第92話当て馬にされた王子さま

「確かに私は、この国にとっての"新しいお菓子"を生み出しているのかもしれません。ですがこの琥珀糖に限らず、こうして"お菓子"の形にしてくれているのは、料理長をはじめとする料理人の皆さんです。……先日の花のインクだって、エラ様やダン様、レイナス様のお力添えがあったからこそ、なんとかあそこまで仕上がりました。結局、私一人では、なにひとつなし得ません」


「……なるほどな」


 納得したような呟きに、思わず苦笑が漏れる。

 すると、ヴィセルフはおもむろに立ち上がり、


「一人で最初から最後までなし得ることだけが、その人間の"能力"か?」


「え……?」


「王は国を治めるが、実際に動くのは別の奴らだ。王自身じゃねえ。ティナの考えでいうのなら、この王は一人じゃ何もできねえ"無能"ってことになる」


「っ! それは……っ」


「帆を張らせ、舵をとらねえ船長は無能か? 譜面を書くだけで指揮を振れねえ音楽家は無能か? ちげえだろ。ティナがいなけりゃ、これまでの菓子は生まれなかった。"mauve rose"は存在しなかった。それだけじゃねえ。ティナがいたからこそ変わったことが山ほどある。そういった全ての始まりを作ったのが、ティナだろ。なのにその全部から目を背けて、"何もない"って言うのか?」


 窓際へと歩を進めていたヴィセルフが、カタリと執務机の引き出しを開いた。何かを取り出す。

 それを手に戻ってくると、握った拳を私の眼前に差し出した。


「ティナに渡してくれと頼まれた」


「私に……?」


 戸惑いつつも、開いた両手を差し出す。と、金のチェーンをしゃらりと鳴らして、それが掌に落とされた。

 冷たい。見れば金色の円形をした、懐中時計のような。

 上部の突起を押して開くと、ギザギザとした星型が描かれた盤の上で、細長い菱形の針が揺れる。


「これは、羅針盤……?」


 確認するようにして傾けると、盤に埋め込まれた紫の水晶がキラキラと光る。

 無意識に「きれい……」と零した刹那、


「レイナスを通じて、カグラニア王国と新たにスパイスの取引を増やしたのは知っているな」


「は、はい。"mauve rose"で扱うお菓子はシナモンなどを大量に使用しますから。レイナス様が、便宜を図ってくださったと」


「スパイスってのは、この国でもまだ希少だからな。宝飾品と同じくらい海上で狙われる。新たに商船を増やすにも、条件が多くてな」


 そこでだ、とヴィセルフは足を組んで、


「カグラニアとの航路にいたとある海賊を、王家公認の商船として雇った」


「……はい?」


 海賊を? 雇った???

 突拍子のない発言に目を白黒させていると、


「あの辺りで一番に力をつけていた連中の船長が、話の分かるやつでな。おかげで商船の海賊被害も減ったし、奴らも奴らで名誉ある仕事を得たっつーことで、この国への忠誠心が芽生えたみてーでな。自分達の人生を一変させるきっかけになった、"紫の乙女"にどうしても礼がしたいと言いやがる。会わせるわけにはいかねえって拒み続けていたら、ならばせめて、それを渡してくれってな。感謝と忠誠の証だと」


「感謝と、忠誠の証……」


 つまり私の知らないところで、"mauve rose"のためにスパイスを運んでくれている元海賊さんたちが、私に忠誠を誓っていると?


(ま、まってまって!? なんか、とんでもないことになってない!?)


「う、受け取れません! だってこの方々を雇入れたのはヴィセルフ様ですし! 私が直接、何かしたわけでは……っ」


「んなの向こうは分かりきってんだよ。だがさっきも言った通り、ティナがいなけりゃ"mauve rose"は存在しなかった。スパイスの調達もそうだが、レイナスの奴が協力を申し出てくることだってな。だからそいつらは、俺じゃなくてティナに感謝と忠誠を誓ったんだろ。ティナがいなけりゃ、"今"は存在しなかったんだからな」


「……っ!」


「いいか、ティナ。お前が周囲の人間を"優しい"と思うのなら、それは決して"運がいいから"なんかじゃねえ。人間ってのは、んなお人好しばかりじゃねえからな。それはティナだから出来た、ティナにしか見えねえ世界だ。……少なくとも、俺にはねえ。命令するでもなく他者の手を掴めるってのは、立派な特技のひとつだろ」


 炎を灯した瞳が、強い意志を持って私を見つめる。


「驕るな。だが、誇れ。俺は"何もない"人間を側に置くほど愚かじゃねえ。俺にはティナが必要だ。ティナだから、認めたんだ。お前が自分に価値を見いだせないと言うのなら、こうして何度でも教えてやる。自信がないと言うのなら、胸を張れるよう手を尽くしてやる。だから頼むから……俺の言葉はもう少し、そのままに受け取ってくれ。都合の良い軽薄な"優しさ"で、終わらせるな」


「ヴィセルフ様……」


 覗き込むようにして見下ろしてくる顔は歪み、まるで苦痛を耐えているかのようで。

 だからこそ、ヴィセルフの言葉が心からの懇願なのだと、私の胸をガンガンと叩いてこじ開けてくる。

 きらめく金の髪と、その奥に並ぶ二つの赤を見上げながら、私は場違いにも疑問に思う。


 ――どうしてこの人は、"攻略対象"になれなかったのだろう。


 確かにゲームでのヴィセルフは、ヒロインであるエラどころかプレイヤーにも好かれるような性格をしていなかった。

 けれど、同一人物なのだ。目の前の彼と。本質は変わらない。


 小さなきっかけの積み重ねで、微妙な選択の違いで。こんなにも変われるだけの素質を、持ち合わせているのに。

 ゲームでの彼は、与えられなかった。気付くチャンスを手にすることすら、許されなかったのだ。


 彼に用意されたのは、エラを不当に断罪し、破滅の道を辿る運命だけ。

 それが"我儘横暴王子"であるヴィセルフの、"当て馬"たる役割だから。

 ――"私達"がゲームを楽しむために、必要だったから。


「……っ、ヴィセルフ様」


 じわりと滲んだ涙に思わず目元を覆うと、「な!? ティナ!?」と焦ったような声がした。


「ちょ、な、わり。まさかそんなにも俺サマを嫌っていたとは――」


「いいえ、いいえ違います! ……私はヴィセルフ様を嫌ってなどいません。むしろ、真逆です」


 なんとか涙を堪えて顔を上げると、ヴィセルフが薄く息をのんだ。

 私は必死に唇を動かす。


「ヴィセルフ様が私を見つけてくださった時から、私の日々は一変しました。時に慌ただしく、時に難しく。ですが私はそんな毎日が、楽しくて仕方がないのです。こうして私を認め、許してくれるこの場所が、愛おしくてたまらないのです。すべてはヴィセルフ様がいたから、ヴィセルフ様が、私に与えてくださったから。……ヴィセルフ様は私にとって、唯一無二のお方なんです」


「っ、ティナ、それはつまり――」


 期待の眼差しと共に、ヴィセルフの右手がそろりと差し出される。

 私は応えるようにして頷き、その右手を両手で包み込んだ。


「ヴィセルフ様に、持ち得る最大限の感謝をもって忠誠を誓います。何があっても、必ずヴィセルフ様のお力になると」


「…………ん?」


「私には剣技の心得も、巨大な魔力もありません。こうして差し上げられる羅針盤さえ。ですがヴィセルフ様が思い描くこの先を掴めるよう、私に出来ることは何でも致します。……私の世界を変えてくださったヴィセルフ様には、必ず幸せになって頂きたいのです」


 この国の破滅を避けるためとか、家族や大切な人たちが路頭に迷わないように、なんて理由じゃない。

 純粋に、単純に。私に勇気と自信を与えてくれたこの人に、幸せになってほしい。


「幸せになりましょう、ヴィセルフ様」


 ゲームのような末路は辿らせない。

 決意に言葉を繰り返し、ぎゅうと握った両手に力を込める。

 途端、ヴィセルフは顔を伏せ、


「その言葉に、別の意味があればなんだがな……」


「はい?」


「いや、いい。今はまだ、な」


 ヴィセルフが顔を上げる。

 と、空いている左手を自身のジャケットの胸元に差し込み、


「ティナの決意、しっかりと受け取った。つーわけで、俺サマの幸せを叶える第一歩として、さっそくなんだが」


「はい! なんでもお申し付けください!」


 ん、と。眼前に差し出されたのは、一枚の封筒。

 あ、あれ? なんだかデジャヴというか、嫌な予感が……。


「俺サマの誕生祝いパーティーの招待状だ。もちろん、喜んで受け取ってくれるよな? ティナ・ハローズ嬢」


「な、な、な……っ!!?」


「明日からのダンスレッスンに目標が出来たな。忘れるなよ」


「~~~~~~っ!!」


(もしかして、私をダンスレッスンに連れ出したのって最初からこのつもりで……!?)


 用意周到な"我儘横暴王子"って、本当にたちが悪いんですけど!!!!


(私の感動を返して!!!!!!)

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