第88話眠り王子を起こしましょう
昼下がりの、落ち着いた厨房内。
その一角で洗われたティーセットの片付けを行っている私のもとに、困り顔のダンが近寄ってきた。
「ティナ、忙しいところ悪いな。ヴィセルフを見かけてないか?」
「ヴィセルフ様ですか? 食後のお紅茶を飲み終わられたあと、食堂を出られたはずですが……」
ここで言う食堂というのは、王族の方々が食事をする部屋のことだ。
決して私達使用人が使っている、この厨房続きの食堂のことではない。
ダンも分かっているのだろう。特に訊ねることなく「そうか……」とますます困ったように眉尻を下げる。
「ヴィセルフ様がどうかされたんですか?」
「いやー、それが次の講義の時間になっても、姿が見えなくてな」
「…………」
つまり、サボりってこと。
納得すると同時に、疑問に首をかしげる。
「ヴィセルフ様がこうしてお逃げになるの、久しぶりですね」
ほんの数か月前までは、こうしたヴィセルフのサボりは至極当然の日常だった。
けれど気づけばサボりがピタリと止み、なんならある時は自ら専門家を呼びつけ、講義を受けることもあるとか。
(まさかヴィセルフのサボりを懐かしく思う日が来るなんてなあ……)
入学時も好き勝手し放題だったゲームの"ヴィセルフ"とは、正反対の展開だ。
そしておそらく、きっかけはエラへの恋心に違いない。
やっぱり乙女ゲームの世界というべきか。恋の力は偉大だね!
うんうんと胸中で頷く私とは対照的に、ダンは「本当にな」と疲れたようなため息をついて、
「近頃は真面目にこなしてたから、俺も油断しててな……。何か妙なところはなかったか?」
「いえ、普段と変わらないご様子でしたが……。外出はされていないのですか?」
「ああ、馬を使った様子もないし、門番も見ていないと言っていたからな。おそらく、城内にいるとは思うんだが……」
私は「わかりました」と手にしていた茶器を置く。
「お力になれるかはわかりませんが、私も探してみます。本日のアフタヌーンティーでは、"mauve rose"の新商品候補をご試食いただきたいですし」
「お、また新しいのが出来たのか」
「ダン様もご試食されていかれますか?」
「ぜひともそうしたいところなんだが、早いとこヴィセルフを見つけて引き渡さないとでな」
……どうやら今日の講師様は、随分とお怒りになられているようだ。
「本当はティナと一緒に周りたいんだけどな……。二手に分かれての捜索でもいいか?」
「はい! では、行って参りますね」
頭を下げた私は、急ぎ厨房を後にした。
***
ヴィセルフの逃亡先は変動的で、だからこそ一度いなくなると、見つけるまでに時間がかかってしまう。
それでも今回はなんとなく予感がして、私は早足気味に庭園を歩いていた。
近頃はすっかり長袖一枚では物足りなくなってきたけれど、今日は陽が暖かく、風もない。
そのために日向に出れば、ホカホカと心地いい暖気が身体に熱を注いでくれる。
「こんな日を、絶好のお昼寝日和って言うんでしょうね」
つい先ほど昼食後のティータイムで、カップに紅茶を注ぎながら何気なくそう話したのは私。
ヴィセルフが「寝るのか?」と聞いてきたので、「いえいえ、仕事がありますし!」と即座に否定したのだけれど……。
思い返せば、そのあとヴィセルフは「……ティナが昼寝をするとなったら、どこを使うんだ」と聞いてきた。
(ただの雑談だと思ってたけど、もしかして――)
迷路のように入り組んだ垣根を抜ける。その先に現れた光景に、私は「……やっぱり」と呟いた。
忘れ去られたように鎮座する、小さな噴水。以前、くーちゃんことニークルと再会した場所だ。
その縁石にごろりと転がる、高貴な衣装をまとった男性がひとり。組んだ両手を頭の下で枕がわりにして、目を閉じている。
「……ヴィセルフ様、お洋服が汚れますよ」
呆れ交じりに声をかけながら近づく。
が、しっかりと閉じられた瞼は微動だにしない。
(寝てるだけ……だよね?)
まさか具合が悪いとか? と視線を走らせるも、煌びやかな刺繍が施された胸元は穏やかに上下していて、顔色も悪くはない。
うん、寝ているだけだ。
「ヴィセルフ様、ダン様が探してらっしゃいましたよ」
もう一度、先ほどよりも声を大きくして呼びかけてみるが、やっぱり反応はなし。
(ううーん、よく寝てるな……)
この間は寝不足ではないと言っていたけれど、強がっていただけで、実のところ眠りが浅い日が続いていたのかもしれない。
膝を折って、真横からその横顔をまじまじと見つめる。
もしもこれが久しぶりに得た安眠なのならば、もう少し寝かせておいてあげたいところだけど……。
ダンのあの様子だと、一分一秒でも早く連れ帰ってあげるべきなのも分かっている。
(どうしたものかな……)
相手はまがりなりにも王子。簡単に揺り動かしていい相手ではない。
それに、特に寝込みなどの無防備な時においそれと手を出さないほうがいいと、クレアに教えられたのだ。
いわく「都合の良い口実にされるかもだし」とのことだけど……。
うん。許可なく無礼に触れたとか勘違いされて、クビにされたら困るしね!
「ヴィセルフさまー、お風邪を召されますよー」
耳元でやや強めに発するも、悲しいかな、反応はなし。
残る手段は……ちょっと花を拝借して、それで鼻先をくすぐってみるとか?
膝を抱え込んでうーんうーんと次の手を考えているうちにも、背にはポカポカと心地よい陽光。
(あ……なんか私も眠くなってきたかも……とにかく早いとこヴィセルフを起こす方法を……)
とろりとした微睡を感じながら、必死に思考を働かせる。
そんな私の苦労など知らずに、眼前の王子様はすやすやと夢の中。
降り注ぐ光が金の髪を優しく撫でるその光景は、まるで前世でのおとぎ話のワンシーンのようで――。
「……きれい」
眠気に抗いつつ、ぽそりと呟いた刹那。
「ぶふおっ」
妙な音を立てながら、ヴィセルフが飛び起きた。
「あ、おはようございます、ヴィセルフ様」
告げた私を縁石からじとりと見下ろし、
「ティナ、お前な……。そういう不意打ちは……いや、他にも起こし方はあっただろうが」
「他にも、ですか?」
声をかける以外の起こし方とは?
首を傾げた私に、ヴィセルフは額をおさえて「いや、いい……。そうだよな狙ってやってるわけねえよな」とぼそぼそ呟いて、
「あーアレだ、身体をゆすったり、頭を撫でたりとかあんだろ」
「いえ、私はヴィセルフ様に触れてはいけませんので」
「……あ? んだそれ。誰に吹き込まれた」
「吹き込まれただなんて、そんな。私は使用人ですので、当然のマナーです。なのに無知なせいもあり、これまで無頓着で……大変申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げた途端、
「……なるほどな。誰の入れ知恵かは知らねえが、余計なことをしやがる」
ティナ、と。呼ばれた名に「はい」と顔を上げると、ガシリと手首を掴まれた。
「講義に戻る。ティナも付き合え」
「へ? で、ですが私はアフタヌーンティーの準備が……」
「んなの後でいい。行くぞ」
「え、ちょ、ヴィセルフ様っ!?」
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