第105話沈黙の条件は

 私の腰を支える手に力を込め、ニークルが上部の窓へと視線を上げる。

 視線が合った彼女が、ビクリと肩を跳ね上げた。取り乱した声で、「な、なんですか、あなたは……!」と叫ぶ。


「どうしてそんな、木の上に……!」


「アンタには関係ない。それよりも、いいのか。アンタの筋書きに、俺の存在はなかっただろう」


「!」


 彼女の驚愕が、一瞬で怯えに変わる。

 ニークルはうっすらと口角を上げ、


「アンタの言う"罪"とやらを背負うのは誰か。わざわざ教えずとも、理解できるだろう? どうする。俺にも架空の"罪"を擦り付けるか。アンタに、それだけの度量があるとは思えないが」


「あ……わ、わたしは……っ!」


「さて、ティナ。アイツはどうする? 警備の人間に突き出すでもいいし、会場で高々に断罪するでもいいな。俺と言う証人がいる以上、アイツはこの場から逃げたところで、己の"罪"からは逃れられない。俺は、ティナの望むままに従う」


 そんな……っ!、と悲痛に喉を震わせて、彼女が私を見遣る。

 それから必死の形相で、「ち、ちがうの……っ!」と両手を組み合わせ、


「私はただ、彼らを救いたくて……っ! そ、それに、あなたに大怪我をさせようだなんて考えはなかったのですよ? そんな恐ろしいことを、私がするはずがないですもの」


 そう、そうです。

 彼女は硬い頬を動かし、ぎこちない笑みを浮かべ、


「あなたが落ちたのだって、自分で飛んでいかれたからでしょう? これは私の"罪"なんかじゃない。そんなはずがないのです。そうだ、良い事を思いつきました。あなたのご自分の立場をわきまえない、目に余る愚行は今後とも目を瞑って差し上げます。ですから、この件はこれで終いとしましょう? ね、それが一番いいです。お互いの為にも」


 嬉々として語りかけてくる彼女に、「……呆れたものだな」とニークルが呟く。

 それから私へと視線を移して、


「己の保身ばかりのアレに、哀れみなど必要ない。危険因子は、ここで排除しておくのが一番だ」


「……うん、そうだね」


 窓の内側で、彼女が「そんなはず……っ!」とよろめく。

 私はニークルに支えてもらいながらも自身の足に力を込め、背を伸ばし、彼女をまっすぐに見つめた。


「今回だけ、見逃してあげてもいいですよ」


「……え?」


 顔を跳ね上げた彼女と、「おい、なにを言って……っ!?」と焦りを滲ませるニークル。

 私は彼女を捉えたまま「ただし、条件があります」と続け、


「ヴィセルフ様たちの思考が麻痺している、と言ったこと。訂正してください。あの方々は誰一人として、その思考も目も、曇ってなんかいません。あの方々はいつだってご自身の目で見て、考えて、行動をされているのです。それぞれに、重責を負いながら。その上で、私が共にいることを許してくださっているのです」


 ですから、と。私は眉間に力を込め、


「あなたの勝手な欲望で、彼らの優しさを侮辱しないでください。金輪際、二度とそのような妄言はしないと約束してくださるのなら、このまま互いに別れ、祝いの席に戻りましょう」


 途端、彼女はぱっと頬を染め、


「ええ、ええ。誓いましょう……! そう、彼らは聖人のごとく底なしにお優しいのです。だからこそ私ではなく、あなたを選ばれた。憐れむべき点が多いあなたに少しでも分け与えてやらなければと、己の良心が疼いて疼いてたまらなかったから」


「……それでいいです。もしも約束を違えるようなことがあれば、今夜の出来事を包み隠さず皆様にお話ししますから」


 了承を示すようにして深く頷いた彼女が「その時はお好きに。では、ごきげんよう」とスカートを摘まみ上げ、窓の側から去っていく。

 見届けた私がふう、と息を吐きだしたと同時に、頬を指の腹でぐいと潰された。ニークルだ。

 私の顔を自身に向かせ、不満気に眉根を寄せる。


「見逃すだけでも甘いというのに、なんだあの条件は。お人好しにもほどがある」


「べちゅに、ぼびぼぼしじゃ」


「…………」


 微妙な顔をして、ニークルが頬を解放してくれる。

 私はちょっと笑ってから、「別に、お人好しじゃないよ」と言い直す。


「あの子を逃がしてあげたのだって、可哀想だからとかじゃないし。ここでケリをつけちゃうのは簡単だけど、逆恨みをされてまた狙われたら嫌だから。決断を先延ばしにして逃がしてあげれば、今後はきっともう、私を狙わなくなるだろうなって思って。条件さえ守れば、これまで通りでいれるんだもん。わざわざ危険を冒してまで、嫌がらなんてしてこないでしょ」


「……驚いたな。ちゃんと考えていたのか」


「当ったり前でしょー!? 私は聖女でもなければ、純真なメインヒロインでもないし。損得はきっちり考えるって」


「損得を考えるのなら、もっと自分に利のある条件にするべきだ。そもそも今回の件だって、嫌がらせという範疇を超えている。俺が間に合っていなければ、今頃アンタはあの芝の上だ。大方、軽い怪我程度で済むと踏んだんだろうが、それだって、賭けのようなものだろう」


 う、と詰まってしまったのは、ニークルの指摘が図星だったから。

 さすがは前世の家族というべきか。

 私は「それに関しては、申し訳ありません」と頭を下げてから、


「でもまあ、あの子の言う通り、自分で飛び降りちゃったわけだしね。それにね、今回の条件だって、ちゃんと私の"得"になってるし」


「……俺には、そうは思えないが」


 疑いの眼差しに、思わず苦笑が漏れる。

 不可解そうな銀の瞳がますます鋭利になったのを視界にいれながら、私は顔を上げ、視線を空へと投げた。

 明かりが少ないからか、ここが異世界だからか。

 見上げた夜空に瞬く星の数は明らかに多いけれど、その美しさは、前世も今も変わらない。

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