第89話ダンスレッスンのお相手にございます!
なんで、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「ティナ、ステップが逆だ」
「へあ!? わ、っとと」
もつれた足にバランスを崩し、ぐらりと身体が傾く。が、
「おら、転ぶぞ」
地面へとダイブする前に、ガシリと腹部を抱えられた。
干された布団よろしくぶらんと腕を揺らして、「ありがとうございます、ヴィセルフ様……」と涙声で礼を告げる。
ヴィセルフのサボりが久しぶりに発動した講義。それは、ダンスレッスンだった。
庭園から強引に私を連れてきたヴィセルフは、怒りの形相を向ける講師のマダムに向かって、
「相手役がいねーと、やる気が出ねえ」
さらりと告げられた内容に、マダムもまさかの同意。
いえ、私は侍女ですし! とか、ダンスは経験が乏しく……! とか。
必死に並べ立てたのだけれど、こうしてヴィセルフと踊る羽目になってしまった。
ちなみに部屋前で合流したダンは、ヴィセルフの企てを知るなりなぜかウキウキとして、
「ティナが相手役してくれるのか? なら、俺も久しぶりにレッスンつけてもらうかな」
「え!? ダン様までそんな!?」
「テメエは書類整理があるっつってただろうが。夕刻までに揃ってなけりゃ、確認しねーかんな」
「んじゃ、一曲だけ」
「さっさと行け。レイナスには知られるなよ」
とまあ、見事にバターンと扉を閉められ、追い出されてしまった。
なんでレイナス? とも思ったけれど、あれかな。
練習しているところを見られたら、恥ずかしいとかかな、たぶん。
「あの、この通り足を引っ張るだけになりますので、お相手役は別の方にお願いしたほうが。それこそエラ様とか……」
「あ? んでアイツとレッスンでまで踊らなきゃなんねえんだ」
嫌そうに眉根を寄せるヴィセルフに、あ、なるほどと察する。
会える口実になるんじゃない? って思ったけれど、先ほどのレイナスよろしく、練習している姿をみられるなんて嫌か。
エラには夜会でスマートにエスコートして、かっこいい姿をお届けしたいもんね!
「ティナ、んなこと言って逃げようたって、そうはいかねえぞ。それに、ティナだって伯爵家の娘だろーが。ダンスくらいできねーでどうする」
「う……」
それに、とヴィセルフはニヤリと口角を上げ、
「こうやって一流のレッスンを受けれる機会なんて、そうそうないぞ? ここは俺サマに付き合っておいた方が、ティナにとってもいい経験になるんじゃねえか?」
まさしくおっしゃる通りで。
社交界デビューの為のダンスレッスンも、お父様の知り合いだという、どこだかのお爺さんが講師だった。
それも、教えられたのは基本のステップのみで、「あとはその場に行きゃどうにでもなる!」と全体的に感覚頼みだったし……。
まあ、結局ダンスに誘われるなんてなかったから、それでも問題なかったわけだけれど。
(まだどうなるか分からないけれど、"行儀見習い"後のことも考えると、出来ないよりは出来たほうがいいしなあ)
よし。ここはせっかくのチャンスだと思って、最大限に活用させてもらおう!
「わかりました。ヴィセルフ様がもう付き合えない! とお投げになるまで、お相手させていただきます……!」
「そう来なくちゃな。よし、ならもう一度はじめからだ」
「はい!」
再び向き合う私達に、様子を伺っていたピアノ前の紳士がゆったり微笑む。
演奏を担当してくれている彼は、マダムの旦那様だという。お二人とも、ヴィセルフの小さい頃からレッスンを担当されているらしい。
そのせいか、ヴィセルフも普段と変わらず、リラックスした様子だ。互いに遠慮がないともいう。
流れ始めた滑らかなピアノの音に合わせて、マダムのカウント通り必死に足を動かす。
「ティナ、カウントもいいがもう少し音を聞け。足が急いていて、上半身が追いついてねえ」
「は、はい!」
「間違えてもいいから背を丸めるな。多少の失敗はこっちでカバーできる」
「はいっ」
なんかもう、必死すぎて「はい」しか返せない。
背に汗が伝う。すると、マダムが「……そうでございますわねえ」と瞳を光らせ、ついと歩を進めてきた。
「思うに、少々離れすぎでございますわね」
「なっ!?」
「ひう!?」
私とヴィセルフの背が押され、ぐっと顔が近づく。
ヴィセルフが焦ったようにして「んな離れちゃねえだろうが!」とマダムに抗議するけれど、
「わたくしの眼は誤魔化せませんよ、ヴィセルフ坊ちゃま。良いですか? お嬢様はもっと男性に身を委ね! 坊ちゃまはその身を優しく優雅に導く! ダンスとはすなわち言葉なき魂の
さあ、もっとお寄りになって!
そう言ってぐぐっと背を押され、ぎゅうぎゅうとヴィセルフに胸元を押し付けるような体制になってしまう。
(う、く、苦しい……っ)
と、ヴィセルフが声を荒げ、
「ちょっ、分かった……! 自分でやるから手を放せ……っ!」
「あら、そうでございますか? では、しっかりなさいませ」
名残惜しそうに背から手を離し、ピアノ横に戻るマダム。
(た、助かった……)
去った圧迫感に、ふうと息をつく私。
ヴィセルフもきっと息苦しかったのだろう。頬と耳元をほんのりと赤くしつつ、コホンと咳ばらいをしてから、
「まあ、そういうことだ。心配ねえ。俺サマはこれまでも数え切れねえほどの相手と踊ってきているからな。慣れている。だからティナがいくら密着してきても問題なんて一切ねえし、むしろ大歓迎っつーか、いやそれはどうでもいい。ともかく、俺は優秀な王子だ。これはあくまでダンスレッスンの一種であって他意はねえってちゃんと分かって――」
「ヴィセルフ様、ヴィセルフ様。早口すぎてうまく聞き取れないのですが、ともかく」
私はぐっとヴィセルフの右手を握り上げ、左手をその肩に添える。ホールドの体制だ。
息をのんだ気配を無視して、出来る限り背筋を伸ばし、胸を張る。
怯みそうな自身を胸中で叱咤して、決意を込めて近づいた赤い瞳を見つめた。
「やるからには、きちんとやります。お相手お願い致します!」
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