第84話厨房に入れるのは
「ごめんねクレア、朝から付き合わせて」
店を出ると同時に謝罪を口にすると、いつもの侍女服ではなく落ち着いたモスグリーンのドレスに身を包んだクレアが「んーん、別に」と首を振る。
それから腕にかけたバスケットを軽く掲げ、
「おかげで話題の"mauve rose"のパンやスイーツが、出来立てで手に入ったからね。おまけに"試食"の名目で支払無し。むしろ、お供に選んでくれて感謝だよ」
「私のほうこそ、クレアが一緒に来てくれたおかげで、開店前の厨房に入れたんだもん。感謝感謝だよ」
華々しい"mauve rose"の開店から日が経ち、開店前の行列は解消されつつあるらしく。
料理長から「開店前なら」と厨房の見学許可が下り、私は早速と次の休暇を利用して店を訪ねることにした。
けれどもヴィセルフに伝えると、
「ダメだ。その日はどうしても外せねえ仕事がある」
「え? 一人で行ってきますよ?」
「ティナ、お前な……。一人で行かせられるわけねえだろーが。先日の件もだが、俺サマと出た時だって一人になった途端、シツコイのに絡まれたってのに。忘れたとは言わせねえぞ」
「あー……はは」
ヴィセルフが言っているのは、真偽の分からない"魔岩石"の押し売りをしていたお爺さんのことだろう。
そういえばそうだったなあ、なんて懐かしく思いながら笑って誤魔化す私に、ヴィセルフは呆れたような息をついてから、
「その日はダンも俺についてなきゃならねえ。かといってレイナスは論外だ。アイツは一応、カグラニアの王族だかんな。店内はともかく厨房に出入りさせるわけにはいかねえ」
「それは、当然ですね。公爵家のご令嬢であるエラ様も、開店前とはいえ厨房にはさすがに……」
よくよく考えれば、私が厨房に入れるのはあくまで『王城の使用人』という前提があるからだ。
だから料理長も、特別に許可を出してくれたのだろう。
仮に事情を知らない誰かに指摘されても、胸を張って答えられるだけの正当な理由があるから。
納得に頷いた私にヴィセルフは腕を組んで、
「だろ。そういうワケだから、どうしても行きてえんなら俺サマの動ける別の日に……」
「――つまり、王城の使用人で一緒に行ってくれる人がいるなら、いいってことですよね」
「んあ?」
私の脳裏に浮かんだのは、頼れる同室のクレア様。
急いで事情を伝えると、彼女は「うん、いいよ」と二つ返事で頷いてくれた。
さすがは神様仏様、クレア様。
ルンルン気分でヴィセルフに同伴者を見つけたと伝えたところ、微妙な顔をしつつも無事に許可が下り。
ダンとミランダ様によってクレアの休みと馬車の手配が行われ、こうして無事、厨房の見学が可能になったのである。
ちなみに今着ている濃紺のドレスは、クレアの見立てだ。
「あんないかにもな服着て厨房に入れるワケないじゃん」と、エラに仕立ててもらったドレスとは別のものを用意してくれた。
店に付けられた"王室御用達"の品は保ちつつも、華美すぎず、高価すぎず。
王城の侍女だと名乗れば納得されそうな、ちょっといいトコの街娘といった出で立ちになっている。
「ねえ、ティナ。せっかくの出来立てだし、冷める前に摘まみたくない?」
「あ、わかる。あったかいの食べたい!」
「だよね。確か噴水の側にベンチがあったはずだから、そこ行ってみよっか。この時間なら、近くで温かい飲み物も買えるかも」
おお……さすがはクレア。
街の地理にもお詳しい。
(そういえば、クレアのお家は王都の外れにあるって言ってたっけ)
幼い頃から、こうして街歩きを楽しんでいたのかな。
お家もここから近かったり?
思えば互いにあまり、身の上話をしたことはない。
小さい頃何をしていたとか、兄妹はいるのかとか。
それはきっと、クレアが私の生い立ちに配慮してくれているのだと思うのだけれど、せっかくだから少しくらい聞いてみても――。
「ん? あれって……」
足を止めた私に、「どーかした?」とクレアが視線の先を追う。
途端、納得いったように「ああ……」と小さく呟いた。
私達の見つめる先。"mauve rose"の小窓を背伸びして必死に覗き込む、男の子の姿。
背丈と、まだあどけない横顔からして、六、七歳といった所だろうか。
上下する踵に合わせて、無造作に跳ねた茶色い髪がぴょこぴょこ揺れている。
「下層労働者街の子、だろうね」
「……うん、そうだね」
彼の着ているぶかりと大きなシャツもズボンも薄汚れていて、余った丈はぐるぐると折り返し、よれたサスペンダーで吊っている。
煌びやかな王都の、決して珍しくはない"影"の光景。
窓枠にしがみつく手首の細さに思わず眉を寄せると、クレアは私の異変に気づいたのか、
「行くよ、ティナ。あまりゆっくりしてるとせっかくの焼き立てが台無しに――」
「ごめん、クレア!」
「あ、ちょっと!」
制止の声を振り切って、早足で少年のもとに向かう。
ひょこひょこ上下を繰り返す彼は中を覗くのに夢中なようで、近づく私にはまったく気がつかなかったらしい。
「こんにちは」
話しかけた私に「わあ!?」と跳ねて、尻餅をついてしまった。
「ご、ごめんなさい。そこまで驚くとは思わなくって……」
大丈夫? と右手を差し出した私を、しばらく呆然と眺める少年。
緑をした目下の鼻周りには、細かなそばかすが散っている。
それからハッとしたように自力で立ち上がり、お尻をパンパンと叩きながら、
「お手伝いをご所望でしょうか、お嬢様」
「へ? 手伝い?」
「そうです。"俺たち"みたいなのに声かけるってことは、人手が必要ってことでしょう。急ぎの靴磨きでもレンガ拭きでも。それとも、必要なのは荷物持ちでしょうか。報酬さえいただければ、なんでもやりますよ」
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