第112話アタシが侍女をしていたのは
「クレア……! クレアはいるか!?」
軽快な馬車の音が鳴りやんでからそう経たずして、屋敷内に男性の怒鳴り声が轟いた。
普段ならばとっくに就寝時間。けれどこうなることを予測し本を読んで待っていたアタシは、寝衣の上に羽織を重ね、ついでとばかりにストールを肩にかけてから階段を降りた。
仄暗いリビングの、暖炉に一番近い一人掛けのソファー。
まだ燃え始めの火種を睨むようにして座るのは、夜会向けの煌びやかな衣装を纏った中年男性。
アタシの、お父様。
「お帰りなさいませ、お父様」
膝を軽く折って挨拶してみせると、お父様は横目で確認してから少しだけ白い息を吐きだした。
背が丸まっているのは、少しでも暖をとるためだろう。
寒いのならば事前に帰宅時間を告げておけば、使用人たちが部屋を暖めておいてくれるのに。気分で動くから、こうなるなのだ。
お父様はよく
ううん、思うに、これはお父様のプライドの一つなのだろう。
当家の、自分の使用人ならば、当主の要望を常に把握して先回り出来るだけの能力があるだろうと。
魔法でもあるまいに。
(……くだらない)
今頃大慌てでナイトティーの準備をしているだろう使用人たちに、心中で同情を捧げる。
この様子だと、紅茶に垂らすラム酒も添えられているに違いない。お父様のご機嫌取りと、手っ取り早い暖のとり方だから。
呆れを無表情で隠して歩を進め、火の育ち始めた暖炉に薪を一本くべる。
「馬車の中はお寒かったでしょう。足湯も用意させますか」
「もう指示はしてある。それよりもだクレア、学園への入学準備はどうなっている」
「つつがなく。制服さえ届きましたなら、すぐにでも向かえます。……先に向かうべきでしょうか」
「いや、今回は奴らと同じタイミングでないと意味がない。予定通り、入学式まで大人しくしていなさい」
静かに、最小限の仕草で侍女が紅茶を運んできた。湯気のくゆるカップとラム酒を、お父様の前に置く。
お父様は硬い表情のままラム酒を紅茶に垂らし、スポーンでぐるりと円を描いてから一口を嚥下した。
噛みしめるようにして、喉が上下する。
強張る唇が色づくや否や、「……まったく、忌々しいブライトンめ」と声をすり潰すようにして呟く。
「もはや娘の婚約は安泰と、高をくくっているのだろうな。入学前の王子が執り行う最後のパーティーだというのに、挨拶にすら出てこないとは。相変わらず余裕ぶった、腹立たしい奴め」
ああ、また始まった。ギリリと歯噛みするお父様を、アタシはただ黙って見つめる。
ブライトン。その名に連なる恨み言を、もうどれだけ聞いたか。
お父様が過剰に敵視している"ブライトン"は、ヴィセルフ様の婚約者であるエラ様ではない。
相手はエラ様のお父様。アタシのお父様とは、王都クラウン学園で同級生だったという。
精霊族の血を持つ、伝統ある公爵家。
家柄もさることながら、頭脳明晰で眉目秀麗。周囲からの信頼も厚く、黙っていても存在感のある、生徒の中心たる人物だったらしい。
そのため当然のごとく、憧れを抱く人も多く。
なんでもアタシのお父様が惚れこんだご令嬢もブライトン様に夢中で、あっさりと、それはもうきっぱりと振られてしまったのだとか。
そこまでは、まだ気持ちの整理ができたらしい。
事の発端はその後、件のご令嬢がブライトン様に想いを告げた時のこと。
ブライトン様は考える素振りもなく、「断る」とたった一言で、ご令嬢の恋心を打ち砕いてしまったのだとか。
ご令嬢の、アタシのお父様への態度を鑑みれば、別に同情する点もないだろうに。
お父様はなぜか、ブライトン様を恨んでしまったのだ。
自分には見向きもせず、断腸の想いで諦めたモノを、無感情に切り捨てになられたブライトン様を。
(まったく、本当にくだらない)
ううん、いっそここまで執念深ければ、清々しいとも言えるのかも。
だってアタシがここに存在しているのも、ひとえにお父様の復讐心の賜物なのだから。
「……だがまあ」
お父様がますます眉根を寄せて言う。
「あの娘なら、安心するのも頷ける。"令嬢の中の令嬢"だったか……。あれは手強いな。気味が悪いほどによく"出来て"いる。同じ年ごろの令嬢の中では、飛びぬけて一流だろう。いや、この国一かもしれん。しかし、だ」
クレア、と。お父様は私へと視線を移して、
「指示通り、侍女として潜入している間に、王子の好みは把握したな」
「……はい」
そう。アタシが王城の侍女をしていたのは、行儀見習いのためではない。
侍女として近づき、ヴィセルフ様の性格――主に、女性の好みや気に入る事柄などを把握するといった、調査のため。
どうして? そんなの、理由は一つしかない。
ヴィセルフ様にエラ様との婚約を破棄させ、娘である私が新たな婚約者となり、その座を奪う。
それが、お父様の描く"輝かしい未来"だから。
女の恨みは女で返す。お父様は互いの娘を使って、憎きブライトン様が受けるはずだった名誉も栄光も、全て奪い取るつもりなのだ。
これはお父様の復讐劇。アタシは、そのための駒にすぎない。
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