第111話ラストダンスは王子様と

 そういう、ものなのだろうか?

 普通、好いた相手とは何曲だって踊りたかったり、締めとなる最後だって一緒に……と考えるものじゃないのだろうか。


 悲しいかな、私は今世ばかりではなく、前世を含めて恋愛事に疎い。

 だから"普通"がよくわからないのだけど……。

 ヴィセルフがいいというのなら、きっと、それでいいのだろう。


(あ、もしかして)


 ヴィセルフの婚約者であり、名だたるブライトン家のご令嬢であるエラは、社交関係で今夜も大忙しだったはずだ。

 実際、最初の歓談の後も、ヴィセルフとは別の場所で挨拶対応に追われていた。

 だからこそヴィセルフは、最後くらいエラが休めるようにと誘わないでいるのかも。


(はー、なるほど愛だねえ)


 そもそも交友関係の狭い私なら、挨拶だなんだと体力が削られていることもないし、エラが妙な誤解をすることだってない。

 考えてみればみるほど、エスケープ先としてベストチョイス……!


(なら、私がすべきは)


「参りましょう、ヴィセルフ様」


 エスコートを待つようにして右手を差し出してみせた私に、ヴィセルフが「は!?」と肩を跳ね上げる。


「なに言ってんだ、そんなボロボロのドレスで連れていけるわけないだろ」


「ですが、先ほどヴィセルフ様は私と最後のダンスをしてくださると」


「言ったが、それは"本当は"って話で」


「それに、私がどんな服装でも大した問題じゃないとも」


「だから、それは"俺は"って話だ。そんな姿で戻ったら、ティナが周りになんて噂されるかわかったもんじゃねえ」


 そうだ、とヴィセルフは思いついたようにして、


「ここで踊らねえか、ティナ。ほら、音楽だって聞こえるだろ。それなら俺の望みも、全て解決だ」


「なりません。本日の主役はヴィセルフ様です。ラストダンスに姿を見せないなど、それこそ何と噂されるか」


「言わせておけばいい」


「そうはいきません。ヴィセルフ様が私のせいで非難をあびるなど、絶対にあってはなりません。私も私を許せなくなります」


「だが……っ!」


 これでは押し問答の繰り返しだ。

 どうしたものかと思考を巡らせて、ひらめいた私は「そうです!」と手を打ち、


「ヴィセルフ様。先ほど、予備のお洋服がこちらにあるとおっしゃいましたよね?」


 いい考えを思いつきました! と笑んだ私に、ヴィセルフは不安げに眉根を寄せた。



***



「本当にいいんだな、ティナ」


 間もなく会場の扉前という場所で、私をエスコートするヴィセルフが最後の覚悟を問うてくる。

 私は「もちろんです」と頷いて、ちょっと悪い笑みを浮かべてみせた。


「実はちょっと、ワクワクしているんです。もしかしたら、花飾りに続く新しい流行になってしまうかもしれませんね」


「はっ、さすがだなティナ。肝が据わってやがる。……お高くとまってる奴らの度肝を抜いてやるか」


 いくぞ、と口角を吊り上げたヴィセルフが、力強くも滑らかな足取りで歩き出す。

 私もまた、角度を付けたその腕に手を預けながら、共に歩を進めた。顎を引き、胸を張る。


 踏み入れた会場内からは、途端にどよめきが沸き上がった。

 それは、不在にしていたヴィセルフの登場を歓迎するものではない。

 十中八九、彼がエスコートする私の、異質な姿が原因。


(そりゃ、驚くよねえ)


 堂々と隣を歩く私が纏うのは、ボロボロのドレス……ではなく、その上に、予備として用意されていたヴィセルフのジャケットを羽織っている。

 ボタンは胸元から下を留め、少しだけ首後ろを引っ張ってうなじまでは見えるように。長い袖は腕まくりをして、肘下はすっきりとさせた。

 仕上げに予備のストールを使って胸下をきゅっと縛り、リボン状に結んでアクセントにしている。


(女性はジャケットを羽織っちゃいけないなんてドレスコードは、ないもんね)


 ドレスの損傷はそのままだけれど、ヴィセルフの美しいジャケットと揺れるリボンが目を引いて、余程じっくり見なければ気づかれないだろう。

 前世ではよくあるコーディネート。だけど、この世界では異質もいいところ。


 だからこそ、これならヴィセルフの心配をクリアして、会場に戻れると思ったのだ。

 ボロを纏った令嬢ではなく、見慣れないドレスを着た令嬢。きっと、会場の人々の目には、そう映るはずだから。


 会場の中ほどまで進むと、「ティナ……っ」と悲鳴交じりの声がした。

 見れば顔色を悪くしたエラと、その両脇を守るようにして立つダンとレイナスの姿。どちらも驚愕と心配を混ぜたような顔で、こちらを見ている。

 どう声をかけていいものか、迷っているようにも見えた。

 大丈夫。そんな思いを込め微笑み、頷いてみせた。


 そのままヴィセルフと共に、ホールの真ん中に立つ。

 ダンスの輪の、一等席。淑女らしく膝を軽く曲げてから、ヴィセルフとホールドの体制をとった。

 刹那、音楽が切り替わる。まるで、私達のファーストステップを待っていたような。


(あ、この曲って……)


 ステップを踏みながら思わず苦笑を漏らした私に、ヴィセルフが「なんだ、そんなに俺サマとのダンスが嬉しいのか」とからかってくる。

 私は「ええ、それももちろんですが」とクスクス笑い、


「この曲、ヴィセルフ様との練習時に一番に聞いた曲だなと思いまして」


「そりゃそうだ。最初からラストダンスはティナと踊るつもりだったからな」


 なるほど、確信犯だったらしい。

 当然のように言うヴィセルフに、ますます苦笑が深まる。


(それならそうと最初から言ってくれれば、私だってあんなに駄々をこねずに、ダンスレッスンを受けたのに)


 けど、それじゃあ駄目なのだ。

 ヴィセルフは私の選択と決断を、何よりも大切に考えてくれる人だから。


(優しいというか、不器用というか)


 我儘で、横暴で、自分勝手な俺様で。

 けれども優しくて不器用で、たくさんたくさん考えてくれて、いつだって手を差し伸べてくれて。

 私の自由を守りながら未来を広げてくれる、誰よりもハッピーエンドを迎えてほしい、大切な王子様。


「――ヴィセルフ様」


 誰よりも踊りやすい、よく知った調子に身をゆだねながら、その人の名を呼ぶ。

 出会えた奇跡に、心からの感謝を込めて。


「お誕生日、おめでとうございます」


 囁いた私に、彼は驚いたように目を丸めた。

 それから「やっとか」と心底嬉しそうに瞳を緩め、


「最高の誕生日をありがとうな、ティナ」


 それは同じだけ年を重ねた、ただの少年のような。

 "当て馬王子"らしからぬ無邪気な笑みを浮かべる彼に、私も心からの感謝をのせて微笑んだ。

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