだろうか。

 僕を見つめた彼女が、「それもありますが……」と発した、刹那。


「テオドール」


「! ヴィセルフ様」


 会話を遮るようにして現れたヴィセルフ様が、彼女の肩を引いてその身を僕から数歩遠ざける。と、


「投票に、条件を追加したい」


「条件、ですか?」


「ティナの生徒会入りに反対票を投じた者は、今後一切、ティナの考案したモノを使用しないとする誓約書に署名させたい。ティナに生徒会入りするだけの能力はないとしておきながら、その恩恵だけは受けるだなんて小賢しい真似を許すわけにはいかねえからな」


(……この学園の生徒は"貴族"だからね)


「構いません。ただし、彼女が王城で考案したとされているモノについては、対象外としてください。あくまで彼女が在学中の間に考案したものに限ります。王城で考案した品々については、"本当に彼女が考案したものかどうか"の判別がついていませんから」


 ヴィセルフ様は「まだ疑ってんのか」と呆れたように頭を掻いてから、


「相変わらず頭がかてえな、お前は。まあ、いい。その条件で呑んでやる」


 に、と満足げに口角を吊り上げ、「ティナ、こっちを手伝え」と彼女を連れ立つヴィセルフ様。

 僕はその背を見送ってから、手中の小皿へと視線を落とす。


(この菓子に、それだけの力があるのだろうか)


 彼女が在学中に考案したモノといったら、この菓子だけだ。

 確かに目新しい菓子ではあるが、今日を過ぎれば食べる機会もないだろう。


 学園は小さな社交界。

 生徒会入りの"特例"を羨み、異を唱える生徒は必ずいる。

 むしろ、彼女の背景を考慮すれば、その方が多いはずだ。


 桜の菓子が口に合わない者もいるだろう。

 そうした反対派から賛同票を得るには、この菓子だけでは弱いと思うが……。


「テオドール……いいえ、テオ」


 耳に馴染んだ涼やかな声に、視線を上げる。


「姉様」


 姉様はふわりと微笑むと、


「ありがとうございます。今回の件で、大勢に"ティナ"という存在を知って頂く機会が得られました。これからティナが得る輝かしい功績は、今後の学園生活において、様々な悪意からその身を守る強靭な盾となり得るはずです」


「……姉様がそうまでして彼女の勝利を確信しているのは、彼女が姉様の、"大切な人"だからですか」


「それも、ありますが」


 ふふ、とどこか恥ずかしそうな笑みを浮かべ、姉様は僕と同じ色の瞳で彼女の姿を追う。

 その瞳に宿るのは、僕には絶対に向かない、優しく深く、淡い熱。

 姉様はその熱をしまい込むようにして瞼を閉じると、再び僕へ幼子をあやすような眼を向けた。


「ティナは、凄い人ですから」

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