第104話夢見る彼女の悪意
「わかりました。任せてください!」
下部の窓枠にぐっとお腹を押し付け、必死に右手を伸ばす。
(もう、少し……っ!)
徐々に傾いていく身体。
私の意識は、もう少しで触れそうな花にばかり向いていて。
あとちょっと、あとちょっとと伸びあがったつま先が完全に伸びた、その時。
「そんなに必死になって、随分とお人好しなのですね」
小馬鹿にしたような声が耳に届くと同時に、窓の外へと伸ばしていた背がトンと押された。
え、と過った刹那。ぐらりとバランスを崩し、外へと身体が傾く。
(――おちる……っ!)
本能的に伸ばした右手が、下部に伸びる枝のひとつを掴んだ。
なんとか重心が定まるも、この細さではいつ折れるか。かといって微妙な体制すぎて、自力だけで窓の内側に戻れるとも思えない。
「うふふ、無様な恰好」
声は、間違いなく彼女のもの。
私は信じられない気持ちで顔を無理やり動かし、クスクスと笑う彼女を見遣る。
「花を、拾ってほしかったのではないのですか」
「拾って頂きたかったですよ? 更に言うのなら、花と一緒に落ちてくだされば良かったのに。悪運がお強いのですね」
「っ、どうして」
「どうして? 本当に、わからないのですか?」
彼女は心底憐れんだような表情で「可哀想に」と首を振り、
「今回は特別に教えてさしあげますね。目障りなんです、あなた。ヴィセルフ様やダン様だけでは飽き足らず、今度はレイナス様にまで擦り寄って。節操無しもいいところだと思いませんか」
な、と絶句する私に、彼女はコテリと可愛らしく小首を傾げ、
「エラ様はね、特別なのです。あの方はヴィセルフ様のご婚約者様であらせられますし、家柄も見目も、あの方々と並び立つに相応しいだけのものをお持ちですから。ですが、あなたは違うでしょう?」
瞬間、彼女の笑みが消えた。
じっとりと、瞳の光が、暗い色に染まる。
「家柄も、顔も。私の方がはるかに優れているのに、どうして彼らは私を見てくださらないのかしら」
「……っ!」
「初めは哀れみから相手をされているのだと思っていたけれど、そうではなかったみたい。そこで、私は考えたのです。きっと彼らは、知らず知らずのうちに"あなた"という毒に思考を麻痺させられてしまったのだと。お可哀想に。ですからね、私が彼らの目を覚ましてあげるのです。共に並び立つのにふさわしい相手が誰なのか、はっきりと、明白に、気づけるように」
――馬鹿げてる。
彼女が語るのはあまりに利己的な、まるで夢に捕らわれた少女のような空想だ。
言ってやりたい衝動を奥歯で噛みしめ、「そのための手段が、これですか」とだけ告げる。時間稼ぎだ。
(やばい。このままじゃ、確実に頭から落下する)
幸い、ここは二階だ。枝の下は芝だから、背中から落ちれば軽い怪我で済むかもしれない。
イチかバチか。枝が折れる前に自分から外に身体を投げ出して、枝にぶら下がってから落ちれば……。
左手を支える枝がパキリと鳴いて、迫りくる限界を叫ぶ。
その音に気づいているのか否か、彼女は純粋な悪意をうっとりと語りだした。
「あなたが想像通り呆れるほどの"考え無し"なおかげで、助かっちゃった。せっかくだから、これからあなたが負う罪を教えて差し上げますね。あなたは私の赤い花飾りが、ヴィセルフ様やレイナス様の色だと怒って私をここに連れてくるのです。怯えた私が涙ながらに謝り倒すも、あなたの怒りは収まらず。とうとう花飾りを奪い取って、窓の外に放り投げてしまいました。けれども幸運にも枝に引っ掛かったそれを取ろうと、健気な私は、必死に手を伸ばす」
そして、と彼女は私を指さして、
「愚かなあなたは私に花を奪われまいとして、同じく窓の外に手を伸ばすのです。そして意地悪なことに、私の腕を思いっきり叩いて邪魔をしようとした。ところが悪事には制裁がつきもの。あなたは振り下ろした腕の勢いにバランスを崩し、花と共に窓の外に落下してしまいます。心優しい私は泣く泣く助けを呼び、あなたの悪事は白日の下に。あなたの卑しさに気づいた彼らは目を覚ますと同時に、可憐で清らかな私という存在を、やっと見つけてくれるの」
ですから、と。
彼女は私へ、勝ち誇った顔をすっと寄せ、
「私と彼らの未来のために、悪は消えてください」
伸びてきた腕が、明確な意図を持って私の背に伸びてきた。
(――させるもんか……!)
枝を掴んだ両手に力を込め、重心を外へとずらした。
つま先で見つけた窓枠を蹴り、出来る限りの反動をつけて、窓の外へと身体を投げ出す。
「な、自分で……っ!?」
かすかに聞こえた驚愕は、振り子のごとく勢いづいた身体がバキバキと枝葉を折る音でよく聞こえない。
(お願い、なんとか耐えて……!)
掴んだ枝がギシリときしむ感触に祈りながら、身体が垂直になった瞬間を狙って手を離し――。
「……まったく、相変わらずアンタは無茶をする」
「!?」
突如降ってきた声と、ガシリと胴を支えられた感覚。
幹に近い、太い枝に引き寄せられると同時に、私は驚愕を隠すことなく抱き寄せてくれたその人を見上げた。
「ニークル……!」
どうして、と訊ねたいのに、うまく声が出せない。
けれども彼は察してくれたのか、銀の瞳を安堵に細め、
「精霊たちが教えてくれた。……今度は、落ちる前に間に合ったな」
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