第93話さよならと月夜の回廊

「うん、いいんじゃない」


 クレアの声に、閉じていた目を開ける。

 鏡に映る、私の背後。「はい、仕上げ」とネックレスを付けてくれた手が離れると同時に、私はおさえつけていた衝動に弾かれるまま立ち上がって、クレアに抱き着いた。


「本当に最後までありがとう、クレア……!」


 ダンスレッスンだ店の新商品だと目まぐるしい日々はあっという間に過ぎ去り、季節はすっかり冬になった。

 今日の業務を終えたクレアはこの後、王城を出る。

 行儀見習いとしての王城勤め、最後の日だ。


 本当ならこの部屋を一緒に出て、門の前まで見送りたかったのだけれど。

 何の悪戯か、私はこれからヴィセルフの誕生祝いパーティーに出席しなければならない。

 すらりとした首元に顔を寄せる、華美にセットされた私の頭を、優しい掌がぽんぽんと宥める。


「それはこちらこそ、だよ。ほら、ちゃんと顔見せて。せっかく綺麗にしたんだから、泣くのは無しね」


 苦笑交じりの声にしぶしぶ腕を緩め、クレアの前に立つ。

 と、彼女は満足そうに両目を細めて、


「過去一番に最高の仕上がりってとこかな。綺麗だよ、ティナ」


 それは、そうだろう。

 だって今の私が纏っているのは、エラ達に仕立ててもらったオーダーメイドのイブニングドレス。

 肩から胸元までのカッティングは少々特徴的ながらも上品で、腰下から広がったスカートはふわりと愛らしい。


 そしてなによりも、たっぷりとあしらわれた丁寧で細やかな刺繍とラインストーンが動くたびににきらきらと輝いて、ちょっとしたシャンデリアのようにも見える。

 ドレスだけでも圧倒的な美の押し売り状態なのに、さらにクレアが化粧を施し、髪も結ってくれたのだ。


「クレアが頑張ってくれたんだもの。そりゃ、私だって綺麗になるよ」


「まあ、一応は"綺麗"だって認めているみたいだから、及第点かな。当然でしょって言えるようになれれば、一番なんだけどね」


 肩を竦めて歩を詰めたクレアが、必死に涙を堪える私の目じりを指先で拭ってくれる。


「夜会、めいっぱい楽しんでおいで」


「……うんっ」


 こうして私は最高で最強の、そして大好きなルームメイトと"さよなら"を迎え。

 拭いきれない名残惜しさを抱えたまま、ヴィセルフからの招待状を手に、会場であるダンスホールへと向かった。

 今夜の一大イベントに向け誰もかれもが忙しく、使用人棟はがらんとしている。


(本来なら私も皆みたいに、駆け回っているはずだったのになあ)


 けれど今の私は、走り回るなんてもってのほか。

 背を伸ばし、歩幅を気にして。揺れるスカートの裾が流れる影と共に、コツコツと薄暗い回廊にヒール音を響かせる。


(静か、だなあ)


 視線を流したのは回廊の外。月光に照らされた木々は、この季節独特の澄んだ美しさに沈黙を保っている。

 きっと近々、雪が降ってくるだろう。

 冷たい外気が露出した肌を突き刺すけれど、緊張の為か、さほど寒さを感じない。


 思えばこうして華美に着飾って歩く夜は、あの、社交デビューをした夜以来だ。


 不安が一番に大きかったのはもちろんだけれど、流行遅れとはいえ普段からは考えられない上等なドレスに、肌を飾る、お母様が代々引き継ぎ大切にしているアクセサリー。

 華奢なヒールは、視界を数段上げてくれて。

 唇にのせた、魔法のように美しい花の色に、隠し切れないときめきが胸を叩いていたのを覚えている。


 貧乏とはいえ、自分は本当に伯爵令嬢なのだと。

 ハローズ家の名を背負っての"お披露目"なのだから、領地の皆のためにもしっかりやり遂げなくちゃと、降りた馬車の先で煌々と輝く会場に必死を足を動かしながら、自身を奮い立たせていた。


 だからこそ、その後に見せつけられた"現実"に、微かな期待も残らないほどに"身のほど"を知ってしまったのだけれど。


「……こんなに綺麗にしてもらっても、結局は、なあ」


 クレアは「楽しんで」と言ってくれたけれど……。

 パートナーを持たない、飾る"花"のない私は、きっと今夜もボッチ確定だろう。

 気を遣われたのか、ヴィセルフには冗談交じりに「俺サマの"花"を飾ってもいいんだぞ」と言われたけれど、さすがにそんな勇気はない。


 まあ、あの夜と同じように、ひとりでゆっくりと豪華なお料理を堪能することが出来るし。

 あ、新商品のためのリサーチまら、別に話しかけなくても聞き耳をたてれば――。


「月明りの味方する夜ですね」


「!」


 カツリと靴音を響かせて、柱の陰から一人が現れた。

 月光に艶めく、赤色の髪。普段から好まれている細身の衣装は、常よりも煌びやかな刺繍に彩られ。

 知っているそれよりも彩度を落とした緑の瞳が、ゆるりと優しく細まる。


「よろしければ、今夜はエスコートをさせて頂いても?」


「レイナス様……っ!」


 どうしてこんな所に、と驚く私に、


「ティナ嬢を待っていたんです」


 にこりと笑んで、歩を進めてくるレイナス。


「お部屋から会場までは、こちらを通るのではないかと考えまして。正解でしたね」


「そんな、こんなお寒いところで……! なにかご入り用でしたら、使用人の誰かに言付けいただければ……!」


「それでは意味がないのですよ。僕の思惑が向こうに知られては、あの手この手で阻止されるのは目に見えていましたから」


「向こう、ですか?」


「ふふ、こちらの話です」


 秘密だと揶揄するように、口先に指を立てるレイナス。

 あー、うん。さすがはゲームでも話題の色気! って、そうじゃない。

 一国の王子が侍女を待っていて風邪をひいた、なんてことになったら、いくら友好国とはいえ一大事に……!


(なにか温めるもの……!)


 こんなことなら面倒くさがらないで、ショールを羽織ってくればよかった……!


(あ、そうだ)


 閃くままにレイナスの手を取ると、いつから待っていていたのか、指先まで氷のようにひんやりと冷たい。


「ティナ嬢?」


 不思議そうな声に構うことなく、私は急いでその手を自身の口元に寄せた。

 本来の体温を呼び戻すように手の甲をさすって、はあ、と息をかける。


「ティ、ティナ嬢!?」

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