第107話王子の治療をうけましょう

「ヴィ、ヴィセルフ様!?」


 ヴィセルフは私を抱き上げたまま、ニークルを一瞥して、


「今のコイツは俺の侍女だ。あとは俺が見る。……世話になったな」


 ニークルの言葉を待たずして、スタスタと歩き出すヴィセルフ。


(え? なにこの急展開……!?)


 私は「え、わ、ちょっ……!」と混乱に奇声を上げながら、


「ヴィセルフ様、ひとまず降ろしてくださいっ!」


「ダメだ。体調が悪いんだろ。大人しく運ばれろ」


「ですがっ! こんな姿を誰かに見られでもしたら……!」


「関係ねえ。……それとも、なんだ」


 ピタリと歩を止めたヴィセルフが、私を見下ろして、


「アイツは良くても、俺に抱かれるのは嫌か」


「ちが――っ!」


 言葉が途切れてしまったのは、自嘲気味に笑むその顔に、悲哀の欠片を見つけてしまったから。

 なんとか「そうでは、ありません」と絞り出した私に、ヴィセルフはうっすらと瞳を緩め、


「なら黙っとけ」


 怒りでもなく、叱咤でもなく。

 なぜか優しいその声に戸惑いながらも、言われたままに口を噤む。


 ヴィセルフに連れてこられたのは、会場に隣接する支度部屋だった。

 幸い、誰の目にも触れないまま入室出来たことにひっそりと安堵の息をこぼすと、「辛かったら寝てろ」とソファーに降ろされる。

 ヴィセルフはその足で壁際の戸棚に向かい、なにやらガサゴソと探し始めた。


「お手間を取らせてしまい、申し訳ありませんヴィセルフ様。あの、体調もだいぶ回復しましたし、あとは一人で平気ですので」


 体調不良っていうのは、一連の騒動を隠したい私の意図を汲んで、ニークルが咄嗟に考えてくれた嘘だ。

 良心がチクリと痛むのを無視しながら、私は焦り気味に、


「どうかもう、お戻りください」


「必要ねえ。やるべき役目は果たした」


「ですが、あれはヴィセルフ様をお祝いするパーティーで……!」


「一番に祝われたい奴に祝ってもらえなきゃ、なんの意味ねえ」


「え……?」


 一番に祝われたい相手。それは間違いなくエラのことだろう。

 思い返してみれば、確かにエラとヴィセルフが顔を合わせた時、エラから貰った花の話題が優先されてしまってお祝いの言葉は口にしていなかったような……。


(もしかして、ヴィセルフの機嫌が悪いのって、私のせいでエラからお祝いの言葉がもらえなかったから!?)


 更にはやっと挨拶周りを終えたと思ったら、今度は私がなかなか戻ってこないってレイナスに相談されたとかで、エラとの時間を潰しちゃったりで……?


(そ、それだーーー!!!!!)


「ヴィ、ヴィセルフ様っ! 本当に!! この通りピンピンしておりますので!! 今すぐ会場にお戻りに――っ!」


「だから、いいつってんだろ。まーたなんか勘違いしてやがるな……。っと、あったな」


 おら、座れと着席を命じながら歩を進めてきたヴィセルフが、私の眼前ですっと膝を床につける。


「!? なりませんヴィセルフさ……っ」


「傷、出来んぞ。大人しく薬くらい塗らせろ」


「…………へ?」


 空気の抜けたような声を出した私に、ヴィセルフが呆れ顔で「気づいてなかったのかよ」と息をつく。


「頬と、肩。細かい、切り傷みてえな跡だな。……ちょっと沁みるぞ」


 開けた瓶の中に指を入れ、薬を掬い取ったヴィセルフがそっと私の肩に触れる。

 途端にピリッとした痛みが走って、思わす息を詰めてしまった。

 ヴィセルフは再び瓶から薬を掬い取ると、今度は私の頬に指を伸ばす。


「王城の薬師が作った薬だからな。それなりに効くはずだ。……跡が残らねえといいんだが」


「そんな、跡のひとつふたつ残ったところで、困るような顔じゃないですよ」


「ふざけんな。俺サマは許さねえ」


 強い口調で言い切ったヴィセルフが、眉間に不機嫌な皺を刻む。


「ドレスもあちこち傷ついてやがるし。いったいどんな"静かな場所"で休んだら、そんな風になるんだ」


「あー、あはは……」


(マズいマズいマズい……っ!!)


 ちらりと自身のドレスを見下ろすと、下手な言い訳が通用するようなレベルの損傷ではない。


(立ち眩みで転んだとか? ううん、あんな綺麗な廊下でこんな傷がつくはずないし……)


 いっそ、立ち眩みで窓から落ちかけたってことにしちゃう?

 うーんでも、それだとなんとなく、ヴィセルフがますます怒るような気もするし……。


 愛想笑いを続けながら必死に上手いかわし方を探すも、なかなか名案が思い付かない。

 と、ヴィセルフが小さく息をついて立ち上がり、


「言いたくねえ事情があるんなら、無理やり問いただしやしねえよ。けどな、もっと大事に扱え」


「っ、申し訳ありません、ヴィセルフ様。せっかく、皆さまに贈って頂いたドレスでしたのに」


「あ? あー……ったく。ドレスじゃねえ。ティナ自身を大事に扱えって話だ。何があったのかは知らねえが、自分は傷ついてもいいだなんて考えるな。髪の一本から爪の先まで、粗末に扱われていい箇所なんて一つもないんだからな」


「ヴィセルフ様……」

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