第136話姉様の"誰か"になりたかったのに

 歳を重ねるごとに家庭教師の訪問数が増え、教師の数も増え。

 再びブライトン家に呼ばれたのは、十三歳になった時だった。

 正式に、僕の養子縁組が決まったのだった。


 父は「病気をせぬよう、元気でな」と頭を撫で、母は「しっかりお役に立つのよ」と頬にキスをして。

 どこか名残惜しそうに潤んでいた瞳は、偽りではないように思えた。

 共に過ごした日々の中で、少しは"息子"としての情を抱いてくれたのかもしれない。すべて、憶測でしかないが。


 今後私的に会うことも、手紙のやり取りも禁じられた両親には、正式な養子縁組に伴い多額の資金が支払われたと聞いた。

 ほっとした。

 心地よい人達ではなかったけれど、ブライトン家からの支援金を正しく僕に使ってくれてくれた感謝はあったから。


 去っていった両親同様、ブライトンの名を得た僕にも多くのものが与えられた。

 まず、僕の屋敷。

 ヴィセルフ様の正式な婚約者となった彼女と僕に、"万が一"があってはならないからと。

 僕は生家とはまた違った方向にある、首都から少し離れたブライトン家の別邸が与えられた。


 内装は格式を重んじつつも、豪勢な装飾品に彩られ。

 毎日変えてもあり余る上等な服に、新鮮な食材で彩られた美しい食事の数々が振舞われた。


 用意されていた使用人は皆、僕を"ブライトン"として敬い。

 新しく出会った教師は皆、望めば多くを教えてくれる一流の者ばかり。

 そして、なんといっても――。


「エラと申します」


 僕と一つしか変らないはずなのに、佇まいも仕草も見惚れるほどに美しい、義理の姉。

 ずっと支えだった、僕と近しい色の瞳の前に立てたのは、僕の養子縁組が正式に決まった日から三日後のことだった。


「テオドール、とお呼びしてもよろしいでしょうか」


「もちろんです。お嫌でなければ、お気軽に"テオ"とお呼びください」


「ありがとうございます。では、テオと。優しい弟ができて、うれしく思います」


 言葉通り嬉しそうに、そしてどこか恥ずかしそうに微笑む姉様に、心がじんわりと温かくなる。


「……僕も、姉様とお呼びしてもよろしいですか」


「ええ、もちろんです」


 姉様は僕の手をとり、


「至らないことも多いかと思いますが、良き姉になれたらと思います。これから姉弟としてよろしくお願いします、テオ」


 別邸で過ごしていた僕が姉様と会えるのは、月に数度、ブライトン家で食事を共にするときだけだった。

 それでもすぐに、僕は姉様の置かれた環境に気が付いた。


 愛がないわけではないが、家名と伝統を重んじる厳格なブライトン夫妻。

 ヴィセルフ様の婚約者として幼い頃から己を律し続ける、姉様の不遇。


 それでも姉様は、いつだって優しく僕を気遣ってくれた。

 ただ、綺麗に微笑む水色の瞳には、いつも憂いが潜んでいた。


(姉様を少しでも支えられる男になりたい)


 姉様が苦しい時に、頼られる存在になりたい。

 決意した僕は寝る間も惜しんで、多くの知識を吸収した。


 お義父様に呼ばれ、側で仕事を手伝う機会が増え。ブライトン家の跡取りとして、王城にも連れ立ってもらえるようにもなり。

 気づけば時折、国王からの要請により、国軍の軍事会議にも顔を出すようになった。

 それでも。姉様は僕を気遣うばかりで、"助けてほしい"とは言ってくれない。


(まだ、頼るに値する男になれていないんだ)


 お義父様と国王の計らいより、特例として僕の王都クラウン学園への入学が二年早まった。

 姉様はひどく心配してくれていたけれど、僕にとっては願ってもいない好機だった。


(姉様が入学するまでに、僕が姉様にとって最良の環境を整えておかないとね)


 ブライトン家の伝統として、僕と同様に姉様も入寮することは簡単に予測できた。

 公爵夫妻の目のない学園でなら、もっと姉様と話す機会が得られる。


 ここでなら、姉様は僕を頼りやすくなるはずだ。

 生徒会長として学園内での絶対的な権力を持ち、上級生としての経験も持つ、僕になら――。


「テオ、聞いてください。わたくし、大切な人が出来たのです」


 お義父様に呼ばれ、休日を利用してブライトン家の屋敷に戻ったある日。

 せっかくだからと共にティータイムを過ごしていた姉様は、花のように可憐な笑顔でそう告げた。

 思わず紅茶がごくりと喉で鳴る。


「そ……れは、ヴィセルフ様のことではなくてですか?」


「はい。もちろん、ヴィセルフ様の婚約者だという己の立場を忘れたことはありません。ですが……私の心を救ってくれた、何にも代えがたい、大切な方なのです」


 愛おしそうに、慈しむように。

 熱を帯びて緩む瞳に、あの、陰りはない。


(姉様は、"誰か"を見つけてしまった)


 僕がずっとなりたかった、僕ではない、別の"誰か"を。

 激しい不快感と嫉妬心に、僕はあらゆる伝手を使ってその"誰か"を突き止めた。

 それが、ティナ・ハローズだった。


(どうして僕では駄目だったのですか、姉様)


 彼女が僕に勝るものなど、なに一つないというのに。どうして。

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