第108話王子様からのサプライズ

 戸棚に薬を戻したヴィセルフが、「……俺だって、アイツに言われるまでもなく分かってんだ」と呟く。


「ティナは……お前は、他者を守るためなら自分を簡単に犠牲にする。今回だって、言えねえんじゃなくて、言わねえんだろ。誰かと俺を、守るために。お前はそうやって知らない所で無茶をして、助けを求めるどころか笑って隠しちまう」


 だから、とヴィセルフは己の掌を見つめると、ぐっと握りしめ、


「ティナがそうやって、知らないどこかで背負い込んじまう前に気づいてやろうと決めたくせにな。腹立つくらい、上手くいかねえ。こんなんじゃ、いくら繋ぎ止めようとしたって、簡単に失っちまいそうだ」


「そんなこと……っ!」


「なあ、ティナ」


 思わず立ち上がった私の言葉を遮って、ヴィセルフが真剣な眼差しを向けてくる。


「俺は間もなく、王都クラウン学園に入学する。この城から、出ていく。これは決定事項で、同時に、俺の意志でもある。……少し前までは、学園で勉強なんて絶対に御免だと思っていたんだがな。今は出来る限り沢山の知識を、技術を、自分のモノにしたいと思っている」


「……それは、とても素敵なこころざしでございますね」


「だろ? 俺は将来、この国の王座に就くと決まっているからな。当然、誰よりも賢く、強くならなきゃいけねえ。けれどそうあろうと決めたのは、あくまで俺だ。周囲からの期待とか、慣例なんて関係ねえ。俺は、俺の心に従う。それもまた強さのひとつなんだって、ティナが教えてくれたからな」


「わ、たしが、ですか……?」


「ああ、そうだ。その上で、尋ねる」


 ヴィセルフは少しだけ視線を落として、


「ティナ。お前はこれから、どうしたい」


 どう、というのは、王城の侍女を辞めた後のことだろう。


(心配、してくれてるのかな)


 ヴィセルフは、いつだって私を目にかけてくれていた。

 優しい人なのだ。本来は。

 私の嘘を見抜き、それでも許してくれるほどに。


(どうか皆が、あなたのその優しさに気づいてくれますように)


 私はにこりと笑んで、「ご心配には及びません」と切り出す。


「王城でのお勤めを終えましたら、家に戻ります。両親は私を大層心配してくれていましたから、喜んで迎え入れてくれると思います。それから今度は、貴族の娘としての役割を果たすことになるかと。うまくお相手が見つかるといいのですが……。私にはヴィセルフ様直伝のダンスがありますし、出来得る最大限の努力はしてみます」


「……違うな」


「え?」


「それはお前が"ティナ・ハローズ"として求められる、最適解だろ。そんなものには興味ねえ。俺が訊いているのは、ティナが、そこにある心の蔵が何を求めているのかだ」


 言い聞かせるような静かな声。

 こちらへ歩を進めてくる足取りは堂々たるもので、シャンデリアの瞬きに一瞬、未来の王の姿が重なった。


 ――ヴィセルフ・ノーティス。

 定められた破滅の運命を変え、この国の王となる人。


 眩しさに、思わず頭を垂れそうになった。

 けれども出来なかったのは、俯く前に、両の掌が私の頬を包み込んだから。

 見下ろす前髪が触れそうなほどに、近い距離。

 咄嗟に息を詰めるも、二つの赤い瞳が私の自由を奪って、ただ彼を見上げることしか出来ない。


「望め、ティナ」


 ヴィセルフは強い眼差しのまま、まるで祈るように言う。


「課せられた枠組みを全部捨てて、ティナが、そのたった一つの心が求めるままに、口にしろ。……お前は、どうありたいんだ」


「わ、たしは……」


 この人はこの国の王子で、私はしがない行儀見習いの侍女で。

 こうして言葉を交わして触れ合える距離にいることは、とんでもない奇跡のようなもので。


 楽しかったこれまでの日々も、胸の奥でくすぶる心の声も。

 綺麗に飲み込んで、大切に抱きしめて。

 これからは遠く祈りながら、私はただの"ティナ・ハローズ"としての人生を、受け入れていかなければならないのに。


「ティナ」


 切なく呼ぶ声に、優しく促す瞳に。

 私の中の"我儘"が、膨らんで、溢れる。


「私、幸せだったんです。王城での日々が。ヴィセルフ様と、皆様と共に過ごす毎日が」


「……ああ」


「本当は、もっともっと、ここにいたかった。結婚相手を探すより、"mauve rose"が更に愛されるお店になれるよう、手を尽くす一人になりたかった」


「ああ」


「仕方がないって。本来のあるべき場所に戻るだけだって分かっているのに。ヴィセルフ様と、皆様と離れるのが、寂しくてたまりません……っ!」


 押し込めていた"本当"が、ジワリと雫を作ってポロポロと零れ落ちる。

 きっと笑えるほど酷い顔をしているだろうに、ヴィセルフは瞳を穏やかに緩めたまま、「よく言ったな」と口角を上げた。

 優しい指先が、そっと私の涙を拭う。


「いいか、ティナ。これはお前が、その手で掴んだ選択肢だ。選ぶも選ばないも、お前の心に従え」


 私から少し身体を離して、ヴィセルフがジャケットの内側から白い紙を取り出した。

 四つ折りにされたそれを戸惑いながらも受け取る。「見てみろ」と促すヴィセルフに頷き、かさりと開いた。


「っ、これは……!」


 ――推薦入学許可証 王都クラウン学園。


 飛びこんできた文字に、息が止まる。そしてますます、困惑を募らせた。

 だってそこに記載された宛名は、"ティナ・ハローズ"。

 間違いなく、私の名前なのだから。

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