第94話月明りの味方する夜にございます
「申し訳ありません、レイナス様。無礼なのは重々承知しておりますが、今はこれしか方法がなく」
少し、我慢をお願いします。
早口で告げて、私は再び擦った彼の掌に息を吐きかける。
必死に何度か繰り返して、やっとのことで戻ってきた体温に安堵を感じた刹那。
「……本当に、どこまでも愛らしい人ですね」
「はい?」
顔を上げると同時に、手がぐいと引き上げられた。
視界の先には、引き寄せた私の掌にそっと口づけるレイナス。
触れるというよりは掠めるような感触に目を見開いた私を、深い、エメラルドの眼光が射貫く。
その瞳の強さに、思わず息を呑んだ瞬間。レイナスはいつもの様相で、にこりと柔和な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、ティナ嬢。おかげで随分と温まりました」
「へ? あ、それなら良かったです」
「はい。なので今度はティナ嬢が冷えてしまってはいけませんし、ここは僕で手を打っておきませんか? 誰よりも紳士的に、エスコートしてみせますよ」
掴んでいた私の手を、軽く曲げた腕に導くレイナス。
まさしくエスコートの体制をとられ、私は「え、と……」と戸惑いに彼を見上げる。
そりゃあ、なんだかんだ顔見知り以上には関わりのあるレイナスが側にいてくれるのなら、とても心強い。
けれど彼は友好国の王子なわけで。
おまけに女性達からの人気も高いし、なんならまだパートナーを持たないご令嬢は本気で狙いにくるんじゃ……。
すると、レイナスはそんな私の心を読んだかのように、苦笑交じりに肩を竦め、
「互いに"花"を持たない者同士。なにかと都合が良いとは思いませんか?」
「!」
なるほどつまり、レイナスは私を"ご令嬢避け"にしたいのか……!
冬が終われば、ゲームの舞台である学園生活が始まる。
これまでの交流でエラへの好感度はたまる一方だろうし、ルート解放の鍵となる"一目惚れ"が発動するのが今日のパーティーである可能性も高い……!
(そうなった時の予兆を見逃したくないし、少しでもアプローチを阻止するには、側にいた方が効率的!)
カッと心の目を見開いた私は、レイナスの腕に添えられた指先に力を込める。
「ご面倒をおかけしますが、連れたって頂いてもよろしいでしょうか」
すると、レイナスは余裕たっぷりに頷き、
「ふふ、僕相手でしたら、いくらでも"面倒"をかけてもらっていいですよ。むしろ、存分に甘えてください。全てを受け止め、対処するだけの器量はあるつもりですから」
おっわーーーーー!!!!
さすが!!! 攻略対象キャラの中でも甘々な雰囲気がお得意のレイナス王子!!!!!
ゲームにこんなスチルないよね???? うん、ないね!!
だってまだゲーム開始前だもんね!!??
(うう、今の場面、ぜひともレイナス推しの方々に見て頂きたい……っ)
「では、行きましょうか」
なんとも自然な動作で、先を促すレイナス。
歩く速度は実に丁度良く、ヒールに慣れていない私でもしっかりと"令嬢"らしく歩ける。
(むしろ、一人の時よりも歩きやすいような……)
ふと、静かな唇が、暗がりに溶け込むような囁きを紡いだ。
「ティナ嬢は、恋愛小説はお好きですか?」
「へ?」
あまりに突拍子のない問いに、間の抜けた声が出る。
横目で視線を落とすレイナスは馬鹿にする風もなく、浮かべる笑みはいつも通り優しい。
(恋愛小説……。聞かれているのはあくまで"ティナ"の話だよね)
前世では小説どころか漫画やアニメ、それこそゲームに二次創作と多方面に手を出していたわけだけど。
ティナとしては、お父様が「街で流行っているらしいぞ!」と持ってきてくれた数冊に目を通した程度しか記憶がない。
それも楽しんで読んでいたかというと微妙なところで、どちらかというと義務感の方が強かったような気がする。
(そういえば、記憶が戻ってから恋愛小説ってまだ一度も読んでないなあ)
今の"私"なら、記憶の中の"ティナ"とは違って、この世界の恋愛小説も存分に楽しめるのかもしれない。
話し相手になってくれていたクレアも居なくなってしまったし、今度のお休みは、図書室でのんびり読書というのもいいかも。
「ええと、近頃はあまり手に取っていませんが、有名なものはいくつか……」
「そうでしたか。僕の国では数年前から、とある小説がご令嬢の間で人気でして。身分を隠して街を散策していた王族の男と、慎ましやかな男爵家の娘が出会い、恋に落ちるお話なのですが……。つまるところ、"身分違いの恋"が題材のお話ですね」
レイナスはゆったりとした歩調のまま、どこか楽し気に続ける。
「この小説の影響で、愛おしい相手にそうと告げるある言い回しが人気になりまして。ある夜、身分の差に悩む娘の元に、男が突然現れるんです。そしてこう言い募ります。夜の闇が覆う最中なら、誰に見つかっても正体など分からない。だから今夜は心の求めるままに愛を囁き、抱きしめさせてくれないか。貴女にだけは愛を乞い、縋る男の顔が見えるはずだから。そう――」
突如歩を止めたレイナスが、私の顎先に手を添えゆるりと顔を上げさせる。
「美しい月明りだけは、僕たちの味方だから」
「!」
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